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毎週土曜のぼくたちのエチュード

イノチココノツ が終わった実感もないまま新しい生活が始まろうとしているが、新しい生活が始まるという実感もない。

小学生〜中学生くらいの時、ちょっとした児童劇団に所属していたことがある。エンターテイメントビジネスとは無関係の、児童生徒のための劇団で、私はかなりそこで自由にやらせてもらって、今の私があると思っている。その劇団は年1で定期公演会があるほかは結構自由で、劇団らしく先生から与えられた短めの台本をやることもあれば、人狼をやることもあるし、室内でドッジボールをすることもあった。下は小学三年生、上は中学三年生。「演じる」ということに捉われず、等身大の自分のからだを使って等身大の自分の内側をシームレスに表現する助けとなるようなワークショップが多くて、全部楽しかったのだけど、その中でも私は即興劇がすきだった。

即興劇には絶対のルールが二つある。ひとつは、「お題」。たとえば「最後は全員死ぬ」というお題だったら最後は「絶対に」「全員が」「死んで」いなければならない。もうひとつは、「イエス、アンド」。簡単にいうと他の演者のどんな演技も否定せず「受け入れて(イエス)」、「つなげる(アンド)」ことで、演者全員がこれを繰り返して物語を創っていく。与えられた絶対を守りながら、それ以外の部分でうまくやって、中だるみせず、それなりにまとまった終わりへと向かっていく、というのをやる。今から即興劇やります!やりたい人挙手!じゃあ君と君と君と君!前出て!「最後は全員死んでください!」よーい、スタート!というスピード感で。これが実際、頭壊れるくらいに楽しい。

即興劇というのは台本がない分自由だと思われてしまうことも多いのだけど、実際は笑っちゃうくらい全然自由ではない。お題から逆算して起承転結を各々で考えても、他の演者の演技に合わせて瞬間的に自分の予定する結末の軌道を修正したり、切り捨てたりして、概ねできてきた物語の流れにおける自分の役割を感じ取って、受け止めて、巻かれて、思いついたことはすぐ表現して、かつなるべく自分のキャラクターは物語を壊さない程度に主張するというのをやらなければならない。そして、即興劇は自分のことしか考えてないやつがひとりでもいたら、すぐに壊れる。
即興劇というのは「演じているひと」と、「演じているひとが頭をフル回転させているのを見て楽しむ、演者でもあるひと」のためのもので、そこから生まれる物語に必ずしも意味や価値があるわけではないと思う。だから即興劇はまじで楽しいけど、まじで金にならないなとも思う。

演劇採算話に逸れてしまったので戻しますが、即興劇の「イエス、アンド」という考え方が私はだいすきで、人生でちゃんとやりたいことで、そのやりたいことが、少なくともイノチココノツ ではやれたなあ、と満たされた気持ちでいます。やれた、というよりやらせてもらえた、という方があっているかも。
メヰドたちやイノチココノツに遊びに来てくれたひとたちのなかに、水面下的な競争も、よく見られたいと思うひともなくて、みんなが私と一緒に、「イエス、アンド」を真っ当にやってくれたからこそ、あんなに楽しい店が生まれたんだろうとつくづく思う。私が前働いていたお店で、同じ空間にはいたけど顔見知り程度だったひとたちがイノチココノツで一緒にひっくり返るほど笑っていて、メイド服を着る会でみんなノリノリでメイド服着て、編ちゃんが買った絵本を全力で羨ましがって、川に飛び込んで生まれた恋に、現在進行形で進んでいる恋に、他店のキャストさんのちょっとえっちなチェキに、みんなでキャーキャー言った。私も楽しかったし、毎週自然と集まってきて勝手にめちゃくちゃ楽しそうにしているみんなを思い出して、イノチココノツをやってよかったなと心から思います。

イノチココノツは終わって、私は就職して、土曜の魔法も思い出に変わっていく。文字を書くのはすきなので、今はエッセイをたくさん書きたいなと思っている。文フリとか出てみたいなあ!

今まで関わってくれた全ての人に感謝申し上げます。ありがとうございました!あかりでした!

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