私があの時の感情を取り戻したとき
今日は前回の続きを綴っていきたいと思います。
あの時の感情を取り戻すってなんだろう??
これまでの私のインナーチャイルドワークの経験の中から、
印象に残っている体験の一つを書いていこうと思います。
それは現在学んでいる「ハートで学ぶチャクラ心理学」での講義を、
動画で見ている時のことでした。
「境界線」についての内容が語られている時でした。
自身の境界線が適切に守られず、
侵入を受けながら傷ついて成長した大人が親になった時、
自分の子どもにも、同じように彼らの境界線を易々と超えて
知らぬ間に傷つけている。
それは、人が成長していく過程で「私が私」として認識しながら生きてく土台にもなる「健全な自我」が育まれていくことに傷をつけてしまうことにも繋がっていく。
それはしつけという名の「精神的虐待」でもあるのだと。
その中で「感情的境界線」「身体的境界線」
が侵されていたのだ、という事実に気づき、
そこにまつわる過去の出来事が急に思い出されたのでした。
徐々に呼吸は早くなり、感情が溢れてきそうな感覚がやってきました。
講義の動画を見続けるのが難しくなってきた為、
一度パソコンを閉じて、呼吸を整え、
溢れてきそうな感情(チャイルド)にフォーカスしました。
小さな女の子でした。
母に駄々をこねていたのだと思います。
堪忍袋の緒が切れ、自分の感情をどうすることもできなく、
パニック状態になった母は私の体を叩きました。
女の子(私自身)は「ごめんなさい。」と泣きながら
何度も謝って許しを請うていたのです。
そして部屋の隅っこで膝を抱えて泣いていたのでした。
そして思い出したのです。
私はあの時、痛かった。
叩かれて体も痛かった。
心も痛かった。
「許してください」ではなくて、「もうヤメテ!」って言いたかったんだ。
悲しいし、苦しいし、怒っていたんだ。
その出来事をを追体験するかのようにリアルに思い出した時、
涙と共に一気に感情が流れ出したのでした。
同時に自分自身に、
そして私自身の中で、何が起こっていたのかを、
初めて「認知」したのでした。
これまで抑えていた蓋が外れ、ありのままに起こっていた現実を見た。
感じた。知った。という感じでした。
というのも、当時幼い私がこの痛みを感じ続けることは
とても痛すぎて、危険なことだったと思うのです。
なので自分自身を守る手段(防衛)として、ほどほど程度の思い出にして、
残りには蓋をし、実際に私の中で起こっていた事実を
曖昧にしていたのだと思うのです。
そして時が流れ、そんな出来事もあったよね。
という位にまでとどめておくことができたものの、
蓋のすきまからは、静かにガスは漏れ、
私の意識には及ばないところに、作用を始めていたのです。
それらが「トラウマ」と呼ばれるもので、
そのトラウマによって、なんとかこれまで生きてこれた人たちを
「トラウマサバイバー」と知ったのは、この数年のことでした。
そして一生懸命トラウマに蓋をしている時は、
いや、私にはそんなことはない!
あの出来事は私にとって、大したことではない!
考え方を変えればなんとかなる!
いつまでもそんな子どもじみたことを言っていても、先に進めない!
私はトラウマサバイバーなんかじゃない!認めたくない!
と、主張したくなる感覚も同時にあったことを思い出すのです( ̄▽ ̄;)
臭い物には蓋をする(ありのままを認めたくない・知りたくない)
・・・ということですね(^^;)
まず、この言葉を私自身に贈りたいと思います ^^) _旦~~
そしてもし、このブログを見て下さっている方で、
自分にもあてはまるかも!?と思われる方がいらしたら、
その方にもこのメッセージを贈らせていただきたいと思います。
次回は、「痛みへの保護と和解。そしてその痛みが教えてくれたこと」を
綴っていきたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございます。
それでは~~(^_^)/~
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