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『ひょん no 気』vol.8 今の私

久しぶりに自分の書いたnoteを読んでみた。
下書きの状態で待機しているものがもいくつかあって整理したかったし、
いな自分がどんなふうに文章を綴ることができるのかまた出会いたいと思ったからだ。

何がきっかけか、あんなに楽しく書いていた時期から急に書かなくなってどれくらい経つのか…
久しぶりに再開した自分の書いた文章に、
「いいこと書いてんなぁ」と自画自賛する程自分の文章を好きだなと
感じられることが嬉しかった。

投稿に至るもの、そうでないものがある。
書き溜めていた中には少し手を加えて公開したものもあるが8割は削除した。
自分がどう言う状態で書いたのかが時間が経っても文章の中には残っている気がした。
「小賢しい」そんな言葉が似合うのかもしれない。

「私」が存在しない文章には勢いもなければ面白みもない。

いやいはや常に「私」でしょ??と言う感じではあるが、
何とも言えない自分じゃない感じというのがある。
何とも言い表しにくいのだが、読む気が失せるのだから仕方がない。

目に見えないけど確かに存在する何かは
それぞれの感覚を通して感じられるように人間はできているのではないだろうか。
今一度、そんなものを研ぎ澄まし意図して使うこともアリな世の中なのかもね。

スピリチュアルなことも、天使やクリスタルや魔法の世界も好きだ。
だがそれが実社会と実生活に紐付けできてないことには眞こと持って信じてないんだなと最近つくづく思う。

星読み、占星術を仕事としているのに??と思うところではあるが、
だからこそ現実に、リアルに、わかりやすいものや・ことで届けたいのだろう。

私のリアルな実体験が、ホロスコープへの確かな信頼であるのだから。

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