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有線放送の思い出。

初めて一人暮らしをしたアパートには有線放送が付いていた。

居住のサービスで聞けたのか、料金が最初から家賃に組み込まれていたのか、その辺りの絡繰りはわからないが、巡り巡って、かなり廻った結果、いま私はTBSラジオで働いている、ような気がしている。

コンクリート打ちっぱなしのマンション・・・といえば聞こえはいいが、実際は建物の1階に〝超〟の付く寂れたサーフショップがあって、海の近くでもないのに「なぜここにサーフショップがあるのか?」サッパリわからない、そういう物件だった。
懐かしくなり手元のパソコンでGoogle検索してみたら、当該のサーフショップは今は別の店になっていた。しかし建物自体は健在で、さすがに外壁のコンクリートは塗り替えられていた。そりゃそうだ、20年も前の話なのだから。

当時私はの部屋は3階で、エレベーターがついてないため引越に苦労した。まあ、苦労したのは引っ越し業者のお兄さんたちなのだが、小さい部屋に冷蔵庫と洗濯機、あとはベッドとローテーブルとパソコンしかない殺風景極まりない暮らしが始まった。「カビが生えると嫌だから・・・」という理由で、ユニットバスのシャワーカーテンも付けなかったし、床は拭けばいいと思っていたので掃除機も購入せず、白米は滅多に食べないだろうという予想から炊飯器も持っていなかった。

想像していたキラキラの大学生活とは掛け離れた、斜め下をいく暮らしぶりだった私は自室にあった備え付けの有線放送にずいぶん助けてもらった。初めて触れる有線放送は、クリアな音でAMでもFMでも好きなラジオが聞けるし、洋楽チャンネル、J-POPチャンネル、クラシック、アニソン、落語、森林の音、電車のホーム音etc 何でもあった(笑)

特にラジオは、昔、父親がプロ野球の延長戦を聴いていたのと、カーラジオの記憶しかなかった私にとって新鮮で心地よいものだった。

radikoが出来るずっと前、2003年頃の出来事である。
有線は、ボタンを押せば好みのラジオが聞ける楽しい装置だったのだ。

その後、ゲオで10枚・1000円という激安レンタルの海外ドラマが見たくてDVDプレイヤー付きのテレビを買うまで1年くらい有線放送にハマっていた。無音の空間が苦手なのもあいまって、色々とちょうどよかったのだと思う。

さて、今から5年くらい前だろうか?
博多大吉さんが自身のコラム連載で『「私がラジオに関わるようになった、ラジオの世界に入ってきた理由」ランキング』について書いていた。

これは当時、「赤江珠緒たまむすび」の水曜担当スタッフにヒアリング調査(と呼べるのかしら?笑)をして執筆したもので私は番組のプロデューサーだった。

その時の書きおこしページを見つけた。
(2017年3月とあるから……6年前!!!!衝撃。)

この時も、私は最初に住んだ部屋に有線放送があったからと回答している。
新しい何かと出会う時、そのきっかけはとても大切だ。

仕事柄、ときどき、子どもにラジオ体験をしてもらう機会がある。
キッザニアにJ-WAVEが入っているような、大規模で素敵なものは出来ないが、会社主催のイベントや、あるいは社会科見学の学生たちにTBS社内ツアーをやったりするとき、ラジオのスタジオに彼らを招いてパーソナリティの雰囲気を味わってもらう。

コロナ以降、そういう機会も随分と減ったようだが、子どもDJ体験や、TBS社内の見学をきっかけに「初めてラジオを聴いてみた!」「放送の仕事に興味を持った!」「ナレーターやパーソナリティになりたいと思った!」なんていう、後日談を聞くと本当に嬉しい。

こういう気持ちは年をとって顕著になった。
最新号の雑誌『POPEYE』のお仕事特集に後輩がラジオディレクターとしてすごく格好よく掲載されているのも本当に嬉しい。
若い人がいいな!と思う、楽しそうだな!と思う、何かひとつのきっかけになれたら最高なんだと、思う。

部屋で有線放送をつけて時間を持て余していた頃の自分には皆無だった気持ちがいま確実にある。

自分は今、放送局の営業職として、企業の貴重なPR費用をラジオ媒体に出稿してもらうよう働きかける仕事をしている。いわば資金調達係であるが、セールスが成立した時、企業にとってこの出会いが少しでもプラスになればいいと願っているし、何とかプラスになるよう努めている。

「商品が必ず売れます!」
「ぜったいバズります!」

イチ営業マンであって預言者ではない 笑。
そんなことは約束できない。約束できないけれど数値的な材料は当たり前の判断材料として、もう1つ、何かを添えてプレゼンテーション出来たらいいなと、割と真剣に思っている。

話は戻って大学生を始めたあの頃。
他人が見れば無風に見えても、自分なりの紆余曲折がいっぱいあって、その場所にたどり着き、通学先がある街で暮らすことになって、多少あった選択肢から寂れたコンクリート打ちっぱなしのアパートの部屋を選んだ。

知らない街の、知らない人たちとの学生生活。向こうも誰も自分を知らない孤独感があり、でも相反した心地よさとか、気楽さとか。友だちが欲しいような、1人で居たいような、出会いを求めていたような、拒んでいたような、今振り返ると、青くて未熟で不貞腐れていて、それでいて尖っている訳でもない、半年くらいの時間だった。

その後、就職活動のときに「ラジオ局も受けてみようかしら」と思ったのは、やっぱり寂れたコンクリート打ちっぱなしのアパートで有線を聴きながら過ごした時間があったからなのだろう。

間違いないと思う。

今住んでいるマンションは、ラジオの電波がちっとも入らない。だからいつも、インターネットにつながっているテレビモニターでラジオを聴いている。radikoは便利。特有のタイムラグにもすっかり慣れた。

2023年も1ヶ月が過ぎて外は寒いが暦の上は春だ。
出会いと別れの春である。

花粉症でアレルギー大爆発がしょっちゅうおこる私にとって、健康面ではちっともいい季節じゃない。でも春は好き。

猛暑と極寒で、春と秋がなくなりつつある日本で、私は今年も春をたのしむ、と決めた。

あのアパートには今もきっと学生が住んでいて、春には新しい学生さんの新しい暮らしが始まるのだろう。

あのアパートの各部屋に今も有線放送が付いているか、それはわからないけれど、誰かの新生活にラジオやポッドキャストが寄り添える存在であることを願って。


・・・まだ2月2日なんだけど。
時はあっという間に過ぎてしまうから。

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