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泣きの強要

こんばんは、紙谷です。
今日突然の雨がありましたね!
昨日は変な雷(雲放電というらしいですね)があったり、秋に向けて天気が目まぐるしく変わっていますね。

実はしばらく在宅勤務になることになったので、しばらくは不定期で書きたい時にいろいろ書こうかなと思います。

今日はこの間見たテレビの話を。

Eテレの「もやモ屋」という番組の話です
小学生の道徳などで用いるような10分の番組です。

「アリとアイスクリーム」
という作品の話をしようと思います。
(映像公開されているので良ければ是非見てみてください!

主人公の女の子の祖母が亡くなり、仏壇の前で泣いている父を見かけることから始まります。
学校で友達に「泣いた?」と聞かれ、「泣かなかったよ」というと、「なんで?」と聞かれ、死について考える、というような話です。

これ見てて気になったのは、女の子の友達が「なんで泣かないの?変だよ!」ということです。

まず一つは、「泣く」に対する価値観
悲しかったら泣くもの、という認識しかないのはゆがみですよね。
みんな小学生ですから、泣く=悲しい、辛いという認識が大きいのは仕方ないかなという気もしなくもないですが、
だからといって悲しいと結びつく行動が泣くしかないわけがないのです。
泣く=悲しい、辛いが、いつのまにか悲しい=泣くにすり替わっているのかな?と思いました。
小さい頃なんていうのは視野が狭いですから、
マイノリティであることは異常とみなしますもんね。

そして「泣くこと」に対するハードル
これは悲しく思うかどうかではなく、涙が出やすいかどうかみたいなことを言いたいです。
私は比較的すぐ泣くのですが(若い子が頑張っている姿とかで容易に泣く)、そうじゃない人のほうが多いですよね。
例えば「感動した」時にそれがどこに現れるか。私は涙が出る、ですけど、人によっては震えたり、鳥肌が立ったりいろいろありますよね。
その感情の表現として、泣くことの優先順位が高いかどうかが関係してるのかな、と思ったり。
優先順位というのは「こうしたい」の優先順位というより、「こうなってしまうんだよね何故か」という意図の優先順位です。

この「アリとアイスクリーム」は、どちらかと言うと死に対する価値観みたいな話をしたかったんだと思うんですけど、
思わず気になったので脳の整理も兼ねて書いてみました。
多数と違うことを変と見なす当たり前が無くなるといいですね。分かり合えなくても、受け入れられるようになるといいなと思います。

飽きてきたのでこの辺で!
もやモ屋は結果や回答が視聴者側に委ねられているので、また書くかもしれません。
好きなタイトルのやつもいくつかあるので!

写真は喫茶店のパスタです

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