女が道具だった時代。

介護施設をいくつか回る中で、夜勤に同行させて頂くことがある。

夜は時間がたっぷりあるので、日中できないような込み入った話をする場合もある。


今日はその中から、利用者さんから伺った打明け話について、お話する。


「私はね…娘が3人いるんですよ。でもね、妊娠は5回したことがあるの。」

「流産されてしまったんですか…?」

「いえ、おろされたの。それも自分の旦那に。」

私は話の意味がうまく飲み込めず、ひたすら目を見開き続けた。

「旦那はね、男の子がほしかったのよ。でも私、3人とも女の子を産んだから、お前は女しか産めない体なんだと言われて、あとの2回の妊娠は、強制的におろされたの。」

「悲しかったわ…産んでみなきゃ男か女かなんてわからないのに、麻酔で眠らされて強制的に。次に目が覚めたら、私は変な和室に寝転んでいたの。」

「今はいい時代になったわね…産むもおろすも、女の人がある程度決められるようになった。それと離婚もね。」

「私はそんな旦那と、別れることもできなかった。離婚は恥だから止めなさいと、両親は理解してくれなかった…。あの最低な男を、看取るところまでやったのよ…」

「あの男は、女を道具としかみていなかったのよ。」


終始5回ほど、最後のこのセリフを繰り返された。

「あの男は、女を道具としかみていなかったのよ。」


女性の人権については、今も世界中で議論されている。

けれどこの方の話を聞くまで、わたしにとってはどこか遠い国の話にしか聞こえていなかった。

たった半世紀前に、この国でこんなことが、こんな思想があったことが信じられない。

この日の夜勤からそれなりに時間が経っているが、私は未だ何も咀嚼できていない。


話が全て終わった後、非常に穏やかな笑顔で

「くだらない話をしてごめんなさいね。」

と言われた瞬間、この人生の凄みを感じた。


道具として扱われ、それでも女として生き、時間が経ってもなお失くした我が子を思い続ける。

あの穏やかな笑顔が、頭にこびりついて離れない。


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