骨灰

ほぼ読めない本を買っている。ページを開いただけでぶっ壊れそう。『わたしの織田作之助』は読むけど。

最近読んでおもろかったのはこれ、『東京骨灰紀行』


俺はそもそも紀行文が好きである。東京に限らず、それが四国だろうがパプアニューギニアだろうが火星だろうが惹かれるのである。この小沢さんの語り口が落語調でなおよし。

東京の小伝馬町1丁目にはかつて牢屋敷があった。牢屋敷とは刑務所というより死刑囚を置いとく拘置所に近いものである。牢屋敷があった270年間に入牢者数十万人、毎日数人が処刑されていた。リアル地獄の1丁目。吉田松陰もここで首を斬られた。辞世の歌は、

「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂」

渾身の歌だと思う。とどめ置かまし大和魂、韻も踏めてる。

その地獄の1丁目も今やただの公園。その名も十思公園。

十思公園が、そのまんなかあたりで、四周をぐるりととりかこんだスペースだった。公園とむきあう大安楽寺のタイル張り垣根に、石柱が一本割りこみ、刻まれた朱文字が「江戸伝馬町処刑場跡」。そのうしろに延命地蔵尊と、赤屋根の弁天堂がならんでいて、まさにこの場所らしい。えーっ、こんな道ばたで首斬ってたのォ!本堂前にお賽銭をなげこんで、さて。

この語り口、ぐいぐい読ませる。えーっ、こんな道ばたで首斬ってたのォ!っておじいさんが言うことちゃうで。

ちなみにこの処刑場は幕末に到来した欧米人に残酷!と言われて廃止したらしい。欧米人に残酷って言われるってっよっぽど残酷。明治に市ヶ谷監獄ができ、そこに囚人は移送された。牢屋敷は取り壊され人々はここを「牢屋の原」と呼んだ。当然、買手もつかず、なんとタダでも誰も欲しがらなかった!

日本橋の一等地を!!!!

そこに現れた2人の男が見世物小屋を作り大繁盛させた。現代に例えると、自殺の名所にお化け屋敷を作るみたいなもんかね。やはり怖いもの見たさというか、好奇心てのはすごいものだ。

松陰が叫んだ、とどめ置かまし大和魂、数年経ったらお化け屋敷、100年経ったらそこは一等地。

お後がよろしいようで。


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