父として。モンゴルマンと拳骨。
子供の頃、授業参観日に父が来てくれた事があった。
国語の時間だったか、道徳だったか。その日、私 ─── 小学校低学年の少年が、お行儀よくしていたならこの思い出は無い。
教科書に落書きをした。当時『キン肉マン』にはまっていた私は、挿絵に大きく描かれた人物の顔にモンゴルマンの柄を描き込んだ。衣装を変え道具を持たせ ─── 友達のNくんとふざけていた。彼も自分の教科書に落書きし、見せ合いっこしてくすくす笑っていた記憶がうっすらと有る。
はしゃいでいたのかもしれない。父親の見ている前で真面目に授業を受けることなんてこそばゆい。でも嬉しかったんだと思う。
家に帰ると、隕石直撃の如き衝撃が私の脳天を見舞った。父の拳骨だった。私は泣いた。
その瞬間までそんな事が起きるなんて想像していなかった私は、痛さと驚きとショックで、かなり泣きじゃくったように思う。私を庇う母に向かって、父が「落書きしてふざけていたんだ」というような事を言っていた。
でも今になってふと。なぜ母は家にいたんだろう?父は休日だったのだろうか。という事は土曜日か。
妹が3、4歳の頃。とするとどちらかが家で見ていなければならなかったはずで、そして参観を、父が望んだのかもしれない。夫婦で相談してそういう事になったのかもしれない。
とにかく父にとっては初めての息子の授業参観で。スーツを着、父として、息子が勉学に励む姿、その背中を見守…れなかった。見せられなかった。
がっかりしたろうか。恥ずかしかったろうか。きっと当時も忙しく仕事を頑張っていたであろう父が、息子はこんななのかと、自分を恥じたり責めたり怒りを向けたりしていたかもしれない。全て推測だけれど、結果として隕石は落下した。とにかくこれではいけないという思いが父にはあったんじゃないかな、と今にして思う。
命じられ、授業の復習をした。教科書の鉛筆書きの落書きを、泣きながら消しゴムで落とした。記憶はそのあたりで途切れているけれど、あの場面は脳天に痛みと共に刻まれた。ショックそのもので泣く事しか出来なかった、浮き足立った気持ちの上空から地中に埋められるようなあのとんでもなく強烈な一撃も、「あれが大人の全力のわけがない。」「色んな思いと子供を怪我させない、絶妙に加減された拳だったんだ」と、今は自然にわかる。
父が授業参観に来たのは、そして拳骨で殴られたのは、それがきっと最後のこと。
ちなみに父は健在で、定年してからは趣味で仏像を粘土で作り始め、木彫りを勤しみ、絵を描いたりしている。私も絵を描く事はやめず、絵によって妻と知り合い、今では愛しい娘を描いている。
拳骨された痛さと悲しみだけを覚えていたけれど、あの時 父は、母は、幼い妹はどうだったのかな、なんて事は、今になって初めて思い至った事だった。
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