〝窮鼠はチーズの夢を見る〟もはや愛と希望しか溢れ出ないのです
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟
すごくよかったの
それはもうなんていうか
観た後次の日のみならず数日続くぐらいの余韻で。
思い出すと至福でにやけてくる感じの。
もう一個その前に観た
〝生きてるだけで、愛〟
ってのも久々すごく気に入ったのね
そんでふと改めて気付いたのが
自分の中で殿堂入りしてる特別に感じる映画と思ってたのが全部
恋愛ものだったことに気づいてびっくりした
自分的に意外だった
ジョゼと虎と魚たち
人のセックスを笑うな
生きてるだけで、愛
窮鼠はチーズの夢を観る
しかも全部最終的に実らない恋
ー
全部報われない恋なんだけど
でも、ある意味報われてるというか
ある意味最も正確に、わたしが求めるものそのものが描かれてる というか
本当に求めるものは形ではなく、そこに至る想いや在り方、関係性で
それらが作用して起こる世界のうつくしさ
そこをひたすらに純粋に描こうと思うと
設定が現代社会である以上
ハッピーエンドの形にはならないのかもしれない
現代社会においてはハッピーエンドにならないということが
むしろうつくしさとなるのかもしれない
と思って。
ー
そんでさ
窮鼠〜も
生きてるだけで、愛も
ジョゼも
人セクも
恋愛する上で分かりやすく一般的に障害とされるようなものを孕んでる関係性なんだよね
同性愛とか年齢差とか身体的特性の違いとか社会格差とか
その上で愛し合って、むしろ障害があるからこそ全身全霊で自分の本質で素直にぶつかり合わざるを得ない
それにより人の本質的な部分が露見する
そこに惹かれ合う
でも
現代社会を生きる上で向き合わざるを得ない困難や不安、
その社会を共に生きる人への愛や情があるからこその諸々の状況があって
この恋を突き進めるのは
相手の為にも自分の為にもならない
って結果離れる心情も
シンクロするしある意味リアルでうつくしくて
でも離れるんだけど
何が本当で何がうつくしくて何が愛か。
みたいなことがお互いの中にある
っていうふたりの暗黙の了解みたいなのがあって
言葉では交わさないんだけど
そう感じ合ってるぞと物語るようなシーンがちゃんと、描かれてて、
わたしはそこに自分の中の真実を、希望を、うつくしいと思うことを重ねて
グッと胸を掴まれるのです
理解された気がして、肯定されて気がして
しあわせの中に溶けていくのです
ー
それこそやたらにシンクロ感あったり胸を鷲掴みにされるのだけど
じゃあわたしのどの部分が恋愛する上で一般からズレてて何が障害になってるのか
なんてことは分かんないんだけど
でも現代社会においては形になってない、形にハマれないことが
わたしの意志や個性や感情が存在している証なのかもなって。
形になれないのが恋愛感情の欠落や人から愛される個性が無い。ということなのではなくてさ
そしてその今まで形になれなかったそれらが
新しく、確かにかたちづくられていく時代になったんだろうな
と。
それはもう誰しもが、当たり前に、容易に、ごくごく自然にそうできる時代
そして他の3つとは結末の様子が少し違い、まるでこれからの時代を象徴するかのような
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟はきっとそれをも物語ってるから
思い出すだけでヤバイ幸福感に包まれるんやろうな わたし的に。と思うのです
もはや愛と希望しか溢れ出ないのです
そんな映画でした
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?