この世に神さまは存在しない

全て目に見える物だけが真実であり今生きてここに魂がある物は感じ取れる人がほとんどいない。
あの世へ行けば地獄も天国もあるかもしれない。が、所詮絶望に打ちひしがれた希望を見出したいものが今縋りつきたい偶像と桃源郷である。
人の心が回復するのに数年はかかると思う。本当の回復は何十年先になるかもしれない。生きていれば沢山出会いと別れがある。そんなの生きてる間にしか経験しない。死に別れも含めるなという方が不自然だ。しかし多くの人は縁を切ったり、喧嘩別れや失恋という形で体験する。そうそう家族や友人恋人の死を経験する機会なんて訪れないし、自分に起こると思いたくないし、できれば他人であって欲しい筈だ。
しかし起こってしまった。この事実は一生残るし、人が1人居なくなるとは社会的生活を営む上で大きな損失が出る。
失ったもの残された人々の心に空洞深い暗闇ができる。後悔と疑念と怒りと諦めと虚しさと最後に無
それは色んな感情が渦巻いて自分1人でどうにもならない所までいく。三日三晩泣き続けて、1人でいると黄昏てどこか遠くへ行きたいと思う。
周りの人に相談したところで早く立ち直れだの故人は望んでいない、元気出して、みんな同じように悲しみを抱えてるだのそんなありふれた言葉しか出てこないのだ。そんなのわかってる。まだどうすればいいか言葉が出てこない見つからない無言で側にいてくれたり体調や気分を心配してくれた方がありがたい。
受験に失敗したら次があるし失恋したら次がある。大切な人は失ったら次なんてない。確実に来世にお願いするか自分の人生に何を見出して生きていけばいいのか見つけるまでずっと絶望しかないだろう。しかし調べたところ後追いの自殺は生きていた時の苦しみよりさらに苦しむらしいのでやめておく。生きていればなんだってできるからな。二度と会えないあの人の分まで自分の夢や希望を命すり減らして取り組むでもいいし幻想や夢に出てくるまで思い出せばいいし、日記や過去録を忘れないうちに書き出してみるもいいし小説やブログに残すのもいい。生前の行いや記録は生きている人が思い出したり語るか形に残せば生き続ける。逆に自分は適当な生き方をしていないか?人に言えないようなことばっかりしてこなかったか?仕方ないで若気の至りで済む可愛らしい内容なら年取った時に教訓として聞かせられるものならいい。自分の子供や年少者に教え導ける存在になれる経験を積めば充分生を全うしたと胸張って言える生き方をしたい。

私は神様仏様にあの人を幸せにするのでどうか…と願いsnsに呟いたが、叶わなかった。ので神さまは偶像で愚かな私たち人間の編み出したエゴだとはっきり理解した。もし自分が死にあの世へ行き本当にそんな存在がいたらころして消してやりたいと思う。それも決められていたことなら諦めもつくが、納得したいがための思考である。

今日も私は生きる。

今世であの人の家族が幸せになり私が満足に生きたら来世で会いたい。

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