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Diary✏︎noteでなきゃダメな理由。

なんだかんだで忙しくやってるので、日記ばかりになってるnote。

いや、毎日更新してるわけでもないので日記にすらなってないか(^_^;)


最近、他のクリエイターさんのnoteを読むことが増えました。この人の記事は必ず読むぞ!と決めているクリエイターさんが複数いる訳ではなく、その日の気分で、ふと目に入ったものを読んでます。

noteでなければ触れることの無かった分野、私の中には存在していない思想や思考を持つ人、とにかく様々な世界を覗くことができて楽しい(楽しいという表現で合ってるのか微妙)です。

ですが、沢山の素晴らしい記事に出会えば出会うほど、分からなくなっていくのです。

自分のnoteに何を綴れば良いのか。何を綴りたいのか。どう綴れば良いのか。

完全なる迷子です。

進むべき道がまだ分からないままとりあえずnoteを開き、マイページから投稿ボタンを押してみました。

何か意味のあるものを残さなきゃいけない。なんてルールは無いだろうけどいざ記事を投稿するとなると、あのクリエイターさんのように名言を残さなきゃ、背伸びしてカッコつけなければ、と意気込んでしまいます。まぁ意気込んだところで何も思いつかないのですが。

そして指が動かなくなります。

なんで投稿ボタンを押したんだよ…特筆する事無いじゃん。と自分へツッコミを入れながら、そもそもnoteを始めたきっかけを思い返します。

ポルノグラフィティの新藤晴一さんがきっかけでnoteの存在を知り、かくかくしかじかで(初めのnoteで説明したので省きます)、簡潔に言えば〝自分探し〟の為にnoteを始めることにしたのですが。他にも文字を残す為のツールは沢山存在してるのに、なぜnoteでなければいけなかったのか?

Twitterであれば他人からすればどうでもいい内容だとしても、カッコつけず気軽に『呟く』事が出来ますよね。

実際、私は毎日の様になにかしらTwitter上で呟いています。おはよう、昼ご飯にこれ食べた、友達と遊んだ、おやすみ、など。

noteをわざわざ開かずともその日のツイートを全て並べてしまえば日記になるのでは?とも考えましたが何か違う。

noteじゃなきゃダメな理由…1番はやっぱり〝文字数〟ですかね?

『呟く』となると、少ない文字で簡潔に言葉を発さなきゃいけないので、溜息みたいなもんじゃないかと。Twitterであれば『はぁ…。』だけでも許されますよね。ですが、後日自分のツイートを見返してみた時に『はぁ…。』の文字を見たところで、あの時の自分がなにを思ってそう呟いたのかはきっと思い出せません。あの時あんな事あったなと何かしらの事柄をうっすら思い出せたとしても、その時の感情を思い出すことはできません。

〝自分探し〟の為で自分の感情を書き残すなら、Twitterの文字数ではあまりにも少なすぎます。呟いたことに対してわざわざ補足を入れるのは、なんだか違う気がします。

あら?そういえば、、気が付いたら指がどんどん動いて文字が増えてきてますね\( 'ω')/

まぁとにかく、自分を知りたいという気持ちからnoteを始めたわけで。なので無理にカッコつける必要はないんですよね。寧ろ今のように、カッコつけてない自分を見つめることが大切で。

そう言い聞かせてみても、やっぱり意気込んじゃうのが私という人間の一部なので、じゃあどうすればいいのか?

うーん…。

Twitterの長文バージョンだと思えばいける気がする?(多分)

というわけで(?)これまで以上に、どうでも良い様なことも文にして残していこうかと思います。

noteはクリエイターが自由に創造する場であるという事は重々承知していますが、今の私にはカッコ良く何かを創造する力は備わっていなく、現時点ではクリエイターですら無いです。

その代わり、私の今感じた事や動いた心を文字という形にして残しておきたいです。それがわたしの〝創造〟ということにしておきます。作家でも作詞家でも無く、『作私家』を目指して、これからもnoteを綴っていきます。

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