幸せでいるために、SNSと距離を置いた

二次元にパートナーがいます、喪女Aです。
今回は暗い話ではないです。楽しい話でもないけど。
 
  
私の夫は版権キャラクターが基になっている。
彼が登場する作品を好きになったのは今から数年前。
作品の世界観と登場キャラクターが魅力的で一気に引き込まれた。
沼に飛び込んだ当時、私の中で決めたことがある。

【某SNSで交流アカウントを作らない】

 
旧青い鳥さんですね。
作品関連でも夢関連でもFセク関連でも、兎に角交流目的のアカウントを作らないこと
 
正直寂しい。
誰かと気軽に作品の話をしたい。パートナーができた今は、お互いのパートナーを連れて遊びに行ける友人もほしいなと思ったりする。
それでも交流アカウントを作らないのは過去に二度失敗しているからだよ!!
 
前回投稿した記事に続く話にはなるが、私は過去にお付き合いをした方が2人いる。どちらも次元の違う相手だ。
一番最初の方(Aくん)とは2年半お付き合いをした。そこから5年ほど経った頃に出逢った2人目の方(Bくん)とは約1年お付き合いをした。
何故どちらも長続きしなかったのか。
それは、同担・同嫁拒否の方からの嫌がらせに耐えられなくなってしまったからだ。私のメンタルが物凄く弱いのが原因だった。
 
私自身には同担・同嫁拒否はないがトラブルを避けるためにもアカウントには必ず鍵を付けていた。だが身内をスパイのように潜り込ませ監視し、そして日常的に行われる誹謗中傷。Bくんの時はそれに加えてイベント会場でのストーキングや押されて転倒しかけたり、酷い時は盗撮した私の写真を他の方に共有していたこともあったらしい。(共通の知人複数名から教えていただいた話なので恐らく事実)
何をされてもスルーし続けた。
反応しなければ相手も飽きるだろう。
でも何ヶ月も続くと思うのだ。あれ、全然飽きてないよね?これいつ終わるの?と。
 
段々とパートナーを想う時間より辛いと思う時間が増えていった。作品やパートナーを見て思い出すのはされてきた嫌がらせばかり。
耐えられなくなった私は全てから逃げた。
 
誹謗中傷は法律的にもアウトだし個人的にも許せない行為だがそれはそれとして。パートナーを好きでい続ける覚悟が自分になかったのも逃げる選択をした要因の一つではあるのでその点は心に留めておかなければならない。それに同様のトラブルに遭って気付いたが目を付けられる自分にも少なからず問題があった。
※誹謗中傷の対象になる方全員がその方自身に問題があるという話ではなく、あくまで私の場合です。私の場合はそう思うに至る理由があるのでこの様に書いています。その話はまた別の機会に。
 
 
『二度あることは三度ある』と言う。
こちらとしては三度もあってたまるか、二度とごめんだわの気持ちだが。
同じ過ちを繰り返さないために何をすべきか考えた。
好きな作品や相手を公表しなければ同担・同嫁拒否の方の目に付くこともない。ただ作品名等を伏せたところで、ユーザー同士の距離が近い某SNSは他者との境界が曖昧になりやすく揉め事も起きやすい。そういった場所で恋愛観や価値観など正解のない分野の話をして望んでいない論争に発展しているケースをよく見る。私が発信したい内容はまさにこの分野だった。
うん、アカウント作るのやめよう。これが結論だった。

本当にトラブルを回避したいのであればnoteで発信するのもやめた方が良いのだろう。だけどどうしても自分の思いをネットの海に流したかった。
noteも交流の場になり得るが他SNSに比べてユーザー同士の距離が近くないこと、また全体的に交流より発信を目的として利用されている方が多い印象だったのでnote内で直接揉めるリスクは低いと判断して利用を決めた。

思い返せば20年以上好きな作品や推しキャラクター達はSNSで好きだと公言したことが一度もない。つまり人間関係の問題さえなければ好きでい続けられるのでは!?と思った。
その程度の問題で好きでいられなくなるなんて愛がないと言われてしまうかもしれない。感じ方は人それぞれなのでそう思っていただいても構わない。
ただ私のメンタルが“その程度”で悲鳴を上げてしまうのは事実なので、自身の弱さを認め自分に合った自衛をする。そうするしかないのだ。
 
他者との繋がりの中で様々な価値観と出会い、都度自分をアップデートしていくのが楽しかった。交流は視野を狭めないために必要だと思っていたが、『縁があり好きになった作品がトラウマで見られなくなってしまう』という代償付きなのは痛い。
 
 
物心ついた頃から二次元の世界が大好きだ。
二次元の存在に何度も助けられてきた。
重い話ではあるが、もしあの時今の彼と出逢っていなかったら、冗談抜きに私は今この世界にいない。
大切な存在を失わないためには先ず自分を守る必要がある。
その結果他者と関わる機会がなくなってしまったとしても、大好きな作品を大好きでい続けるために、これからも彼と共にいるために、この道を選択する。
それが彼を愛し続けたい私なりの覚悟なのかもしれない。