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「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

先日、エブエブを観に行ったときに、気になっていた映画予告。
なんなら、ゆうめい「ハートランド」の開演前にも予告が流れていて、さらに興味がそそられていた。

「わたしたちは全然大丈夫じゃない」

優しい広告に書かれた謳い文句とは思えない文章。そのギャップに惹かれた。

ぬいサーと呼ばれる、ぬいぐるみに話しかける人たちのあつまるサークルに入部する、学生達。

恋愛の感情がわからない七森
事件事故に対し、敏感に反応するようになってしまった、と同時にそんな自分に嫌悪感を覚える麦戸
そんな社会に反発したり、変えようとすることを諦めつつある白城

他上級生の部員たち。
みんながみんな悩みを抱えている。

でも、その悩みが相談できない。
だって、その悩みを聞く人だって、人間だから。
それぞれに価値観があるから、話を受け入れてくれないかも知れない。
なんなら、
相手だって悩みを持っているかもしれない。
自分の発言で傷つけてしまうかもしれないから。

ぬいぐるみとコミュニケーションを取る。
いたってポップな絵面だけど、一人一人の抱える不安・孤独が本当にリアル。
自分のことのように言葉が頭の中に入っていく。


でも、


「こんな悩み、いくら悩んだって仕方ないよ
 そんなんじゃ社会で生きていけないよ」


って、みんな言って、そうやって社会が回っていく。
社会ってそんなに甘くないよ。安心できるところなんて少ないんだよ。
ずっと安心できるところにいたら、打たれ弱くなっちゃうもん。って。

あぁ、、本当に生きていくって、、、

※※※※

仕方ないよね、って本当に流していいの?
打たれ弱くてなにが悪いの??

自分の悩み、不安に対して
「だいじょうぶです。」
ではなくて、「全然だいじょうぶじゃない。」
って言える場所が、少なからず必要なんだよ。
ちょっとしたことでもさ、話してよ。

そんな中で始まる七森の言葉

「傷つきたくて、傷ついているだけなのかもしれない。
 傷ついていれば、加害者でないって思えるから。加害者になりたくなくて。
 そんな僕もサイテーだ」

ぐさぐさぐさ、、

完全に、傷つくという感覚をいいように使っている人間です私は。
あぁ、、こんなことにも自分は気づけないか、と。

※※※※

自分の悲しいという感情を人に話すなら、それと同じくらい、自分も聞く、その感情を預からなきゃ。
それがまだできていない自分は半人前な気がする。

だが、その段階に急にいくのがいささか難しい、、
少しつづ、少しづつ対話を試みたい所存、、。

※※※※

って、悩む人がたくさんいるんだろうな、
と思っていて、そのままラストへ。


最後の白城の言葉

「優しすぎる。 優しさから解放したいから、私はぬいぐるみとしゃべらない。」

最後に、これを残して映画が終わるとは、、

優しいって
非常に残酷だ。
優しいことが不利になる社会。優しさを切り捨てなきゃいけないときもある。
そういう時もある。

やっぱりそうなのかな。

どうなんだろう、、

私はまだわからないや、、


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