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生きることとと死ぬことと、孤独のこと

祖母の葬儀だった

時々参列していることを忘れて傍観しそうになってしまうぐらい
本当にうつくしい時間だった

映画にしたらいいのに
映像に残さないことが勿体ない
自分たちだけで独り占めしちゃうのが勿体ない
って思うくらいに

空は青く
海も青く
花々が咲き乱れ
世界は白く光輝いていた
お経は銅鑼に合わせて音楽のように響き渡り突き抜け
そこに子どもの泣き声が混ざり合う

もちろん現場はいろんな人の心の動きがあって
祖母への想いも、そしてこの場がつくられる過程でも
それぞれの想いがあって
長い長い年月の積み重ね
たくさんのたくさんの人の重なり合い
その上にあるこの時

だけども祖母の遺影は微笑み
このうつくしい景色の中
これだけの人がなにかしらの想いを抱き集っている

祖母に何を想うか
この場に何を想うか
とかではなく
今わたしがここにいることが祖母の全てだ
と思った
祖母がいることでわたしがいて
祖母がいることで世界がつくられていた
こんなにもたくさんの登場人物がいる世界を
こんなにもうつくしい世界を

祖母の生き様を映すかのようなうつくしい葬儀が
まるで同時に自分を映すもののように思えうれしかった 満たされるようだった

祖母がいた
そしてわたしがいるみんながいる
それがよく分かった
やっと分かった
分かりはじめた

わたしは小さい頃に近しい親戚を何人か亡くしている

そしてここ数年また親戚の葬儀が続いた

今回祖母は主治医から今夜あたり覚悟してください
と言われたところから
ごはんを食べ歌を歌うほどまで一旦回復した
なので約1ヶ月の祖母の死と向き合う時間があった

その中でわたしの中に浮上したのは

あ、わたしはじめてちゃんと人の死に向き合ってるかもしれない

という想いだった

うちの母は感情的な人だ
どこか子どものような人

母はいきなり全身全霊で崩れるように嗚咽し泣く

そして父は感情を一切出さないように耐える人
全身も表情も硬くし感情を無くそうとするかのように耐える人

子どものわたしの目にそれは狂気でしかなかった

自分の居場所が揺らぐ感覚

田舎から離れていたので
年に1度だけ会う故人に対し
両親の哀しみの大きさに共感しきれない ということもあったのかもしれない

それにしても 少ないながらも思い出をもつ小学生のわたしが
祖父や叔母を偲ぶ自分の想いが二の次になるほどに

葬式、親族が死ぬということは
わたしにとって恐怖だった

得体の知れない恐怖
目を背けたいもの
足場が崩れるような感覚
自分の存在が脅かされるような感覚

その恐怖と戦うのに必死で
自分の感情など無かった

葬式でいつも自分の立ち居振る舞いに困った

心の足場が無い中、慌ただしく動くよく知らないたくさんの大人たちの中で自分の居場所を必死に探した

自分の感情を失っている中、さめざめと泣く周りの人、妹、いとこたちに対し同じように泣けない自分に後ろめたさを感じた

わたしは故人とではなく
自分の存在に信頼を失い
自分の中の孤独感と対峙していた

そうだったんだな と
祖母の死を受け入れていく中で今回思った

あーはじめて人の死と対峙してる と。

そしたら人の死は
子どもの頃、つい最近まで感じていた恐ろしい感覚とはまるで違い
切なくも哀しくもやさしく愛おしいものだった

生きていることと死ぬことは同等のことだった
生きてることと対峙すること
存在するということを再確認できることだった

恐怖ではなかった

多分それは遠くの島にいる95歳のばあちゃんの死
だったからでもあると思うけど。

それがばあちゃんの生きた証
わたしの中に残したもの

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