受験英語?は役立たず…?
近頃、英語ブームを身近に感じるようになった。本屋に新刊が行くたびに増えていて、私を含む英語学習者にとってはとても喜ばしい。
そんな英語ブームの中、どうも“受験英語”というものが批判されているらしい。このことについて少し考えてみたい。
受験英語とは?
そもそも受験英語とはなんだろうか。この言葉を使う人がみんながみんな同じ意味を指しているとは限らない。そこで、受験英語について、ここでの意味を定めたい。
受験英語
学校で教わる英語のことを指す。
このように定める。
学校の英語学習
私が中学生の頃、と言ってもそう昔ではないのだが、授業は英文法中心の学習であった。先生が黒板を使い説明をし、私たちは配られたプリントなどに書き込んで学習した。宿題で出されたワークの答えを順番に答えたりもした。また、ALTの先生との会話学習も多くはないがあった。
高校では、英語表現で英文法を学習し、コミュニケーション英語で長文読解を学習した。中学の頃よりもさらに頻度が少なかったがALTの先生との会話学習もあった。
だらだらと自分の頃の授業形式を振り返ったが、これからわかることは英文法を中心とし、頻度は少ないが会話学習があったということだ。
受験英語の内容
受験英語といっても一口に言えないが、大体は文法問題、長文読解、英文和訳、和文英訳、リスニングなどで構成されている。つい最近には、都立入試にスピーキングが追加されたとか。
学校の英語学習は文法中心で、その文法を活かせる問題が受験の英語問題を占めているように見える。
受験英語の内容2
受験英語の内容を自分なりに分類したい。分類の基準は“受動”か“能動”かである。
受動的な問題
・文法問題
・長文読解
・英文和訳
・リスニング
能動的な問題
・和文英訳(自由英作文を含む)
・文法問題の一部(空所補充 等)
受動的な問題に分類したのははじめから英文を与えられている問題、能動的な問題に分類したのははじめに英文を与えられていない問題である。
このように分類してみると、受動的な問題がほとんどを占めているのがわかる。
受験英語の批判
本題に入る。受験英語が批判されるところ、つまり短所であるところは能動的な問題の少なさである。これが少ないとどんな問題が出てくるのか。“英語を使えないままの状態”になってしまうことだと私は考える。ここで“使う”という単語について意味を定めたい。
英語を使う
能動的に英語を使える。
⇒ライティング、スピーキングの能力を有
している。
と定める。
受験英語を見直す
では、受験英語の問題点はどのようにして解決されるのだろうか。元をたどっていくと学校での学習に行き着く。
学校での学習は文法中心であった。ゆえに受験英語も文法中心の問題になるのは必然である。つまり、見直すべきは学校の英語学習なのではないか。
学校の英語学習を見直す
学習の英語学習を文法中心からかえてみようと思う。4技能の中で受験英語の弱点であるライティング、スピーキングにしてみる。
ライティング中心
ライティングを中心にしてみると困ったことが起こる。まず、文の組み立て方が分からない。これは文法の領域である。
スピーキング中心
スピーキングを中心にしてみると、やはり文の組み立て方が分からない。口頭で文をつくるのだから、ライティングと問題点を共有している。
なんだか上手くいかなそうだ。
では、中心をやめて割合を考えてみるが、結局ある一つの問題に行き着く。“時間の限界”である。学生が学ぶのは英語だけではない。その他の教科ももちろんあるし、同じように大切である。
文法中心は悪なのか
先に述べたように、ライティング、スピーキングの基盤となるのは文法である。リーディングもリスニングもそれは変わらない。文法を言い換えるならば、“文の構造”といったところだろうか。文の構造(文法)の理解を基盤とし、それを各技能に活かす。つまり、文法学習抜きに英語習得は難しいということだ。
英語の使い道
“日本人は英語ができない”などよく見聞きしないだろうか。私個人としてはそれを恥じることは全くないと考えている。人によって英語の使い道は違うのだ。必要な人もいれば不要の人もいるだろう。少々話が逸れたが、言いたいのは文法学習を学校、受験で終えて自分の必要な技能に活かせればよいのではないだろうか。
受験英語は役に立つ
私なりにこのnoteでは次の結論を出したい。
結論
受験英語は役立たずではない。
最後に
私はこう結論を出したが読者の皆様はどうだろうか。もちろん、この結論が正しいとは言い切れない。多種多様な考えがあるはずだ。そんな中で、このnoteを受験英語問題を考えるきっかけになったらと思う。
終わり
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