人はなぜ悩むのか

0.悩むことが悪いと思っている
(極論、一生悩んでおけばいい~人は別に悩むもの、である。
→ここで言う「悩み」とは「考える」とは
※「考える」と「悩み」の定義は
考える:その出来事を苦しんでいない/「考える」ということが時間の使い方である(解決するというよりも、結果や答えを純粋に感情抜きで探している)
悩み:その物事が「苦しい」/解決したい

1.「0」と似ている感じで、その「悩み」そのものの解決方法を知らない
※その現在起きている出来事(悩みに通じるもの)の解決方法ではなく、「悩んでいる」と言うこと自体の解決方法(気の反らし方・やり過ごし方・人生の中のパーツとしての取り入れ方)を知らない
※悩みそのものは「見方を変えるだけで、出来事が変わっていなくても全然違うものとしてとらえることができたり、そこからアイデアが浮かんで別の視点になることも多くあるので、」特段そこに視点を置いて解決する必要がない

2.「1」に付随して、そもそも、なぜ自分を大切にしないといけないのか(気分良く過ごす必要があるのか・褒めないといけないのか)わからない/気分を変えてもいいのか不安(そもそもそんな視点がない)
→あえて自分を辛い状況に陥れる必要はない(それは、現実的にも、脳内的にも)/いわゆる、「自分が自分を悩ませ、その結果、苦しめている」が、
そもそも「そんな視点を知らない」~そして、ループで「なぜ自分を幸せにしなければいけないのかわからない」という流れに陥る

→これは、純粋に「その方が幸せじゃない?」という問いだけに戻る理論な気はするが。/そんなことをしていいのか?という問いには、「やってみたらいい」という答えと、「それで本当にうまくいくのか?」という問いには「うまく=人が言っているうまく、ではなく「自分的にどうなのか」という視点で見ていくことが大切と思う。

※こうなるループは
今までの教育の弊害とも言えるし、そういう発信をしている人を見ても、少数派だったり、過去の弊害によって、信用できない・それをすることへの恐怖という、ただ「今までやったことがないから怖い」という「それだけ」のような気もする。(例えば、ジェットコースターに初めて乗るときはいろいろな人からの情報で必要以上に怖さを感じているが、いざ乗ってみると「あれ、そんなもの?」みたいな感じと似ている/それでも怖い人は、これはもうただの個性と言うか、自分にとってそれはダメだった、というだけのこと)誰も否定していないし、ただそれだけのこと。

究極的には「悩んでいる(そういうことをしている/考えている)自分を受け入れられないから」というだけの話なのかも。

悩みって本当にただこれだけな気がするなぁ・・・・・

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