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新年早々の炎上、西武そごうの広告について思うこと

ご挨拶と新年の抱負を書いて、次は何を書こうかなと迷っていたら、そごうの広告が炎上した。
せっかくなので、他のネタはさて置いて、これについて書こうと思う。

この広告の存在を知ったのは、みんな大好きTwitterだ。
正月休みの真っ最中、実家でゴロゴロしながらTwitterのタイムラインをスクロールしていたら、以下のようなツイートを見つけた。

このツイートに添付されている画像が、問題となったそごうの広告。
賛否両論あるようで、さらにツイートを検索すると、憤っている女性やら「これで伝わらないのか」と嘆く広告屋さんやら、多くの”声”を目にすることができた。
この広告についてより詳しく言及するnoteも見つけた。

自分も色々と考えることがあったので、ここに書き残しておきたい。
まずあたしが言いたいのは、あたしはこの広告に「男尊女卑」や「女性差別」といった類のものは感じなかった、ということだ。
あたしがこの広告から読みとったメインメッセージは「女性差別はもちろん、男性差別と(一部で)呼ばれているものもなくし、男女という括りを超えた”個人の時代”をこれからみんなで作ろうぜ!」ということだ。
「時代の中心に、男も女もない」という箇所から「女性差別も男性差別も、もっと言えばLGBTをはじめとした性的マイノリティへの差別も良くないよね」という主張を読み取ったし、「来るべきなのは一人ひとりがつくる、「私の時代」だ。」という箇所から「性別なんかで差別されない、平等で健全な社会をこれから各人それぞれの努力で作っていこうよ!」というポジティブなメッセージを受け取った。

しかし、前述のように、この広告に「女性差別だ!」と感じた人もいたようだ。
あたしが彼ら(彼女ら)のツイート等から読み取った、彼らの主張はこうだ。
「「時代の中心に、男も女もない」「わたしは、私に生まれたことを讃えたい」「私の時代」という表現は、今ある女性差別はとりあえず横に置いて(もっと言えば、仕方ないことなので諦めて)個人で頑張っていこう!ということを言いたいのではないか。それは現在、実際に存在する女性差別を肯定・助長している!」
・・・なるほど。
あたしは上記の主張を初めて見た時、自分の解釈とあまりに異なっていて「・・・なるほどね?」としか思えなかった。
た、確かに、そう読めないこともない、ないけれど、でもなんで、わざわざそんなネガティヴな解釈をしたんだーーーー?

それからも色々と考えてみた結果、2つの理由が思い至った。
1つは、この広告に使われているビジュアル。
パイを投げ付けられ、顔や服を汚されながらも、抵抗もせず立っている(ように見える)女性。
このビジュアルから「虐げられる女性」「加害されても抵抗しない(できない)女性」というイメージ、「女性は、現在、社会に存在する女性差別の解決を諦め、我慢することを選択すべき」というメッセージが伝わってしまったのではないだろうか。
あたしとしても、なぜこの広告にこのビジュアルが使われたのかはよくわからない。
(あたしが解釈した通りのメッセージを伝えたいのだとしたら)コピーと合ってないように思うし、ショッキングでインパクトはあるかもしれないけれど、それだけだ。
このデザインならきっとコピーよりもビジュアルの方が印象に残りやすいだろうに、なぜこんなビジュアルにしたのだろうか。
このビジュアルが要らぬ誤解を招く一因になっていうような気がしてならない。
2つ目は、コピーに表現されているメッセージの不足である。
これはこの広告に憤っていた方々も主張していたことだが、「個人の時代」とやらが訪れるためには、まず今存在する差別問題を解決しなければならない。
女性差別が存在する社会→女性差別問題の解決→男女差別のない、個人の時代 という”順番”があるはずなのだ。
だが、この広告のコピーは真ん中の「女性差別問題の解決」をすっ飛ばし、女性差別が存在する社会(コピーでいうと、「女だから〜」の部分)→男女差別のない、個人の時代(コピーでいうと「時代の中心〜」あたり)という構成になってしまっているのである。
真ん中のメッセージがないせいで、「女性差別問題が解決してないのに、”男女平等の個人の時代”なんて訪れるわけがない。この”個人の時代”って、社会としては女性差別問題の解決を諦めて個人でなんとか対応していく時代ってことじゃないの?」という解釈が生まれたのではないだろうか。

あたしは、広告は「理想を見せる」(理想=商品やサービスの広告で言えば、その商品やサービスが利用され広まることによって生まれる”より良い社会”)、または「辛い現状を否定する」(商品やサービスが解決するであろう問題を否定する)表現をすべきものだと考えている。
たとえ限りなく”リアル”でも、辛い現状をそのまま描いてしまうと辛い現状を”肯定している”と捉えられかねない。
(「ワンオペ賛美か!」と叩かれまくったムーニーのCMを思い出してほしい)
「理想」または「辛い現状の否定」、どちらかのメッセージであれば、シンプルだ。
今回であれば、「個人の時代を作っていこう」または「女性差別はいけません」。
これならわかりやすいし、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、この両方を入れ込むとなると難しい。
もし(今回のように)現状の否定からいきなり理想に飛んでしまうと、現状に存在する問題(解決)の扱い方が見る側にほぼ完全に委ねられてしまう。
つまり、人によって(そして現状の社会のありようによって)問題を「きちんと解決した上で理想の社会を実現すべき」というメッセージとして受け取る人と、「諦めて、もしくはなかったことにして理想の社会(のようなもの)を作っていく」というメッセージとして受け取る人が出てきてしまうのである。

近年、様々な広告が炎上し、数日で公開中止になったり謝罪騒ぎになったりしている。
だが、その広告のほとんどは”炎上”目的で作られたものではないだろう。
もちろん、今回のそごうの広告も含めて、だ。
今回はこのように炎上してしまったけれど、これを機にそごうやこれを見た他の会社等が「炎上が怖いから、このようなテーマの広告はやらないでおこう」と思ってしまったとしたらとても残念だ。
たとえ炎上したとしても、このような広告が表に出ることはそれだけで価値があると思うからだ。
社会の関心を全く引かないであろう事柄を、企業がわざわざコストをかけて広告にするわけがない。
こうやって話題にすることが”問題の解決”に繋がっていくとあたしは信じている。

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