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娘 と kanai

私が、kanaiプレートアートを手にして2022年4月で8カ月ほどだろうか。
こうやって経過した日にちを記載すると…
あまりにも時が経っていないことにビビるわけです。
kanaiプレートアートの後押しや自分に拍手です。絶対的二人三脚感!!!!

表題にある事柄でも自分自身の変化があったし、
こんなふうに遊ぶのもいいんじゃないかなと思うから。そんな変化を少し綴ります。
(※私は2017年生まれ、1児の母です。)

kanaiを受け取った当初の話。
私は娘のいない時間に、1人…コソコソとやっていました。
見られたくないというのが1番だし、邪魔されたくないものもあったから。
それにいくら優しいツールだからといって子供に対して使えるとは微塵も思っていなかった。
ましてや4歳の娘になんて到底触らせるなんてことはあり得なかった。
kanaiの説明にある、誰にでも手に取ってもらえるツールという言葉の解釈がとても固かった。
最低限のルールがあるのだからそれを““守らなければ…な・ら・な・い。““
子供に触らせられるツールではない。そんなことを思っていた。無意識的に。
いや、勝手にルールを作っていたというのがしっくりくるな。

今思えば…kanaiとの信頼関係もまだまだ未熟であったんだと思うし、
自分自身を俯瞰できていないこと、自由を謳歌できない硬さがゴリゴリにありました。
この文章を書いていても苦しくなるくらいガチガチに硬いし、重たい。

ただここで少しづつ変化が訪れる。

kanaiプレートアートの先輩ナビゲーターの方々との交流から、
1人で描くことへの変化、kanaiとの向き合い方や気づきのあり方も、面白さと発見が次々にやってくる。
これでもかというほどに追い風を吹かせてくれたマスターナビゲーターの鍋谷紀子さんとの時間も笑うほどの変化があって…

ヒヨコプレートからの発想。今のお気に入りみたい♡

私が今現在、辿り着いているところ。
『娘がやりたいように、カードやプレートと関わればいい』です。

ともあれ、母の机にカードの缶があれば気になるお年頃。
何?何?攻撃がやってきます。初めはすごく嫌そうに見せていたと思う。
描くことのもいちいち何かを言っていた記憶もある。

そんな私が、日が経つにつれ感覚や関わり方が変わったのです。

『娘がやりたいように、カードやプレートと関わればいい』
この感覚に自分自身がなってからというもの…娘の表情も、眼差しも格段に違う。
今の彼女に、これがどんなツールかを説明することも必要はないんです。

娘は、カードを捲る楽しさ。図柄が出る楽しさ。それを模倣し描くことを楽しんでいる。
見たものを想いのままに描くことが出来ず悲しさと悔しさが入り混じった姿を見たり、言葉を伝えてくれたり。描けない時には手伝って欲しいと言ってくれる。
描けるようになったことをとても自慢げに話している。
プレートはその時に選んでオリジナル塗り絵にしてみたり。
描いたものはとても満足げに、誇らしげにプレゼントしてくれます。

子供の成長過程における模倣することを楽しんでいる。
それに、模倣以上にファンタジーな発想が膨らんでいる。

私が今まで見ていたのは、彼女ではなかったと痛感した瞬間でもある。

気づいた時に修正すればいい。
そう素直に言い、自分自身が娘に対して構えることができるのもkanaiのおかげです。

もしお子さんがいる方、周りにいて関わる機会がある方は是非試してみてほしい。
自分自身も自由になってカードとプレートをコミュニケーションの何がしかにしてみてはどうだろう。
子供の持つ色んなことに、こちら側が驚いたり、喜びをもらったりする時間になるかもしれません。

年齢を重ねてきたなら、その時にまたコミュニケーションの質を変化させたらいいし、
kanaiプレートアートってこんなツールだよと伝えたらいい。
時が経って思春期なんて時には…
このツールを通して会話のない空気や時間を味わうコミュニケーションってのもありなんじゃないかな。

娘とそんな時間も持てたら面白すぎると今から母ちゃんはワクワクしています。

絵が苦手だって、描きあいっこする時間にしちゃえばいいんだし、カードのまんま描くんだから頭脳的負担も感覚的負担も軽減されているはず!!!!
同じ目線で描けるって最高におもろいです。

子供とは楽しく使うのが1番。
もちろん、ここぞという時にはいつものように描けばいい。

kanaiプレートアートってその瞬間、その場面、そこにいる人に対して
ちゃんと目線を同じくして向き合ってくれている最強の同志だと思うのです。

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