長く愛されていく建築と捨てられる建物
先日大喜多町役場が住民たちから長く愛されて、庁舎としての役割を終えても尚市民ホールとして使われ続けていることが凄いことだと書いた。
一方新耐震基準に適合しないから、老朽化したからとあっさり廃棄されていく旧庁舎も多い中で、その違いはどこにあるのかとふと考えた。
多分その違いは、最初造られる過程でそこに込められた情熱または思いの総量の違いだと思う。
話を分かりやすくするために、大喜多町役場と私が住んでいる某市役所庁舎を比べてみる。
大喜多町役場は、前に書いた通り、昭和34年(1959年)に竣工して、平成23年(2011年)に多目的ホールとして再活用される。
某庁舎竣工年HPに不記載、新耐震基準に不適合で将来改修・建て替え予定。現在スケジュール未定。合併した元の2旧地域間の思惑が有り、スケジュールさえ未定。だが現庁舎は廃棄されることは確実。
何が此処まで違いが出てくるのか?冒頭に書いた通り、最初にどれだけの愛情をそこに込めたのか込められたのかの違いである。
因みに大喜多町HPと某市のHPを比較するだけで分かる。大喜多町HPには、その庁舎の由来やデザインの詳細が事細やかに記載されている。
一方、某市HPには、庁舎自体の記載が全くない。つまり全く愛されていない、愛着が持たれていないのである。多分建て替えても同じく、愛なき建物が出来て、そしてやがて同じ道を辿るだろうと簡単に想像出来る。
そう考えると、大喜多町民とその庁舎は幸せな関係をずーと維持していて素晴らしいと思う。その最初のきっかけは、大喜多町が今井兼次先生に設計を依頼したことから始まる。
だから誰に設計を依頼するのかは、とても大切な事なのだ。
が、普通なんの根拠もなく誰かに頼むのである。残念な事に。某市役所庁舎もそうである。今では誰が設計したのかさえ、不明である。
ふと此処まで書いて、これは建築だけの話では無くて、人と人との関係でも言えることなのかなと思った…。
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