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医師とハサミは使いよう 専門医ができるまで その1

専門医の選び方

1.専門医ができるまで-研修編-

2004年までに国家試験に合格した医師の場合

 私が医師になったのは20世紀末ですが、2004年までは医大を卒業して国家試験に通るとほとんどの医師は大学医局の門を叩きました。出身校の医局に入る者も多いのですが、他地域出身の先生は地元(多くは医師である親の出身校)の大学で研鑽を積みます。特に都市部の有名大学では入局希望者が殺到するので、たくさん研修医がいると指導する先生が足りなくなります。そういう場合は関連する大きな病院に出される事もありますが、大きな病院で研修を始めることは同じです。

 どちらにせよ、先に専門を決めてから医師人生が始まる訳ですが、専門の決め方にもいろいろあります。例えば心臓外科には成績優秀な人しか入れない、ということはありません。私の出身校では心臓外科は常に人手不足で誰でもウエルカムでした。卒業が近い6年生には各医局(臓器別の科目の集まり:教授を頂点とする医師集団)が医局説明会を開いて新人医師の勧誘をします。一般企業のリクルーターと同じです。

 初めから行く科目が決まっている人(多くは開業医の子弟)もいれば学生時代のクラブの先輩に誘われる人、彼氏・彼女と同じ科目を選ぶ人もいます。『ウチの科目はしんどい当直がないのでラクだよ』『女の子がたくさんいるよ』『体力がなくてもできるよ』という誘い方をしている科目もあります。

 私は私立で授業料が安くない医学部に行っていたので、授業料が払える人はそれなりに限られていました。半数以上は医師の子弟で、残りは会社の経営者などでした。そんな中、開業医の子弟は親の開業科目を選ぶことが多かったように思います。
 他地域から来ていた学生は地元に戻ったり戻らなかったりします。都会の医学部は若い医師にとって医療技術や生活の面で魅力が高いのでしょう、都会で働く研修医が集中しがちになることは普通の若者と変わりありません。

 こうして医局に入局して医師人生が始まると、まず専門医としての教育を受けます。専門といっても基礎も何もできていないのですから、いきなり大きな事はできません。まず、点滴、カルテの書き方診察の仕方、知識だけでない実際の患者を目の前にした診察の仕方といった、どの医師にも共通するマナーを半年から一年ほど学びます。

 軍隊に入ると医師は士官・将校の立場に立つのですが、現場の兵隊の動きが分からなければ将校の働きはできません。後に将校として働けるよう、まず兵隊として基礎を固めるわけです。

 ある程度医師としてのマナーが出来上がると院内研修に出ます。外科系なら麻酔科、救急科、内科(その逆もあり)に内科なら小児科、放射線科、他の内科など、医師の幅を拡げます。ローテーションというのですが、3−6ヶ月程度、各科を回ります。

 とは言っても例えば眼科の医師が麻酔科を回る場合、回ってくる医師が『本当は麻酔科がしたかったが親の都合で、眼科に行かざるを得なかった』場合と『麻酔科は仕事の仕方も時間の進み方も違うので早く眼科に戻りたい』場合では研修に対する熱量は自ずと違います。

 逆に教える側の熱量も違う場合もあります。ローテーション先の指導医は『どうせこいつら一所懸命教えても、自分の科目に戻るから自分の仕事はラクにならん。ホドホドでええやろ。』というお客さんモードで接する事も多いのですが、クラブの先輩後輩の間なら指導医がそれなりの時間をかけて得たコツを教えてくれたりする場合もあります。
ローテーション期間をやり過ごすか、実りあるものにするかは、本人のやる気と人間関係次第というわけです。

 軍隊でも作戦を遂行するには歩兵隊、砲兵隊、航空隊と他職種との連携が必要な場面が多くあります。病院でもいろいろな病気を持って入院している人は多く、それぞれの病気に対して共同で治療を遂行するため他科との連携は欠かせません。派遣元では兵卒ですが、ローテーション先の現場で派遣元の科目の協力が必要なときには、問題を解決してくれる先生に状況を説明する連絡将校としての役割も担います。
派遣先では連絡将校を怒らせて、その元締め(派遣元の教授をはじめとする上層部)が怒鳴り込んでもいけないので、ローテーション先の指導医が『おいおい』と思っても、上層部まで波及するような問題にならない限り、厳しく注意する事なくお客さんとしての期間が過ぎるのを待つのです。

 3ヶ月や半年で派遣先でいろいろと身につけても進歩の早い医療技術のこと、徐々に覚えたことは古くなってしまいます。その後何十年も続く専門医としては他の分野にも精通しようとすれば、自分の専門の他にも勉強し続けないと使い物になりません。

 はっきり言って医師の専門性という面からとらえると、この、ローテーションは意味がないようですが、効能はそれだけではないと思います。

他科医師との人脈を作るという意味の他
・配偶者選びによい時期を作ること
・監視がなくてもきちんとできるかを派遣元の上層部が確認する
・洗脳してから他科に武者修行に出す事によって自分の科目の居心地の良さを再確認させる
・他科に未練がある者をあきらめさせる
医学部はそこそこ学校に出て勉強しないと卒業するのが厳しいので、他学部の学生のモラトリアム(一時猶予:自分探しの時間)的な期間がありません。研修期間はそのための大事な期間なのです。

 この時期になると新人医師としての堅さがなくなり、派遣元では『アホ、ボケ、カス!』と言われて送り出されていても派遣先では『○○科の先生』として頼られます。(実際のところは問題があれば対処してくれる指導医への連絡手段としてですが)そうなると俄然自信もついてさらに頼りがいのある医師に成長します。

 派遣先の専門としてはさほど重視されず、自分がいなくても十分仕事が回る状態で、派遣元の監視も外れている。非常に美味しい状況です。
さらにローテーションを受け入れている科目は、1人引き受けるのも2人引き受けるのもさほど手間は変わりません。基本的には『やりたいヤツは勝手に付いてこい』という世界でカプセル怪獣※以上の働きは期待されていません。こうして、派遣先で同年代の他科の医師と情報交換をしたり、異性の医師と必要以上に仲良くなったりもします。
※ウルトラセブンに登場する、主人公が変身できない状況の時に時間稼ぎのために戦わされる怪獣。ポケットモンスターの元ネタになった。

お金はまださほど稼げませんが、悪い遊びもさほど覚えておらず、若さもあり、将来性もあるるので、コメディカル(看護師、技師、事務員などの病院職員)も含め、医師の一番のモテ期はこの辺りと思います。(この時期に婚期を逃すと遊び慣れしている、先が見えるようになるので30を過ぎると縁談はグッと減ります。)

 こうしてパラダイスな時間が終わると派遣元に戻ります。そこで大学院に行って博士号の取得を目指すもの、目指さないものに分かれて専門医の取得を目指し、研鑽を積んでいきます。

2004年以降に国家試験に合格した医師の場合

 2004年から診療に従事しようとする医師は、2年以上の臨床研修を受けなければならない、とされました。

 その背景として、厚労省のHPを見てみると
・医師が都心に偏り専門バカが増えた
・医師の身分が研修生であったのが労働者として扱うべきである
・大学病院は閉鎖的で、研修内容、成果を見える化すべきである
ということのようです。

 従来は大学医局の教授が人事権を持って、関連病院に(研修)医師を差配するという図式でしたが、ゲームのルールが変わりました。大学病院という医師の卸売業者が研修機関としての役割を概ね独占していたのが、規制緩和によって独占できなくなってしまったのです。

 大学病院にとって研修医とは、ある程度のトレーニングをしたうえで専門医の指示が、あればそこそこ使える安い労働力です。
その労働力を半ば独占していたのが他所に開放しなくなったため、労働力が足りなくなりました。研修医でない医師を大学に呼び戻す事で、引き抜かれた病院は医師が足りなくなり、大学以外のところで医師を調達する必要が出てきました。特に自院で研修医を受け入れるほどの規模はないが、大学に医師の派遣を依存していた病院は大きく影響を受けました。
今までは割合と抑制的であった医師労働市場もエムスリー(株)などの医師紹介会社によって、流動化するようになりました。

 ともかく臨床研修の必修化ということですが、内科6ヶ月、救急3ヶ月、地域医療1ヶ月の研修が必須となりましたが、今までもあったローテーションの義務化という側面が大きいと思います。ともかくいろいろな科を回ってから専攻科を決めるということでは普通の学生さんのインターンシップに近いかも知れません。

 先ほども書きましたが研修するにあたっては、内容を自分のものにする、という熱意が必要です。きちんと指導するには手間が必要で指導する側にも熱意が必要です。
ということで自分の病院に残りはするが、自分の科目に残るかどうか判らない(=将来自分の仕事を手伝ってくれるか判らない)研修医に対してはその熱意が減弱します。

 さらに研修生としてでなく労働者としての側面が強くなったので、熱意が昂じて研修医の範囲(能力、時間、教えるべき事)を超えて指導しようとするとパワハラと言われかねません。
労働者ですから就業規則などが決まっていますが、指導医はそういう教育を受けておらず、労働者としての意識が薄かったります。
悪い事に患者の容体は時間を選ばずに変化します。就業時間間際に患者の処置を研修医に頼んで『時間ですから帰ります』と言われれば、指導医がやる気を失うのもムリはないでしょう。

 さらに2020年には研修医制度が少し変化し、内科・救急医療にくわえ、外科・小児科・産婦人科・精神科・地域医療それぞれで最短4週間の研修が義務づけられました。お客さん状態、モラトリアムが長びくだけのような気もします。

 初期研修が終わると後期研修(専攻医)に入ります。こうなるとモラトリアムが終わって自分の進む道筋も見えてくるので、専門医を目指して経験・研鑽を重ねていくことになります。

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