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「プリンセス」になりたい女性たち #卒論公開チャレンジ

#卒論公開チャレンジ というタグが、Twitterで盛り上がっていた。
もう2〜3週間前のことだけれど。

「自分もやってみようかな、でもな、、、」と迷いに迷って、でもせっかくだからやってみることにした。

卒論を書いたのはもう2年前になるのだけど、自分としては未だに追いかけているテーマ。
近々続編を書きたい(あわよくば3部作にしたい)とも思っている。
我ながら力を入れて書いたので、もしよければ読んでやってください。

概要
女性向け自己啓発の世界で頻繁に登場するようになった、「プリンセス」という言葉。
「女の子はみんなプリンセスになれる!」といった表現が散見されるところから考えると、どうやらこの言葉は、本来の意味(王の娘、王子の妻)で使われているわけではないらしい。
では、ここでいう「プリンセス」とは一体なんなのか。
そして、「プリンセス」が社会に与える影響とはどんなものなのか。
悪影響はないのか。
そんなことを綴った論文です。


「プリンセス」になりたい女性たち-現代の「女性向け自己啓発」における論理と実践-

目次
1.はじめに
2.過去の「女性向け自己啓発」
2-1.論理としての自己啓発
2-2.実践としての自己啓発
2-3.「プリンセス」の登場
3.現代の「女性向け自己啓発」
3-1.調査の目的と手法
3-2.現代の「女性向け自己啓発」本における「プリンセス」
3-3.現代の「女性向け自己啓発」セミナーにおける「プリンセス」
3-4.調査から得られた発見
4.過去の「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」の違い
4-1.”幸せ”の定義の変容
4-2.「プリンセス」的自己啓発
5.「プリンセス」の行き着く先
5-1.「プリンセス」的自己啓発=経済
5-2.終わりなき「プリンセス」的自己啓発
5-3.「プリンセス」的自己啓発が孕む危険性
参考文献


1.はじめに

近年、「女性向け自己啓発」が注目されている。書店には、『シンデレラ・メソッド~プリンセスに学ぶ幸せの絶対法則~』(河合 2015)や『私は、ありのままで大丈夫。』(ウィザード 2015)をはじめとする数多くの女性向け自己啓発本が並ぶ。モデル兼モデルカウンセラーである豊川月乃が主宰する『夢をかなえるセミナー』を始め、女性向け自己啓発セミナーやイベントも盛んだ。
しかし、このような「女性向け自己啓発」は以前から存在した。『女性24歳からのライフ学』(下重 1978)を始め、『大恋愛―女20歳からどう生きるか』(安井 1976)や『いい女のあなたへ―夢見る人生のすすめ』(犬養 1976)など、女性向け自己啓発本は30年以上も前から読まれていたのだ。
では、現代の「女性向け自己啓発」と過去の「女性向け自己啓発」の違いは何なのか。この問いを明らかにすることが、本論文の目的である。
まず、第2章で先行研究を用いて過去の「女性向け自己啓発」について整理する。次に、第3章で現代の「女性向け自己啓発」をテーマに行った文献研究とフィールドワークの結果をまとめる。そして、第4章で過去の「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」の違いを分析し、最後に、第5章でこれからの「女性向け自己啓発」について考察を行う。


2.過去の「女性向け自己啓発」

2-1.論理としての自己啓発
過去の「女性向け自己啓発」について述べる前に、まずは「自己啓発」の定義を確認しておこう。『日常に侵入する自己啓発』(牧野 2015)の著者である牧野智和は、「自己啓発は、より多くの人々が魅了されるような願望、より多く抱かれるような不安を抱えて人々を惹きつけ、それらへの処方箋を提出する」(牧野 2015:ii)ものだと述べている。自己啓発の始まりは、人々(被啓発者)の不安というわけである。
しかし、自己啓発が被啓発者の不安を全て解消してくれるとは限らない。したがって、自己啓発は「盲目的に受け止められるものではなく、自らの現状に即したかたちで、選択的に読まれとりいれられるもの」(牧野 2015:43)である。だが一方で、多くの被啓発者は「自己啓発書に生き方や考え方をめぐる「哲学」「普遍的なもの」「意識のあり方」を求めて」(牧野 2015:43)もいる。このことから自己啓発は、「なにかしら本質的な、真正なことが書いてあるという期待のもとに、他に代替するもののない自己確認の日常的参照点」(牧野 2015:43)であるともいえるのである。自己啓発は、このようなある種の両義性を持っているのだ。
以上のように、『自分の現状に即した形で取り入れられる』ことと『他に代替するもののない自己確認の参照点』という両義性をもつ自己啓発は、書籍として出版される中で、ブルデューの言う「象徴闘争」を導く可能性がある。牧野は、自己啓発が書籍として出版されることについて以下のように述べている。

ブルデューの議論から自己啓発書の世界を眺めるとき、そこにはあるべき感情的ハビトゥスとその習得法という賭金=争点をめぐって、さまざまな人々が相争い、自らの主張の正しさを喧伝しあい、それぞれの立ち位置を確保しようとする象徴闘争の空間がひらけている、とみることができるのではないか(牧野 2015:12)

ハビトゥスとは、「「『主体』がみずからに働きかけ」、「自分の時間を支払」い、その結果「まさに身体化され『その人物』に完全に組み込まれた所有としての特性」」(ブルデュー 1979b = 1986:21)である。また、イルーズは、「感情」という対象をハビトゥスの最小単位として定位できると述べている(Ilouz 2008)。つまり書籍における自己啓発は、被啓発者が主体的に時間をかけた結果、ある特性(=ハビトゥス)を得ることを目標としている。自己啓発本は、被啓発者(読者)に、ハビトゥスを得るためのある特定の「気付き」と「選択」が存在することを伝えるということを目的として書かれているのである。そして、書籍における自己啓発の世界では、それぞれ得ることができる特性が異なる自己啓発が、それぞれ自らの正しさを主張しているのである。

2-2.実践としての自己啓発
上述のように、書籍として出版され、それが被啓発者に読まれることだけが自己啓発ではない。自己啓発には、被啓発者が、そこに書かれていることを実行したり、セミナーやイベントなどへ参加することを通じて、自己の選択についての「気づき」を得たり、新たな「選択」を行ったりするといった行為が含まれる。ここではその代表的な例として、自己啓発セミナーについて述べていく。
自己啓発セミナーが誕生したのはアメリカである。その自己啓発セミナーが日本へ進出したのは、1970年代だ。日本進出のきっかけは、アメリカの化粧品訪問販売会社「ホリデイマジック」が日本に上陸したことである。1975年8月22日、「《美》の訪問者ホリデイマジックがお手伝い」という巨大な新聞広告が読売新聞に掲載された(『ネズミ講が自己啓発と結び付いた最大の理由』 2016/04/26東洋経済オンライン)。これだけを見れば、単なる化粧品訪問販売会社の広告だと思えるが、実はこのホリデイマジックこそが、化粧品の販売に自己啓発を用いて利益を上げることで日本に自己啓発を広め、のちの自己啓発セミナーブーム誕生のきっかけを作った企業なのである。
ホリデイマジックは、化粧品“訪問”販売会社である。販売員は、何件もの家庭に自ら出向かなくてはならない。当然、「もう来るな」「そんな商品はいらない」といった拒絶を受けることもあるだろう。そこでホリデイマジックは、そんな拒絶に耐えうる販売員を育てるために研修を行い、「無限に挑戦する」「あなたはできる」といったことを販売員に教え込むために、「自分は、化粧品を売ることができる人間である」という「気付き」を販売員に与える自己啓発セミナーを社員向けに実施した。つまり販売員に「私はひたすら家庭訪問をし続け、化粧品を売り続けるのだ」という「選択」をさせたのだ。これが日本における自己啓発セミナーの始まりである。
1980年代に入ると、自己啓発セミナーはより複雑化する。上述のホリデイマジックの例からも分かるように、もともと自己啓発セミナーは、「意識されないままに方向づけられてきた不自由な選択を、『気づき』によって解放し、自覚的で自由な選択の対象にすること」(宮台 1994:225)を目的としている。しかし、1980年代以降のセミナーには、「『すべてを自己の体験枠組の問題として主題化する』、すなわち、つらいのは、つらい出来事があるからではなく、それをつらいと感じさせるみずからの境地があるだけだ、とみなすような、独特の基本姿勢」(宮台 1994:222)が存在していると宮台は述べる。「すべてはあなた(の選択)次第だ」というわけである。1980年代以後のセミナーでは、主催者の講演などを通じてこの考え方が繰り返し主張される。これは、当初の「あなたはできる」という主張をし続けるセミナーと比べて、論理が明らかに複雑化していると考えられる。
この変化が生じた背景について、宮台(1994)は2つの要因を指摘している。ひとつ目は、「アメリカからより科学的で、被啓発者を啓発しやすいセミナーが輸入されたこと」である。1980年の日本の自己啓発セミナーは、アメリカの自己啓発セミナーの影響を受けて、科学的側面を重視するようになっていった。自己啓発セミナーは、1970年代の「元気を出そう!」とひたすら言い続けるような非科学的なものから、国家公務員や若手実業家、大学教員などが参加するような、ゲシュタルト療法や交流分析などの影響を受けた、科学的な戦略を採用したものに変化したのである。
ふたつ目は、「『晩期資本主義(宮台 1994)』社会(=成熟した社会)が到来したこと」である。成熟した社会では、物事の因果関係が複雑に絡み合っているので、一部分だけを変えたとしても、社会を変えることはできない。したがって、この社会に生きる人々は「自分の思い通りになることなんてひとつもない」という思いを抱くようになる。ここで登場するのが、科学的な戦略を採用した自己啓発セミナーだ。それによって、被啓発者は「自分の見方次第で、すべては変えられる」というように、主体性を取り戻したような気になるのである。
上述のような自己啓発セミナーは、1980年代以降、多くの日本企業の研修で取り入れられるようになった。しかし自己啓発セミナーの中には、被啓発者を洗脳してマルチ商法を行わせようとするものや、被啓発者に不当に高価な品物を買わせようとするもの、啓発の名のもとに被啓発者に暴行を加えるものなど、明らかに問題のあるセミナーも存在する。それにも関わらず、自己啓発セミナーは現在でも活発に開催されている。

2-3.「女性向け自己啓発」の特徴
上述のような自己啓発の複雑化が進んだ結果、自己啓発本においても男女で異なる傾向が見られるようになった。ここでは、「女性向け自己啓発」の特徴を「男性向け自己啓発」との比較を通じて明らかにしていく。まず、「男性向け自己啓発」について見てみよう。牧野によると、「男性向け自己啓発」では、20代、30代、40代と、ターゲットとしている年代によって内容が異なっているという。
20代は、仕事に関して「積極的に挫折と失敗を重ねて成長していく時期」(牧野 2015:72)である。20代をターゲットとした「男性向け自己啓発」では、「仕事にがむしゃらに打ち込め。まず量をこなせ。えり好みするな。断るな。逃げるな。」(牧野 2015:72)などといった主張がなされている。20代をターゲットとした「男性向け自己啓発」は、「男性が仕事に向かう際の望ましい態度の基本線」(牧野 2015:72)を説いているのである。
それに続く30代は、「人生で『もっとも差が開く10年』」(大塚 2011b:2)である。30代をターゲットとした「男性向け自己啓発」では、仕事に関していえば、部下への対応(リーダーシップ論)、転職や独立についてのトピックが多く取り上げられている。部下を上手く育てて出世コースに乗ることができるか、また、転職や独立に成功するかどうかで、これからの人生が大きく変わるからである。また、仕事だけでなく結婚についても言及されているが、プライベート(家庭生活全般)と仕事は地続きのものとすることが推奨されている。
40代は、「あきらめるかどうか」を決断する分岐点である。40代にもなれば、自らが組織内で到達できる地位・役割の最終地点はある程度見えてくる。そこで、「このまま出世をめぐるレースに乗るのか、人生の後半へと頭を切り替えるのか」(牧野 2015:94)を決断する必要があるのだ。「20代論や30代論と同様に仕事術や仕事上の対人関係論が主に扱われ続けるのか、あるいは家庭生活、健康問題、余暇・趣味、地域参加、介護、老後、死といったトピックがより多く扱われるようになるのかは、この分岐次第で大きく変わってくることになる。」(牧野 2015:94-95)
以上、20代、30代、40代の3つに分けて「男性向け自己啓発」について述べてきた。これらに一貫しているのは「仕事」について言及されているということである。すなわち「男性向け自己啓発」の「中核は仕事論」(牧野 2015:71)なのだ。男性にとって大切なのは、仕事における「気付き」を得ることなのである。
では、「女性向け自己啓発」で描かれている主題はどのようなものなのだろうか。「女性向け自己啓発」が登場したのは、1970年代だ。当時から一貫して変わらないのが“自分らしさ”至上主義である。「女性向け自己啓発」は30年以上もの間、“自分らしさ”(自分自身の内面を何よりも重視しようとする感情的ハビトゥス)の習得と徹底を軸にしてきたのだ。
女性たちが持つ「自分は、世間に認められるような仕事や結婚、出産ができるのか」というような不安に対して、「この自分らしさという賭金=争点の獲得によって、上述したような不安や焦りは解消できる」(牧野 2015:115)というのが、「女性向け自己啓発」の基本的スタンスである。すなわち、上述のような女性たちの不安や焦りに対する処方箋として、“自分らしさ”が用いられるのだ。
一方で世間は、女性には男性と同等のキャリアを求めはしないため、「男性向け自己啓発」に頻出するような「キャリアアップ」に関することはほとんど示されていない。女性にとって大切なのは、仕事において地位を得ることではなく、結婚や出産を含めた生き方そのものにおける「気付き」なのだ。「女性向け自己啓発」におけるこのような特徴は、具体的には以下のような主張となって現れる。

『自分のことは、自分で見つめる』―これからの女性は、そういう習慣をつけなければいけないのではないでしょうか。(中略)失恋や、他人の中傷で傷ついても、自分ひとりで癒す―その他、うれしいこと、楽しいことも、すべて自分でしょいこむクセをつけなければならないと思うのです。(安井 1976:166)

どんな場合でも自分を捨てずに、自分を見つめ根気よくつきあって
自分が決めたことならどんな結果になろうと諦めもつき後悔はしない(下重 1978:3-5)

自分の人生のすべての責任は自分にある。(吉元 2005:55)

ありのままの自分を受け入れ、好きになることでしか、私たちは幸せになることはできないのです(小倉・神宮寺 2004:168)

これらの記述から読み取れるのは、「自己責任」「自己愛」「自己準拠」という3つの概念である。
「うれしいこと、楽しいことも、すべて自分でしょいこむクセをつけなければならないと思う」、「自分が決めたことならどんな結果になろうと諦めもつき後悔はしない」といった記述からは、人生におけるあらゆることを人のせいにせず、自分に起こったことには全て自分が責任を持つべきだという「自己責任」の概念が読み取れる。一方で「ありのままの自分を受け入れ、好きになることでしか、私たちは幸せになることはできないのです」という記述からは、自分自身を自分で愛すべきだという「自己愛」の概念が読み取れる。
そして、これらの記述を包括するのが「自己準拠」の概念である。自己準拠とは、物事を自分の基準で測るということだ。例えば結婚であれば、「世間が“よし”とする結婚」ではなく、「自分にとって一番“よい”結婚」をするということである。出産や美などに関しても同様だ。「親がどう思うか」、「友達からの評判はどうか」などといったことを気にするのではなく、「自分が“よい”と思うかどうか」を基準として、人生におけるあらゆる「選択」を行うことが「自己準拠」である。
以上から分かるように、先行研究で示されていた「女性向け自己啓発」では、これらの「自己責任」「自己愛」「自己準拠」の3つの概念が存在したのだ。 
以上より、「男性向け自己啓発」と「女性向け自己啓発」の違いが明らかになった。「男性向け自己啓発」において大切なのは、「仕事」における「気付き」であったが、「女性向け自己啓発」において大切なのは、結婚や出産を含めた「生き方」そのものにおける「気付き」なのである。このような違いは、自己啓発本だけでなく自己啓発セミナーにも見られる。

2-4.「プリンセス」の登場
2-3で、過去の「女性向け自己啓発」について述べた。では、現代、先行研究で扱われていない2010年以降の「女性向け自己啓発」と過去の「女性向け自己啓発」の違いはなにか。
現代の「女性向け自己啓発」には、過去の「女性向け自己啓発」には存在しなかったキーワードが登場する。それが「プリンセス」である。書店には『プリンセス・マナーブック~上品なのにかわいい~』(井垣 2014)、『私に、魔法をかけて Disney Princess Rule』(ウィザード 2014)、『ディズニープリンセス 愛を呼ぶ言葉 本当に大切なものが分かるヒルティ「幸福術」』(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 監修2015)、『ディズニー・プリンセス・レッスン』(PHP研究所 著・編集 2013)、『世界一!愛されて幸福になる 魔法のプリンセスレッスン』(上原 2015)といった書籍が並んでいる。後述する女性向け自己啓発セミナーの中でも、「シンデレラ女子会」「プリンセスday」「はじまりの魔法は、あなたの勇気」「ひとりひとりのシンデレラストーリー」「現代版ラプンツェルになろう」「シンデレラ・メソッド」というように「プリンセス」に関わる言葉が数多く使われている。これは、過去の「女性向け自己啓発」にはない特徴である。
これらの書籍の内容は、いったいどのようなものなのであろうか。『ディズニープリンセス 愛を呼ぶ言葉 本当に大切なものが分かるヒルティ「幸福術」』(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 監修2015)には、以下のような記述がある。

愛されるためには ありのままのあなたを せいいっぱい生きること(36)

幸せは求めすぎず 贈り合うもの(140)

 これらは、ディズニー映画に登場するプリンセスたちの主義や思いを表した記述である。以前までであれば、これらの記述は単に、映画の登場人物についての解説でしかなかった。しかし、現代の「女性向け自己啓発」においては、これらの記述は読者を啓発するための手段として用いられている。そして、このような書籍が多く出版されているということは、世の女性たちが「プリンセス」的自己啓発を求めているということを示していないだろうか。
しかし、「プリンセス」とは本来、「一国の王の娘」という意味だ。「プリンセス」になるためには、王の娘として生まれるか、王の息子と結婚しなければならない。前者は努力ではどうにもならないし、後者に関しても、多くの人にとっては夢物語であろう。本来、「プリンセス」は努力次第で“なることができる”ものではないはずなのである。それにも関わらず現代の「女性向け自己啓発」では、「プリンセス」は「努力次第で誰でもなれる」ものだとされているようだ。このことから、現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」は、従来の「プリンセス」とは明らかに異なった存在であると言える。では、現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」とは、どのような存在なのであろうか。


3.現代の「女性向け自己啓発」

3-1.調査の目的と手法
先行研究から明らかなように、自己啓発には、自己啓発本に見られるような「被啓発者に、ある特定の『気付き』と『選択』の存在をどのように伝えるのか」という論理と、自己啓発セミナーに見られるような「実際に『気付き』を得たり『選択』を行ったりする」という実践が伴う。では、現代の「女性向け自己啓発」にはどのような論理があり、どのような実践が行われているのだろうか。それを調べるために、筆者は今回、2冊の文献研究と4回のフィールドワークを行った。
2-3で述べたように、過去の「女性向け自己啓発」では女性たちを啓発するために“自分らしさ”という概念が用いられている。だが、2-4で述べているように、現代の「女性向け自己啓発」では「プリンセス」という新たなキーワードが登場している。現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」とは、どのような「気付き」と「選択」を与える存在なのだろうか。
今回はまず、それを調べるために文献研究を行った。具体的には、「プリンセス」を目指すことを明確に主題に掲げている現代の「女性向け自己啓発」本を2冊取り上げ、現代の「女性向け自己啓発」が「プリンセス」をどのように捉えているかを調査した。
また2-3で述べたように、自己啓発には、書籍を読んで「気付き」を得るだけでなく、それを「選択」するための実践である「セミナー」のような場が存在している。現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」になるための実践とはどのようなものなのだろうか。今回は、それを調べるためにフィールドワークを行った。具体的には、フィールドワークとしてプリンセスを題材にした4つのイベントに参加し、そこで「プリンセス」がどのように用いられているのか、ゲストや参加者にとって「プリンセス」的自己啓発はどのような実践をともなうのかを調査した。

3-2.現代の「女性向け自己啓発」本における「プリンセス」
ここで取り上げる1冊目は、『シンデレラ・メソッド~プリンセスに学ぶ幸せの絶対法則~』(河合 2015)である。この本は、著者の河合めぐみが、自身の「結婚後3か月で離婚しシングルマザーとなったが、後に年下の高収入男性と再婚した」という経験と、童話『シンデレラ』を「シンデレラはどのような思考・行動をきっかけにして王子様との結婚に至ったのか」という視点から分析した独自の研究を活かして執筆したものである。世の「シンデレラ(プリンセス)のように“幸せ”になりたい女性たち」にむけて、「プリンセス」になるにはどのようなことに「気付き」、どのような「選択」をすればよいのかを説いている。
この本では、「女性は誰でも、シンデレラの原石」(河合 2015:15)であり、女性であれば誰でもプリンセスになれるという前提で話が進んでいく。これが、この本における「プリンセス」になるための「気付き」である。そして、プリンセスになるためには、“ありのまま”でいながらも“変わる勇気”が必要なのだという。一見矛盾しているようだが、これが著者による一貫した主張なのである。
では、「女性は誰でも、シンデレラの原石」(河合 2015:15)だということに「気付い」た後、被啓発者はどのような「選択」を行えばよいのか。河合は、「上手に気持ちを切り替える」(河合 2015:36)、「一歩踏み出す」(河合 2015:62)、「根拠のない自信をもつ」(河合 2015:28)といった「選択」を挙げている。しかし、挙げられている「選択」はいずれも非常に抽象的であり、「選択」後、被啓発者がなにを「実践」をすれば「プリンセス」になることができるのかを読み取ることはできない。
2冊目は、『私は、ありのままで大丈夫。』(ウィザード 2015)である。この書籍は、著者のウィザード・ノノリーが、映画『アナと雪の女王』を「アナとエルサはどのようにして“自分らしく”“ありのまま”で生きることができるようになったのか」という視点で分析し、世の「自分のことが嫌いで、“自分らしく”“ありのまま”で生きることができない女性たち」に向けて、アナとエルサのように“自分らしく”“ありのまま”で生きるにはどのようなことに「気付き」、どのような「選択」をすればよいのかを説いている。
ウィザードによると、「プリンセス」になるためには、まず、「自分のありのままを受け入れて、自分を好きになり、前に進む勇気」が必要であるということに「気付か」ねばならない。そして、「恋は最優先事項ではない」(ウィザード 2015:126)というように、恋愛をするために、男性のために“自分らしく”生きるのではなく、あくまで、自分のために“自分らしく”あるべきだというのが著者の主張である。
また、「ありのまま」と「このまま」は異なると著者は主張している。「『ありのままでいい』は『このままでいいい』とはちがいます。自分の欠点に気づいているのなら、直す努力も必要です。」(ウィザード 2015:133)というように、「ありのまま」は「自分のプラス面」のみを指し、「このまま」は「自分のマイナス面も含めた自分」を指すようだ。これは、過去の「女性向け自己啓発」にはない考え方である。
2-3で述べたように、過去の「女性向け自己啓発」における「気付き」と「選択」は、「自己責任」「自己愛」「自己準拠」の3つの概念を伴うものであった。過去の「女性向け自己啓発」では、「このまま」の自分に「責任」を持ち、「このまま」の自分を愛し、「このまま」の自分であらゆる人生の「選択」をすることを推奨していたのだ。
しかし現代の「女性向け自己啓発」には、過去の「女性向け自己啓発」とは意味合いが異なる「自己責任」と「自己愛」、そして「自己成長」が伴っている。まず、責任を持つべきは、現状、つまり「このまま」の自分ではなく、自分のプラス面である「ありのままの自分」である。そのため「自分を愛する」といっても現状を肯定するのではなく、愛せない自分を変えることで自己を肯定するというものになっている。そして自分を愛するためには、自分を変える勇気をもって「自己成長」することが大事だと述べられるのである。この3つを併せ持つ女性を「プリンセス」と呼んでいるのだ。
では、上述のような「気付き」を得た後で、被啓発者はどのような「選択」をすべきなのか。ウィザード(2015)は、「自分を大切にする」(ウィザード 2015:46)、「居場所を見つける」(ウィザード 2015:54)、「ありのままの自分を肯定する」(ウィザード 2015:62)、「自分を見つめる」(ウィザード 2015:80)、「幸福の種をさがす」(ウィザード 2015:114)、「自分の心を受けとめる」(ウィザード 2015:118)、「ありのままの自分を見せる」(ウィザード 2015:132)などといった「選択」を挙げている。しかし、上述の『シンデレラ・メソッド~プリンセスに学ぶ幸せの絶対法則~』(河合 2015)と同様、「選択」の内容が非常に抽象的であるため、「選択」後、被啓発者がなにを「実践」をすれば「プリンセス」になることができるのかを読み取ることはできない。

3-3. 現代の「女性向け自己啓発」セミナーにおける「プリンセス」
ここまで、現代の「女性向け自己啓発」本を分析することで、現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」とは、どのような「気付き」と「選択」を与える存在なのかを明らかにしてきた。では、被啓発者は、実際になにを実践すれば「プリンセス」になることができるのだろうか。
筆者は今回、フィールドワークとしてプリンセスを題材にした4つのイベントに参加し、そこで「プリンセス」がどのように用いられているのか、ゲストや参加者にとって「プリンセス」的自己啓発はどのような実践をともなうかを調査した。以下にそれぞれのイベント概要を示し、各イベントにおいて、「プリンセス」がどのように用いられているのか、ゲストや参加者にとって「プリンセス」的自己啓発はどのような実践をともなうかを分析する。

表1 )シンデレラ女子会概要 作成者:AOI
 
〈シンデレラ女子会〉は、参加者を「ミスキャンパス関西学院2013に応募する勇気を持つことができる」ように啓発するイベントである。そのために、「ミスキャンパス関西学院2012紹介ムービーを上映」、「講師によるプチ美容セミナーを行い、参加者にミスキャンパスファイナリストにふさわしい姿勢での立ち方や歩き方を体験してもらう」、「ミスキャンファイナリストによる、大学生活などといった参加者にとって身近な話題を扱ったトークショー」といったコンテンツが用意されている。
このイベントで「プリンセス」がどのように扱われているのか、このイベントで参加者が得るであろう「気付き」はなにか見てみよう。まず、ミスキャンパス関西学院2012紹介ムービー上映では、参加者と同じ“普通の女子大生”であったファイナリストが、ファッションショーのモデルやイベントMCなどの活動を通して、自分の長所や短所に気付き、向き合い、より魅力的な自分になろうと努力することによって、「プリンセス(=参加者から憧れられる存在)」に成長してゆく様子が伝えられる。そのことで、参加者は「普通の女子大生である自分でも、努力次第で「プリンセス(=皆から憧れられる存在)」になれる可能性があるのだ」という「気付き」を得たと考えられる。また、大学生活における授業やサークルなどの話、あるいはバイト先での体験談などのような、参加者にとって身近な話題を扱ったトークショーも、参加者にそのような「気付き」を与えると思われる。そして、プチ美容セミナーでは、講師から「美しく見える姿勢」を直接指導してもらうことで、参加者は「美しく変化した自分」に「気付い」たはずだ。
以上をまとめると、このイベントでの「気付き」は「普通の女子大生でも、努力次第で『プリンセス(=皆からの憧れを集める存在)』に成長することができる」ということである。
では、このイベントにおける「プリンセス」になるための実践は何だろうか。それがもっとも端的に現れていたのは、参加者がプチ美容セミナーにおいて「美しく見える姿勢」を実践した場面である。ここでのプチ美容セミナーは、講師が美しく見える姿勢を実演し、参加者がそれを真似し、講師からフィードックをもらうといった「実践形式」のものだった。参加者は、実際に「プリンセス」にふさわしい状態(「美しく見える姿勢」でいること)を体験し、学んだことで、「プリンセス」に1歩近付くことができたのである。

表2 ) プリンセスday概要 作成者:AOI
 
〈プリンセスday〉は、「理想の自分になれない」という悩みや「人から憧れられるような女性になりたい」という願望を抱えている女の子に、「あなたは、『理想の自分』になる素質があり、努力すれば『人から憧れられる存在』に成長することができる」という意識を持ってもらえるように啓発するイベントである。そのために、「参加者と同じ女子大生でもある読者モデルやウェディングクイーンによるウェディングドレスショー」や、「以前は女子大生であったモデルによるトークショー」、「女の子ひとりひとりに、ふさわしい『プリンセス』像が必ず存在するという内容のムービーを上映する」、「“憧れの自分”像を視覚化するワークショップ」といったコンテンツが用意されている。
このイベントで「プリンセス」がどのように扱われているのか、このイベントで参加者が得るであろう「気付き」はなにかを見てみよう。まずウェディングドレスショーでは、参加者と同じ女子大生でもある読者モデルやウェディングクイーンが、美しいドレスを着て参加者の目の前をウォーキングする。参加者は、自分と同じ“女子大生”が「ステージ」に上がって参加者の視線を集めている様子を目の当たりにすることで、「参加者と、モデルなどといった『ステージ』に上がる側(=皆から憧れられる側)の人間に本質的な差はない」ということに「気付く」ことができるのである。
 また、トークショーでも参加者は、モデルが発した「私も昔は、皆さんと同じ女子大生で・・・」などというセリフを聞き、上述のような「気付き」を得たであろう。そして、「もしも、100人のシンデレラがいたとしても100通りのシンデレラストーリーがある。」というタイトルのムービー上映では、「女の子ひとりひとりに、ふさわしい『プリンセス』像が必ず存在する」というようなメッセージを伝えることで、参加者に「自分にも「プリンセス」になる資格はある」という「気付き」を与えるものになっている。
 以上をまとめると、このイベントでの「気付き」は「『プリンセス』になる資格は誰にでもある」ということである。
 では、このイベントにおける「プリンセス」になるための実践は何だろうか。それは、ワークショップで「理想の自分」を視覚化するということである。「憧れの人」や「やりたいこと」などをワークシートに書き出し、「理想の自分」を視覚化することで、参加者は、自分にとっての「プリンセス」像をはっきりと認識する、というのがこのワークショップの意図だ。どんな「プリンセス」になりたいかを認識することによって、自分の理想とする「プリンセス」になるためにはどのような行動をとればよいかということが自覚され、「プリンセス」に近付くことができるのである。
 イベント後にTwitterやInstagramなどのSNSを見てみると、「凄くよい刺激をもらった1日でした」「“ほんの少しの勇気で人生は変わる”ってことを教えてもらった!」(原文ママ)などの投稿がなされていた。これらのコメントを見る限り、参加者である女の子たちは、このイベントをきっかけに「皆から憧れられるような、理想の自分に成長しよう」という意識を持つように“啓発された”といえるのではないだろうか。

表3 )Princess day~乙女の花結~概要 作成者:AOI

〈Princess day~乙女の花結~〉は、参加者を「女の子は誰でも、自分の力で美しくなれる」という考えを持つよう啓発するイベントである。そのために、「普段よりも自分が美しく見えるヘアアレンジレッスン」、「特設撮影ブースでの、プロカメラマンによる写真撮影」といったコンテンツが用意されている。
 このイベントで「プリンセス」がどのように扱われているのか、このイベントで参加者が得るであろう「気付き」はなにかを見てみよう。このイベントでの「気付き」は、ヘアアレンジレッスン後に鏡で自分を見た時に生じる「私は、自分の手で自分を美しくすることができるのだ」という思いである。レッスンでは、スタイリストが2人の主催者にヘアアレンジを施す様子を参加者が見学し、後にスタイリストが行ったヘアアレンジを参考に、参加者が自分で自分自身にヘアアレンジを行うという形式をとる。つまり、参加者が、自らの力で参加者自身を美しくするのである。そのため、ヘアアレンジ後の自分を鏡で見た時、参加者は「自分には自分を美しくする力がある」と「気付く」ことができるのだ。
 では、このイベントにおける「プリンセス」になるための実践は何だろうか。このイベントでの実践はふたつである。ひとつ目は、「参加者が自分の手で自分自身に施すヘアアレンジのレッスン」である。上述のように、このイベントでは、スタイリストが行ったヘアアレンジを参考に、参加者が自分自身にヘアアレンジを行う。自分の力で、自分自身を「美しい状態(=理想の自分)」にすることで、参加者は「プリンセス」に近付くのである。ふたつ目は、「特設撮影ブースでの、プロカメラマンによる写真撮影」である。このイベントでは、プロカメラマンが参加者ひとりひとりをモデルに写真撮影を行ってくれる。その際、参加者は、特設撮影ブースでカメラマンからポーズ指示を受けるなど「ちょっとしたモデル気分」を味わえるのだ。このことによって参加者は「プリンセス=(モデルのような、皆から憧れられる存在)」に近付くのである。
イベント後のTwitterやInstagramなどのSNSでは、「いつもとはちょっと違った自分に出逢える」「楽しかったし、皆キラキラで可愛くて、女子、がんばらにゃー!ってなりました♡」「女の子万歳!!って叫びたくなるイベントでした。」(原文ママ)というような投稿がなされていた。上述の<プリンセスday>よりも小規模のイベントであったが、シンデレラ女子会と同じように女の子たちは“啓発されて”いた。

表4 )ミスキャンパス関西学院2016ファイナルイベント概要 作成者:AOI

〈ミスキャンパス関西学院2016ファイナルイベント〉は、2016年度のミスキャンパス関西学院を最終決定するイベントである。決定に当たってのプロセスは以下のようなものである。まず同年6月、書類審査を突破した関西学院大学の女子学生6人がファイナリストとして選出される。そして約半年間、6人はファッションショーのモデルやイベントMCなどといった様々な活動を行い、その成果をこのファイナルイベントで披露するのである。イベント直前まで行われるWeb投票と会場票と審査員票を合計して、グランプリと準グランプリが選出される。
ここで注目すべきなのは、評価されるのがあくまで「どのように活動に取り組んできたか」であり、見た目の美しさのみではないということだ。つまりミスキャンパスにおいて重視されるのは、外見ではなく内面を含めた「美しさ」なのである。ファイナリストたちの様子を見た参加者は「自分も、努力次第でミスキャンパス関西学院ファイナリスト(プリンセス)のように、内面から美しい女性になれるのだ」と考えることができるように啓発されることになる。
このイベントで「プリンセス」がどのように扱われているのか、このイベントで参加者が得るであろう「気付き」はなにかを見てみよう。 「GIFT」と銘打たれた独自企画では、ファイナリストそれぞれが自ら企画・準備したパフォーマンスが披露された。例えば、自分で作った服を着て行うウォーキングやオカリナ演奏、琴の演奏などである。大きく分けて、自分の特技を見せる(“自分らしさ”を見せる)ファイナリストと、新しいことに挑戦する(新しい自分、理想の自分に“変わる”)ファイナリストがいた。さらにグランプリに選ばれた候補者のパフォーマンスは、その両方の要素を備えていたことも興味深い。このことから、参加者は「“自分らしく”ありながらも、新しいことに挑戦する女性の魅力」に「気付い」たと言える。
また、ファイナリストによるスピーチでは、「ありのままの自分を見せたい」、「ありのままの自分に自信を持ちたい」、「ありのままの自分に自信を持てるように変わりたい」、「理想の自分、新しい自分になりたい」、「こんな自分にできた(こんな自分が変われた)のだから、皆さんにもできるということを伝えたい」、「自分らしくありたい」といったセリフがどのファイナリストの口からも発せられた。彼女たちの中では、“自分らしく”いることと“理想の自分に変わる(成長する)”ことがなんの矛盾もなく同時に成立しているのである。このことからも、参加者は上述のような「気付き」を得たであろう。
 そしてグランプリ受賞スピーチでは、「誰でも思い通りの自分になれる」ということが繰り返し主張された。約半年前まで自分と同じただの女子大生だった女の子が、ミスキャンパス関西学院ファイナリストとして努力を重ねて成長し、ステージで、誰でも思い通りの自分になれると主張する様子を見ることで、参加者は「ただの女子大生が半年間でこんなに変わることができるのだから、きっと自分も変わることができる!」という「気付き」を得ることができるのである。
以上をまとめると、このイベントでの気付きは「ただの女子大生でも、努力次第で、“自分らしく”成長し続ける魅力的な女性になることができる」ということだ。
では、このイベントにおける「プリンセス」になるための実践は何だろうか。実は、このイベントでは、「プリンセス」になるための実践は行われていない。このイベントのメインは「ミスキャンパス関西学院2016を最終決定すること」なので、参加者が何かしらの実践を行うことは難しいのである。参加者にとってこのイベントは、「プリンセス」とはどのような存在で、どのような「選択」をすることによってなれるものなのかということに「気付く」イベントなのだ。
イベント後のTwitterやInstagramなどSNSの反応を見ると、「来年、自分もキラキラした大学生活始められるようにがんばる」「わたしもがんばろ~~」「きっかけくれてありがとう!」「元気もらった」(原文ママ)などという投稿があった。このイベントでもやはり、女の子たちは“啓発されて”いるのである。
以上、プリンセスを題材にした4つのイベントを分析し、そこで「プリンセス」がどのように用いられているのか、ゲストや参加者にとって「プリンセス」的自己啓発はどのような実践を伴うのかを明らかにした。

3-4.調査から得られた発見
先行研究と上述の調査から分かるように、「プリンセス」的自己啓発においても、自己啓発本に見られるような「被啓発者に、ある特定の『気付き』と『選択』の存在をどのように伝えるのか」という論理と、自己啓発セミナーに見られるような「実際に『気付き』を得たり『選択』を行ったりする」という実践が伴う。上述の調査結果を参照すると、「女性であれば誰でもプリンセスになれる」という「気付き」や、「上手に気持ちを切り替える」(河合 2015:36)、「一歩踏み出す」(河合 2015:62)、「根拠のない自信をもつ」(河合 2015:28)といった「選択」と、ワークショップなどで「理想の自分」を視覚化するといった実践が存在することが明らかになった。
また、この調査結果から、ふたつの点で「「気付き」と「選択」の連鎖」が起きていること、および現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」の正体が明らかになった。
まずは、ふたつの点で「『気付き』と『選択』連鎖」が起きているということについて説明する。ひとつ目は、個人における「『気付き』と『選択』の連鎖」である。現代の「女性向け自己啓発」本の読者(被啓発者)は、書籍で述べられている著者の主張から、「プリンセス」になるための「気付き」を得た上で、どのような「選択」をすれば「プリンセス」になれるのかを知る。そしてセミナーで行われていたような「プリンセス」になるための実践を行ったあと、新たな「気付き」を得るために再び現代の「女性向け自己啓発本」を開くのである。この一連の現象は、同じ現代の「女性向け自己啓発本」を読み込むたび、また新しい現代の「女性向け自己啓発本」を読むたび、連鎖的に繰り返される。
ふたつ目は、集団における「『気付き』と『選択』の連鎖」である。現代の「女性向け自己啓発本」を読むことや上述のような自己啓発セミナーに参加することで、被啓発者は、「プリンセス」になるための「気付き」を得、また、どのような「選択」をすれば「プリンセス」になれるのかを知り、「プリンセス」になるための実践を行う。そうすることで「プリンセス」に近付いた(と感じている)被啓発者は、周りにいる女性たちを啓発するのである。
上述の調査では、イベントでの実践を終えた被啓発者が、TwitterやInstagramなどのSNSに「“ほんの少しの勇気で人生は変わる”ってことを教えてもらった!」「女の子万歳!!って叫びたくなるイベントでした。」(原文ママ)などといった投稿をすることで、被啓発者の周りにいる女性たちを無意識のうちに啓発している。すると、被啓発者によって啓発された女性たちが、現代の「女性向け自己啓発本」を読んだり、上述のような自己啓発セミナーに参加するようになる。この現象は、連鎖的に繰り返され、被啓発者は雪だるま式に増えていくのである。この集団における「『気付き』と『選択』の連鎖」が広がるメカニズムは、ネットワークビジネスが広がるメカニズムに通ずるものがある。
次に、現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」の正体について説明しよう。現代の「女性向け自己啓発」における「プリンセス」とは、“皆から憧れられるような、理想の自分”のことである。上述の調査において、「プリンセス」と位置づけられているのは、読者モデルやミスキャンパスのファイナリストなどであった。彼女たちは、少し前までは、被啓発者と同じただの女子大生だった。つまり「プリンセス」として位置づけられているのは、王の娘や王子の妻ではなく、被啓発者にとって「自分よりも1歩先に踏み出している女性」なのである。被啓発者は、このような「自分よりも1歩先に踏み出している女性」に、自分の近未来を想起する。そして、「自分も、努力次第で、彼女たちのような『プリンセス』になれるかもしれない」という「気付き」から、「皆から憧れられるような、理想の自分」を「プリンセス」として定義するようになるのである。
しかし、被啓発者が、「気付き」を得て「選択」を行い、実践を経て「理想の自分」に近付けば近付くほど、個人における「『気付き』と『選択』の連鎖」が起きるため、「理想の自分」のハードルはどんどん上がっていく。すなわち、「気付き」を得て「選択」を行い、実践を経て「理想の自分」に近付けば近付くほど、1歩踏み出せば踏み出すほど、「理想の自分」は遠ざかっていくのである。「プリンセス」になることはゴールではなくプロセスであるため、「プリンセス(=理想の自分)」になることに終わりはないのだ。


4.過去の「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」の違い
 
4-1. “幸せ”の定義の変容
これまでの「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」の違いはいったい何なのだろうか。それを探るために、まずは過去の「女性向け自己啓発」と現在の「女性向け自己啓発」を比較してみよう。
過去の「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」において共通しているのは、“自分らしく”生きることを推奨している点である。過去の「女性向け自己啓発」では「自分が決めたことならどんな結果になろうと諦めもつき後悔はしない」(下重 197:3-5)、現代の「女性向け自己啓発」では「ありのままの自分を肯定する」(ウィザード 2015:62)というように、双方とも“自分らしく”生きることが大切だと説かれている。
一方、現在の「女性向け自己啓発」で一体なにが変わったのか。変わったのは、“幸せ”の定義である。もう一度、過去の「女性向け自己啓発」を見てみよう。過去の「女性向け自己啓発」では、「どんな場合でも自分を捨てずに、自分を見つめ根気よくつきあって」(下重 1978:3-5)いくことが大切だということや、「ありのままの自分を受け入れ、好きになることでしか、私たちは幸せになることはできないのです」(小倉・神宮寺 2004:168)などと説かれている。過去の「女性向け自己啓発」に、「“自分らしく”成長する」「“ありのままの(理想の)”自分に変わる」といった記述はない。
2-3で述べたように、過去の「女性向け自己啓発」においては、“自分らしく”生きることは、「自己責任」「自己愛」「自己準拠」という3つの概念を伴って生きるということだった。それはすなわち、「このまま」の自分に「責任」を持ち(「自己責任」)、「このまま」の自分を愛し(「自己愛」)、「このまま」の自分であらゆる人生の「選択」をする(「自己準拠」)ということであった。過去の「女性向け自己啓発」においては、この3つの概念を伴って“自分らしく”生きることが“幸せ”だったのだ。
一方、第3章からも分かるように、現代の「女性向け自己啓発」には、“自分らしさ”を大切にすると主張しながら、「理想の自分に変わりたい」「成長したい」といった表現も散見される。現代の「女性向け自己啓発」では、責任を持つべきは、自己のプラス面である「ありのまま」の自分であり、「ありのまま」の自分であるからこそ愛することができるので、そんな「ありのまま」の自分へと「自己成長」することが大切だと説かれるのである。すなわち現代の「女性向け自己啓発」には、過去の「女性向け自己啓発」とは意味合いの異なる「自己責任」と「自己愛」、そして「自己成長」が伴っているのだ。現代の「女性向け自己啓発」における“幸せ“とは、“ありのまま”の自分に対する「自己責任」と「自己愛」を伴いながら、“自分らしく”「自己成長」し続けるということなのである。
 このように現代の「女性向け自己啓発」では、“幸せ”の定義が、「自己責任」と「自己愛」を伴った「自己成長」へと変容したのだ。

4-2.「プリンセス」的自己啓発
現代の「女性向け自己啓発」、すなわち「プリンセス」的自己啓発とはなんなのか。先行研究から分かるように、自己啓発には、「気付き」と「選択」そして実践が伴う。これは、過去の「女性向け自己啓発」と現代の「女性向け自己啓発」に共通している。異なるのは、「気付き」、「選択」そして実践の内容である。上述のように、「プリンセス」的自己啓発における「気付き」は「自分(被啓発者)も、努力次第で、『プリンセス(=皆から憧れられる存在=理想の自分)』に成長することができる」というものだった。そして、ここでの「選択」とは、「プリンセス」になるために自己成長に向けて踏み出すことであり、実践とは、例えば「『理想の自分』を可視化する」といった、「プリンセス」になるために行われる具体的な行動である。つまり、「プリンセス」的自己啓発とは、「プリンセス」になる素質を秘めた自分に「気付き」、「プリンセス」になるための「選択」をし、「プリンセス」になるための具体的な行動を実践する、ということなのだ。
そうした「プリンセス」的自己啓発において起きている現象が、3-3で述べたような「「気付き」と「選択」の連鎖」である。特に重要なのは、集団における連鎖だ。それはどういった現象なのか、詳しく説明しよう。
現代の「女性向け自己啓発」本を読むことや上述のような自己啓発セミナーに参加することで、被啓発者は、「プリンセス」になるための「気付き」を得て、また、「プリンセス」になるために一歩踏み出すという「選択」を行い、実際に「プリンセス」になるための実践を行う。そうすることで「プリンセス」に近付いた(と感じている)被啓発者は、SNSなどを用いて、周りにいる女性たちを啓発するのである。すると、被啓発者によって啓発された女性たちが、現代の「女性向け自己啓発」本を読んだり、上述のような自己啓発セミナーに参加するようになる。この現象は連鎖的に繰り返され、被啓発者は雪だるま式に増えていく。これが、集団における「「気付き」と「選択」の連鎖」という現象だ。この現象が起こることによって、「プリンセス」的自己啓発は、より多くの女性たちへとネットワークビジネス的に拡散していくのである。


5.「プリンセス」の行き着く先

5-1.「プリンセス」的自己啓発=経済
 これまで述べてきたことで、「プリンセス」的自己啓発の論理と実践は明らかになった。最後に本稿のまとめとして、「プリンセス」的自己啓発を支えている「経済」に言及しておきたい。
 上述のように、「プリンセス」的自己啓発とは、「プリンセス」になる素質を秘めた自分に「気付き」、「プリンセス」になるための「選択」をし、「プリンセス」になるための具体的な行動を実践する、ということである。これは商業的な側面から見たとき、「第5の経済(変革経済)」ではないかと筆者は考える。「第5の経済(変革経済)」について、パインII&ギルモアは共著『経験経済』で以下のように述べている。

経験をカスタマイズして、その顧客にぴったりの経験をつくり出し、求められているものをズバリ提供すれば、企業はその人を変えるような影響を及ぼさざるを得ない(パインII&ギルモア2005:177)

彼らはとりわけ顧客へのカスタマイズに注目しているが、より重要なのは、顧客自身が主体的に消費に参加することによって、経験をその人自身に意味のある目標や体験に変えることではないかと筆者は考える。つまり、「顧客自身が、イベントやセミナーなどといった実態のない消費に対して、積極的にお金と時間と労力をかけた結果、その消費から得た経験が、その顧客にとってのみ重要な意味を持つ経験となり、顧客を成長(=変革)させる」ということこそ、「第5の経済(変革経済)」なのである。
これを「プリンセス」的自己啓発に当てはめると、顧客が「被啓発者」であり、経験が、「現代の『女性向け自己啓発本』を読んだり、自己啓発セミナーに参加したりすることで「プリンセス」になる素質を秘めた自分に「気付き」、現在の自分から一歩踏み出すという「選択」をし、「プリンセス」になるための具体的な行動を実践する」ということになる。ここでその人自身にのみ意味のある目標として「プリンセス(=皆から憧れられる存在=理想の自分)」は存在している。
 ということは、「プリンセス」的自己啓発は、「被啓発者が、自己啓発本を読むことや自己啓発セミナーに参加することによって、「プリンセス」になる素質を秘めた自分に「気付き」、「プリンセス」になるための「選択」をし、「プリンセス」になるための具体的な行動を実践するという経験によって、「プリンセス」になる(=変革する)こと」に価値を見出した「第5の経済(変革経済)」なのだ。
また上述のように、「プリンセス」的自己啓発において、ふたつの点で「『気付き』と『選択』の連鎖」が起こっていることも明らかになっている。ひとつ目は、個人における「『気付き』と『選択』の連鎖」である。現代の「女性向け自己啓発」本の読者(被啓発者)は、書籍で述べられている著者の主張から、「プリンセス」になるための「気付き」を得た上で、どのような「選択」をすれば「プリンセス」になれるのかを知る。そしてセミナーで行われていたような「プリンセス」になるための実践を行ったあと、新たな「気付き」を得るために再び現代の「女性向け自己啓発」本を開くのである。この一連の現象は、同じ現代の「女性向け自己啓発」本を読み込むたび、また新しい現代の「女性向け自己啓発」本を読むたび、連鎖的に繰り返される。本を買うにもセミナーに参加するにもお金と時間と労力がかかるため、上述のような個人における「『気付き』と『選択』の連鎖」はお金と時間と労力の消費の連鎖であると言える。これは、経済成長のメカニズムと同様である。
ふたつ目は、集団における「『気付き』と『選択』の連鎖」である。現代の「女性向け自己啓発」本を読むことや上述のような自己啓発セミナーに参加することで、被啓発者は、「プリンセス」になるための「気付き」を得、また、どのような「選択」をすれば「プリンセス」になれるのかを知り、「プリンセス」になるための実践を行う。そうすることで「プリンセス」に近付いた(と感じている)被啓発者は、周りにいる女性たちを啓発するのである。
上述の調査では、イベントでの実践を終えた被啓発者が、TwitterやInstagramなどのSNSに「“ほんの少しの勇気で人生は変わる”ってことを教えてもらった!」「女の子万歳!!って叫びたくなるイベントでした。」(原文ママ)などといった投稿をすることで、被啓発者の周りにいる女性たちを無意識のうちに啓発している。すると、被啓発者によって啓発された女性たちが、現代の「女性向け自己啓発」本を読んだり、上述のような自己啓発セミナーに参加するようになる。この現象は、連鎖的に繰り返され、被啓発者は雪だるま式に増えていくのである。この集団における「『気付き』と『選択』の連鎖」が広がるメカニズムは、ネットワークビジネスが広がるメカニズムに通ずるものがある。
以上より、「プリンセス」的自己啓発は、それ自体が経済であると言える。

5-2.終わりなき「プリンセス」的自己啓発
経済とは、社会が生産活動を調整するシステムだ(クルーグマン&ウェルス 2007)。経済は、生産活動を繰り返して、より多額のお金を生み出しながら、成長(=拡散)していく。経済とは、端的に言えば、お金を伴って生産活動が拡大していくプロセスなのだ。
したがって、「プリンセス」的自己啓発が経済である以上、「プリンセス」的自己啓発は永遠に拡大していくことになる。この拡大には、大きく分けて2種類ある。ひとつ目は、個人における拡大である。これは、上述の個人における「『気付き』と『選択』の連鎖」のことだ。ふたつ目は、集団における拡大である。これは、上述の集団における「『気付き』と『選択』の連鎖」のことだ。
以上より、経済としての「プリンセス」的自己啓発に“終わり”はないと言える。

5-3.「プリンセス」的自己啓発が孕む危険性
上述のような「プリンセス」的自己啓発は近年、女性の生き方やキャリア選択に影響を与えるようになっていると筆者は考える。現代社会では、例えば、大学のパンフレットや企業案内でも「プリンセス」的自己啓発を実践している女性がクローズアップされている。このように、「プリンセス」的自己啓発が女性の生き方やキャリア選択に影響力を持ち、女性の生き方やキャリア選択のスタンダードが「プリンセス」となる社会では、結果的に、女性の生き方やキャリア選択における多様性が失われる可能性がある。
本稿で述べてきた「プリンセス」的自己啓発の拡大は、女性から、生き方やキャリア選択における自由を奪う危険性を孕んでいるのである。


参考文献

2015,牧野智和『日常に侵入する自己啓発』勁草書房
2015,河合めぐみ『シンデレラ・メソッド~プリンセスに学ぶ幸せの絶対法則~』かんき出版
2015,ウィザード・ノリリー『私は、ありのままで大丈夫。』講談社
1978,下重暁子『女性24歳からのライフ学』大和出版
1976,安井かずみ『大恋愛―女20歳からどう生きるか』主婦と生活社
1976,犬養智子『いい女のあなたへ―夢見る人生のすすめ』じゃこめてい出版
1987, ピエール・ブルデュー(著)、石崎晴己(翻訳)『構造と実践―ブルデュー自身によるブルデュー』藤原書店
2008,Eva Ilouz、『Saving the Modern Soul: Therapy, Emotions, and the Culture of Self-Help』University of California Press
2016/04/26,東洋経済オンライン『ネズミ講が自己啓発と結び付いた最大の理由』(http://toyokeizai.net/articles/-/114793 2017/01/08にアクセス)
1994,宮台真司『制服少女たちの選択』講談社
2005,吉元由美『「大人の女になれる29のルール―30代から生まれ変わるライフスタイル入門』PHP研究所
2004,小倉若葉&神宮寺愛『25歳からの“自分だけのhappy”をつかむ本』大和書房
2014,井垣利英『プリンセス・マナーブック~上品なのにかわいい~』、だいわ文庫
2014,ウィザード・ノリリー『私に、魔法をかけて Disney Princess Rule』講談社
2015, ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社(監修)『ディズニープリンセス 愛を呼ぶ言葉 本当に大切なものが分かるギルティ』角川書店
2013,PHP研究所(著・編)『ディズニー・プリンセス・レッスン』PHP研究所
2015,上原愛加『世界一!愛されて幸福になる 魔法のプリンセスレッスン』PHP研究所
2005,B・J・パイン&J・H・ギルモア(著)、岡本慶一&小髙尚子(翻訳)『経験経済』ダイヤモンド社
2007,ポール。クルーグマン&ロビン・ウェルス(著)、大山道広&石橋孝次&塩澤修平&白井義晶&大東一郎(翻訳)『クルーグマン ミクロ経済学』東洋経済新報社
2016,ミスキャンパス関西学院2016実行委員会(編)『ミスキャンパス関西学院2016フリーペーパー』

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