地域日本語教育講演会に参加したこと

この記事は やさしい日本語 Advent Calendar 2021 の第5日目の記事です。

12月4日の「地域日本語教育講演会」のことです。弘前大学名誉教授の、佐藤和之氏の話を聞くことができました。「やさしい日本語」を深く知ることができました。考えたことを3点書きます。

やさしい日本語と「やさしい日本語」

やや不親切な書き方で恐縮ですが、カギかっこ「 」のある・なしについてです。

佐藤氏は「やさしい日本語」の現状を、次のように分析していました。(番号は筆者による)

1.災害時に用いられる「やさしい日本語」(カギかっこ有り)

2.災害時に限定せず使うやさしい日本語(カギかっこ無し)

2は、4種類あると考えられる。
2-1.ニュース(NHKなど)
2-2.行政文書(市役所など)
2-3.観光(柳川市の取り組みなど)
2-4.医療現場(順天堂大学の取り組みなど)

で、なぜ「」付きにして差別化が必要なのか、という疑問が出ます。

答えとしては、「外国人を安全な場所に誘導すること・支援が始まるまでの命を繋ぐための日本語は、その用途にしか用いない特殊なものである」という考えからでした。
行政用語や医療用語などは確かに重要ですが、平時の翻訳の感覚・習慣を適用したままだと「緊急時に日本語が難しくなる可能性が高い」との分析です。

よく言われる「12の規則」、「日本語能力のN4レベルまでの語彙に絞る」「1文を24拍以内にして、緊急時のアナウンス原稿とする」などの基準を挙げていらっしゃいました。これらをガチガチに適用した「やさしい日本語」は、観光・医療用語の説明にはおそらく向かず、用途が違うものだと考える方が良いため、「」をつけて区別しているというお話をいただきました。

実際に、阪神淡路大震災での反省から生まれたものですから、緊急時に対応できるものにデザインするのは当然です。特殊性が高いのもまた当然。「高台へ避難しましょう」「この水は…飲めないこともない」といった言葉から混乱が起きたとか起きなかったとか言いますし。理解できる主張でした。

補足:

「高台へ避難しましょう」→「高台」「避難」は比較的難度が高い。例えば、「高い所へ逃げてください」とする

「この水は…飲めないこともない」→「ないこともない」は二重否定なので、例えば「この水は飲むことができません」とする

なお私自身は、恥ずかしながら「 」をほぼ意識してこなかったので、改めて考えさせられた次第です。日々勉強ですね…。

また、私がこの差別化を咀嚼するのに、ある程度努力が必要だったことも申し添えます。私はいくつかの「役所のやさしい日本語化」に対応してきた人間です。「」の差別化を示されたとき、第一印象としては、いわば「やさしい日本語には本家と分家がある。今は本家の話だ」とでも言われたように感じた瞬間がありました。ただ、「やさしい日本語」を扱う人がこんな党派根性を抱くのは無意味なので、冷静に咀嚼し、レポートとしてまとめ直したものが前段の記述です。書いて考えをまとめるのも、やはり大事です。

「やんしす」の話

このソフトウェアは、「やさしい日本語」を記述するための補助を行うソフトウェアです。

やんしす」の話が出ました。一応紹介。

「やさしい日本語」としての文になっているか、チェックできるシステムです。翻訳ではなく、チェックして判定結果を出してくれます。

これも非常時を意識したものとなります。「やんしす」は端末にダウンロードしてあれば使えます。災害時にはインターネットにつながる可能性が低いため、スタンドアロンで動く想定だそうです。

電気があれば良いため、非常時の情報提供の内容を、やさしい日本語かどうかチェックできるというわけです。

(スマホでも使えますが、開発都合で対応はアンドロイドのみだとか。)

自分の仕事の話になる

さて、筆者が関わっている「伝えるウェブ」は、ウェブサイトのテキストに対し、自動で「ルビふり・分かち書き・やさしい日本語への変換」を行うというものです。また「エディタ」がついており、手作業のルビ振りなども省力化できます。自治体を中心にご利用いただいています。
これはインターネットに接続できる状態で利用するものです(当たり前ですね)。

試しに、災害時の、「」付きの、「やさしい日本語」対応を考えてみたいと思います。こうです。

・変換は「災害時の語彙」にのみ特化

・エディタのルビ振り・分かち書き・独自の難易度チェック機能

・スタンドアローンでの利用を想定(アプリ?)

・B to C?

(結構いろいろ考える必要がありそうですね。類似のものとか、もうあるのかな?何も調べずに勢いで書いています。)

まとめ

東日本大震災の際に「やさしい日本語のアナウンスに安心できた」という外国人女性の声が、佐藤氏の講演に取り上げられていました。

佳話です。やさしい日本語も「やさしい日本語」も、こんなふうに、言語・情報環境を少しでも良くするためにあるんですよね。

目から鱗だったのは、「やさしい日本語」で避難指示が通じることによって外国の人が「多言語による避難誘導スタッフ」となってくれる可能性が上がり、外国人の2次被害を飛躍的に抑えられるという分析です。

今の日本にどのようにやさしい日本語と「やさしい日本語」が必要とされるのか、もっと考えを深める必要がありそうです。

きれいにまとまったかは知りませんが、以上です。





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