いつかの未来を見た
先日、母親の付き添いでライブに行ってきた。
母親が高校生、18歳の頃からもう40年以上ファンを続けているシンガーソングライターの方のライブだ。私もお腹の中にいた頃からずっと聞いていて、馴染みのあるその歌と声。でも曲とタイトルが一致する曲は一曲しかないし、ほとんどの曲がなんか聞いたことあるな〜程度。けれど、私はそのライブで涙を流していた。
ライブ会場は、母親と同世代かそれより上の男女同じくらいの比率で埋まっていた。私よりひとまわり上の年齢の方もちらほら。あの会場の中で私がいちばん若いのではないかと思うほど、いつものライブ会場よりだいぶ年齢層の高いライブに、PTA集会みたいだな、なんて思ったりした。
会場はコンサートホールではなくライブハウスで、座席が作られるタイプのものだった。ファンクラブ先行で取ったチケットは、前から一桁列で、何も知らない私がこんなに前で良いのだろうかと思いつつ、ずっと聞いてきた歌声の主に会えること、母親の好きな人に会えることに少しワクワクしていた。
ライブが始まり、会場が音で溢れる。カラフルな照明がキラキラと光って、観客を照らす。照らされた人たちは手を挙げて、手拍子をして、リズムに体を乗せて楽しんでいた。間奏ではステージの彼の名を叫ぶ人もいた。
先程までPTAのようだと思っていた会場内が、昔のクラブのような激しさと熱を帯びていた。ここにいる人たちは今この瞬間青春に戻っている。
母のようにもう何十年もファンをしている人がほとんどだと思う。歌っている彼はメディア出演の多い人では無いから、わざわざライブまで来るようなファンはなかなかに濃い。きっとみんな若い頃に出会ったこの楽曲たちと人生を歩んできたのだ。私が知らないこの曲たちは、ここにいるみんなの人生に寄り添ってきたんだ。
目を瞑って聞いている人、涙を流す人、みんなそれぞれ違う情景、思い出を頭に浮かべながら、自分の人生を振り返るように、過去に戻るように、この歌を聴いている。
そんな姿が今の自分の姿に重なった。
私は今人生をかけてライブに参戦している。どんな時も好きな曲と生きている。今の私が理想とする未来は、これなのだと思った。
会場の外で、〇〇ちゃん〜!と声をかけあっている高齢の女性たちも見た。きっとあの人たちは今の私と友人のような関係なのだと思う。私の友達もこの先結婚したり、引っ越したり、仕事を変えたり、ライブに来ることが少なくなったりするかもしれない。でもライブ会場に集まれば、また今みたいにはしゃいで、ライブ中に涙を流して、支え合えるんだ。
ずっと今のままで、変わらずにいたいと思っていたけれど、たとえどれだけ変わるものがあったとしても、今愛している人と歌に出会えれば、ライブ会場に集まれば、何も変わらない私たちに戻ることができるんだ。
そんなことを考えていたら、ポロポロと涙が零れていた。
私もこうなりたい。何年先だって、何十年先だって、推しと推しの歌声を好きでいたい。ペンライトを振って、その声に体を揺らして、手で振り付けを真似して、彼らの声に応えるように叫びたい。名前を呼びたい。
どれだけシワが増えても、声にハリがなくなっても、今より体力がなくなっても、背負うものが増えても、ライブの時間は全てを忘れて、この幸せを味わいたい。
まだ20年と少ししか生きていない私の人生は、これから色んな山を越えて、谷を越えて、海を渡り、時には立ち止まるのだろう。でも今過ごした時間が確かにある限り、私は今の私に何度だって戻ることが出来る。
ずっと心のどこかにあった未来への不安が、そんな自信で溶けていった。
いつまでも大好きでいるから、どうか未来の私のそばに変わらずあなたの歌がありますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?