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感想とかnoteに書こうかな


大人になってから、なんだか忘れっぽくなったなあと思うことが増えてきた。
一昨日着てた服とか、切らした卵の買い出しの予定とかならまだしも、旅行した時に立ち寄ったお寺とか、わりと感動したはずの映画の内容とかまでポロポロと抜け落ちていくもんだから、困ったもんだ。(その癖に一度しか行ったことのない街のホットヨガの位置などどうでもいいことは覚えている。)

そんな記憶力の脆さだけでもだいぶ考えものなのだが、加えて最近、日本語の会話すら覚束なくなってきた。言葉がこう、なんというか、えっと、詰まるのである。
生来脊髄で会話しているというか、生返事のバリエーションのみで人生のあらゆるコミュニケーションの荒波を乗り越えてきた身としては、「何を今更そんなことを気にしているのか」という気がしないでもないが、それでも必要最低限な日本語能力は学校教育の課題やらなんやらで辛うじて保たれていたのが、執務室こもりきり生活となんちゃら禍での対人コミュニケーション過疎な状況で、残念ながら跡形もなく崩れ去ってしまっていたようである。


さて、先日「outer wilds」というゲームをやってみた。ちょうど追加コンテンツが発表されたタイミングもあってか、多方面でゲームについての呟きが耳に入ってきていた。
なんとなく気になっていたゲームでもあったので、買ってみてプレイすることにした。で、クリアした。
このゲーム、みなさんご存知かどうか、ネタバレ厳禁なゲームで、ここでも細かい説明は差し控えたいが、まあ考察の捗るタイプのゲームなのである。
クリアした後に気になった情報をネットで漁る者たちを「outer wildsゾンビ」なんて呼ぶらしいのだが、自分も多分に漏れず人が丁寧に紡いだ考察を食い漁って回っていた。

しかし、なんというか、その考察以上にゲームをクリアした時の感動を言葉にできることそれ自体に驚いてしまった。


なんか多分自分はこのゲームをやり終わってすげーっ、と思ってもそれ以上の語彙で表現することもできずに、半月後ぐらいには全部忘れてピザ食いてーぐらいのことしか考えてないんだろうな…、ぁあ虚しい。



いや、ピザを食いたくなるのはしょうがないとして、なんでもいいから書き残してみればいいんじゃないか?



…という考えに至ったのもこれもまた多方面でお勧めされていた「ライティングの哲学」という本を読み進めていたからというのもあるが、とにかく自分の考えていたことが風化して思い出せなくなるのも悲しいし、それを伝える筋肉が日に日に弱まっていくのも悲しい。そういうことで、気楽に見たものや聞いたものについて、メモを残していくようにしたいと思ったのだった。(因みにライティングの哲学はまだ読み終わっていない。書けない悩みの前に読めない悩みをどうにかする必要がある。)


そもそも、人の感想や意見ばかり読み漁って、自分は何も言わないのも一方通行で良くない気もしてきた…。いや、なにも言わない自由があってもいいじゃないか、とも思うが、仮にも何かを作るということを生業にする人間が、人からの反応を恐れてどうする。カッコつけて完全無欠のものをつくれんのか、自分なんてせいぜいそんなもんじゃないか、という気持ちも芽生えてきたところだ。
まあそもそもあまり読んでる人もいないだろうという事を期待して、マイペースに投稿していくことにしたい。

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