フェラーリローマとマクラーレンGTを妄想し醒める。
高いスポーツカーを買うことを妄想をした思いを綴ります。
今日のローマは、イタリアの首都のローマのことではありますが、フェラーリのローマが欲しいけど、欲しいと正面切って言うことが出来ないひねくれた私のお話しです。
フェラーリローマサイト
https://www.ferrari.com/ja-JP/auto/ferrari-roma
大矢アキオさんのローマレビュー
https://www.asahi.com/and_M/20200918/15804229/
父も母もいて幸せな少年時代だったのだと思います。
同時に絵に描いたような幸せな家族ではなく放置され、愛に飢えていたためか、目の前のモノに固執し、そのモノに無理矢理にでも意味を見出そうとする過剰な愛着を示すところがありました。
バブルと多感な学生時代が重なり、たとえば1.3Lよりは1.6L、セダンよりはクーペ、3ATよりは4ATというようにクルマをスペックで選んでいました。
なぜなら愛が薄いために何かのモノにすがりたいところ、一番正確な数字に固執して、鼓動とか、スタイリング、フィール、フィーリングを軽視するところがあった。
さらに、CMに左右されちゃっていた軽薄なミーハーな少年でもあった。
その証拠に良く調べもせずにキャノンA-1ではなくミノルタX7を、MZ-80ではなくPC-8001を買ったことに後悔はしていないが、今だったらRTSにPlanar1.4/85、Apple][eを買っていたと思う。(実際大人になってどちらも手に入れた)
そんな少年であってもクルマ好きを標榜するからには、一度はスーパーカーのオーナーになってみたかった。
カウンタックLP500Sが王様で512BBやミウラなどはその下、ボーラやギブリ、デトマゾパンテーラは野蛮に見え、ロータスヨーロッパは低すぎに見えた。どれに乗りたいか?と思うと、当時スーパーカーというよりは一方引いたディーノ246GTに乗りたかった。
その後、同じディーノでも308GT4なら手が届くように思えたものの、実際にハンドルを握れたのはFiat500Fだった。
1/1ブリキのオモチャではあるがクルマである。そこには移動の楽しみと同時に雨の高速を走った時、すぐ目の前に「死」があるのだと実感させてくれた。
それからは見た目やスペックも大事だが、自分に合った車種があるはずだと、違う視点でクルマ選びをするようになった。
直2に乗った訳で、直4、V6、V10にも手を出して「エンジンノート」いわゆる鼓動感を重視して一応の答えらしきものを得た。
さらに、ポルシェの新車をステッチの色まで考えてオーダーして購入するという贅沢を体験することも出来た。
ここ10年ほどは時代が「小径ターボ」による燃費とパワーの両立を目指し、ダブルクラッチの自動ミッションの時代になり1.8ターボや1.4ターボを体験してみたがそこに胸の沸き立つような興奮は無かった。
結果的に渋滞の中V10エンジンはクルマが可哀想なため、普段使いにはターボ無しでも低速トルクのある2.0ターボがバランスが良いと一応の結論じみたありきたりの答えを出してみた。
しかし、それは恐らくはモノクロのアナログテレビがカラーになったものの、相変わらずブラウン管のままの世界にいるようなもの。
有機ELの薄型テレビの時代がEVの時代だとすれば、ハイブリッドカーはプラズマテレビぐらい、内燃機関は全てブラウン管テレビなのかもしれません。
日本を含め、自動車メーカーを抱える国は2050年、いや2040年だ、いやいや2035年までにいわゆるエンジンという内燃機関を持つ新車販売を終了する今、内燃機関エンジンを味わうなどと言うのは滅びゆく世界にしがみついているようなものなのかもしれない。
しかし、まだEVに乗れるほど便の良い環境に住んでいないため、内燃機関エンジン車を降りることを考えたくはない。
最後に手に入れたサーブ900は良いクルマである。
1993年式2.0低圧ターボ3AT、スーパーカーとは程遠い容貌ながら、こだわりはスーパーカー並みな車両。
懐の深い足回りはフロントが重いFFにありがちな硬めた前サスではなく、実よく脚が沈みショックを吸収してくれ、良い車に乗りたい気持ちをもてなしてくれる。
3ATとはいえ、中間加速の良い2.0ターボエンジンはプリウスの全開加速と同等程度の加速をしてくれる。
さらに街中を走れば、3〜4歳くらいの男の子が「ブーブーだ!」と指を指して叫んでくれたり、小学生の女の子が「なんて言うクルマですか?!」と後を追いかけてきてくれたりもする。
変なカタチに見えるが実に存在感に溢れている普通のクルマである。
ふとテレビに映し出される最新のフェラーリ ローマを見て気になってしまった。
メタルトップでアリながらオープンにもなるポルトフィーノからクローズド専用ボディになり、よりたおやかかつエッジの効いたボディシェイプを手に入れ、またパッセンジャーにも配慮したインテリアとして、より男臭さのアクが抜け、大人の女性がドライブすることも意識し、従来と違い70%はこれまでフェラーリに乗ったことのない層を意識したという意味で、ディーノが当初フェラーリを名乗ることは出来ない息子アルフレディーノのV6エンジンを売るためのモデルであったディーノ246GTの誕生とも重なる、これまでのフェラーリオーナーではないユーザーを取り込むために開発したモデルだという。
もしくは、F355から360モデナに変わった時のようなちょっと保守的な大衆受けを狙ったモデルに見えなくもない。
ボディラインの繊細さ、エグ味の少なさはフェラーリではないメーカー製だと言っても信じられそうな線の細さがある。それが故に自分でも操れるかもしれないとふと夢みてしまう。
現実には家を買えるような車両価格で、オプションを付けて登録すれば2500万円どころか3000万円を超えてしまうであろう高額モデルだが、ローマが欲しいと直感が訴えてくる。
360モデナがリリースされた時もかなり気になったものであるが、現実にはまだ手にするどころか触れた事すらない。
もうひとつ自分の中から語りかけてくる言葉。それは、「買ったら破綻するよ」というもの。
そう、少なくともローマの車両価格と同じ程度の年収が無ければフェラーリのある生活を維持することは出来ないことを大人の自分は知っている。
テーマのもうひとつGT。ここで言うGTとはマクラーレンGTのこと。2020年前半からデリバリーが開始されているこの車両もなぜかローマと同じメタリックレッドのイメージカラーを纏っている。
素人目にはマツダが戦略的にイチオシカラーとしてきたシックなメタリックレッドそのものと言って構わないであろう。
価格も2500万円前後と近い価格。リアハッチを開けて縦に小さめのゴルフバッグを積めるアピールまで一緒である。
マクラーレンと言えばMP4 12Cで異次元のサスペンションで素晴らしい乗り心地を体験させてくれるらしい。
それでも自分が手にするならばフェラーリローマにしたい。ローマの色気がグッとくるから。
オーダーしてから2年以上待たなければならないとしても良いのだ。
ポルシェもオーダーしてから半年から一年は待った。
ディーノが手の届くはるか向こうへ行ってしまった今、一生に一度乗るフェラーリとしてローマを選ぶことは純粋な内燃機関エンジン車をオーダー出来る最後のタイミングかもしれない。
しかも、4Lターボかつ下回り車高がスーパーカーと違い高めの設定であることを加味すると、日常使いが出来るケイマンのようなフェラーリとなる可能性がとても高い。
唯一の懸念はローマのオープントップが出てくること。それはケイマンに対するボクスターのように、普段開けなくても開けようと思えば開けられる強みがそこにある。
じゃあ、メタルトップのポルトフィーノにすればいいかと言うとそうではない。そうならば612や575、いっそ555でも良いことになってしまうから。
そこで、自分を今一度見直して見よう。
あれ?ローマを欲しがっている自分はかつてミノルタX7やPC-8001を買った時の自分と同じではないか?
美しすぎるフェラーリというローマのコピー。まさにコマーシャルに踊らされているのではないか。自分に合ったクルマ選びを慎重にしなおしてみたら、本当に欲しく満足出来るクルマが他にあったと思えるような気がする。
自分に合ったクルマとは、V12エンジンのアストンマーチンかもしれないし、ジャガーXJSかもしれないし、はたまた今乗っているサーブ900Sに乗り続けることかもしれない。
譲りたくないのは屋根が開くMTであること。
屋根も開かず、ましてやMTでもないロー マは手に入れたかったクルマでは無かったようだ。
落ち着いたところで現実に戻りました。
特に用事がある訳ではないけれどもサーブ900Sに乗ってドライブしてこよう。
サポートいただきありがとうございます。自分の記事がみなさまの生活の豊かさに少しでも役に立てたら大変嬉しいです。