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相性がいいかどうか…

気になるワードだよね。

私も、ヘリオセントリック占星術を学び始めてから自分と夫の盤面とを見比べることもしましたよ。
いまでも、あぁじゃ・こうじゃ 言ってます。

でも、そこで自分自身が見たものは
『相性がいいかどうか』という視点ではありませんでした。


星詠みを提供するようになり
『相性はいいですか?悪いですか?』 と 聞かれる。

『いい相性・悪い相性という返答はできません。』 と 私は答える。 

そこには私なりの想いがあります。

出会い、惹かれあっているのだ。誰にも渡したくないと。
出会い、気になるのだ。触れたいと。温もりに自分の内側が震えるのだ。
共に過ごしたいと願い、離れることなんてこの世の終わりとさえ感じるかもしれない。
共に過ごしたいと、共に世界を生きるのだ。自分ひとりでは出会えない世界へ。

そこに、良い・悪いと二分する結末が必要とは思えない。

2人だからこそできる世界があり、世界を巻き込むからこそ感じられることがある。
かけがえのない時間だと、永遠と想いたい出来事だということ。
もう二度と繰り返したくないことや、暗く出口の見えない世界を感じること。

そして…味わったことのない感情や感覚の渦へと引き込まれる。

味わうことをやめないでほしい。
自分自身でしか感じられない世界への扉の鍵を、他人へ渡さないで欲しい。

そう強く願う。

穏やかに、心地よく、幸せだ!と感じられる時間
ただ息をするように、ただそこに在ることが当たり前と思える時間
愛おしくて愛おしくて仕方がない時間
腹が立ちすぎて最悪な言葉を思い浮かべる時間
言葉をナイフのように振り翳してしまうことだってある。

全部ひっくるめて、味わい尽くしてほしい。
それはある種の、私のエゴとも取れることだろう。
でも、そう感じてしまうのだから仕方がない。

ビビんな!!!!!行ってこい!!!!! 

なのだ。

占星術で何を伝えられるだろう。

互いの星のあり方から互いを『個』として認め合う事、
互いが話し合うために、話し合うテーマに対しての意識のベースを変える事、
向かいたい未来が想い描けるのであれば何かしらのヒントや、
なぜか抱えてしまう悲しみや苦しみを少しでも『幸せ』へ向かわせるベクトルへ変換できるように、言葉を送ることのように今は想う。

私は共に探りたい。 そう。 私は目の前にいるアナタと共に探りたいのだ。

未知なる世界を。

アナタの想う『相性』というハードルに対して、どんな視点や言葉を添えたなら、
それを跳ぼうと立ち向かえる勇気に変えられるだろう。
それすらも楽しもうと力を抜くことができるだろう。

答えがあるなら知りたいというのが心理なのかもしれない。

でも生きるというのは答えに向かうのではないと考えている。
常にそれを作り出し、また更新して形を変えていくのではないだろうか。

そんな私もスタンスが変わる出来事に出会うかもしれません。

2022年2月の想いはここへ、全身全霊ぶっ込んどきます。

これが、今現在の私のリアル。私の想う『相性とは?』だ。

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