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Kanaiとの今 2024年3月の私。

2024年3月。
今現在の私とkanaiプレートアートとの関係を書いておこうと思う。

単刀直入に言おう。
現在、私は以前と違いkanaiプレートアートは描いていない。
あんなにも前のめりに宣伝し、提案し、描いてきた自分がである。

何が私をそうさせたのか。
それは、自分自身で行動することをし始めたからだ。
全ての感情・感覚を自分で感じ切るということに向き合いトライしているからだ。

では、kanaiが無意味なものなのか…といえば、そうではない。
私をスタートラインへ立たせてくれたものでもあるから。
表現すること、自分の内側に潜めているものを物質として取り出す行為を
なかなかもって今までしてこなかった自分にとって、kanaiとの時間も必要な時間でした。

今の私がkanaiプレートアートの良さを提案するとするならば、
どんな人に向けてセッションを提案し提供するだろうとこれを綴りながら考えている。

そうだな…。

・自分の気持ちを言葉にすることを難しいと感じている人
・人のせいにいつもしてしまう人
・我慢強くなってしまった人
・顔で笑って心で怒り、心で泣いている人
・優しすぎる人
・誰かのためにと行動してしまう人

今思い浮かぶのはこんな感じかな。

凝り固まったものはちょっとやそっとじゃ柔らかくはならない。
まして慢性的なものはもはや柔らかさを忘れてしまって戻ることすら意識にはない。
そこを少しずつゆっくりやっていく感じかな。
それが始まれば、今度は実際の行動に移していく。
実際の行動に移さなければそれは机上の空論で終わる。

実際、kanaiはあくまでもサポーターで、ランナーは自分自身。
どんなに筋トレしても、どんなに体力つけても、本質である自分がスタート地点に立ち
スタートの合図とともに走り出さなければ意味がない。

必要かどうかは自分自身の感覚で決めたらいい。

「決めること」も難しければ、相談したらいい。
体験セッションでも何でもやってみたらいい。
kanaiを提供している人は多い。
手軽にできるからこそ、提供者との相性は妥協なくして欲しいと思う。

本音をいかに出せるか。

セッションはすでにそこから始まっているから。

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