伝わっていないむなしさ。
私日本語話しているよね?って思う瞬間が何度かある。
私の頭の中で浮かんでいる像を言葉にするのは難しくて、きっと頭の中にあるままに、断片的に言葉として外に出しているから、ほかの人には理解してもらいにくいんだろう。
今日も先生の表情をみて、これは理解していないなということだけは理解して、マイクを通して話すことをやめた。
なにいってるんだこいつって顔に書いてあった。
それを見て、私はショックを受けた。自分の考えはいいと思っていたし、的を得ている。正解だと思っていたから。ムダにプライドがたかくて、人のことを心のなかで見下しておかないと自分を保てないような弱い人間だから。
ほかの先生が私とまったく同じような意見を述べていたのを聞いた時に、
え?私これをいったよね?
って思うことがたくさんあった。
なんでなんだろう。
くやしい、いかり?
は?って思う感情が湧き出てくる。
日本語話しているのか?
言語化って、頭の中の言葉をそのまま出すことではなくて、相手に理解できることば、文章にして声にだすってコト。
相手に理解してもらえないと、ただの自己満足の自己完結。
オナニーしてるのと一緒。
文章を構築するトレーニングが必要。
きっと私の話は要領を得ていなくて、相手の欲しい解答に一直線の最短では答えられていない。(相手の表情をみていてそう感じる。表情以外でも、返答で、つまりはこういうことだよね?って要約されて、あぁ私の結論はそこだったのか。って気が付くことが多い。)
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