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蛇蛇足暝黙





蛇蛇蛇蛇蛇足ですが

いつか近い将来 出来れば生きている間に

ニュートンだろうとアインシュタインだろうとフロイトだろうとダーウィンだろうとマルクスエンゲルスだろうとハイエクだろうとフリードマンだろうとソシュールだろうとヴィトゲンシュタインだろうとその他多くの誰であろうと ここ数世紀の知的 main stream を作って来た偉業の殆どは それでも

視界や視覚を眺めたり
言語を呟いた
だけだった

という感覚が common sense になれば
なればいいと思います


・・・デカルトに始まったと言われアインシュタインを経由して今に至る物理学という科学の主軸の正統系譜に対しては、

① 光速の不思議について、視覚知覚の遅延分に対してはスタック処理(遅れた分は逆順繰り処理)がされているという可能性を意識したことはありますか、そして遅延分を確定できるということは光速以上の運動(波動でも螺旋でも)を私達は他の感覚で捉えているということになるが、その点や方面に意識を払ったことはありますか、光速の不思議に不思議だなあと言って事象の地平線なんかに目を奪われていたりしませんか。それは遅延処理の延滞を示す幻影でしかないのではないでしょうか。目は後発触覚であるという進化史上のリアルをきちんと想像したことありますか。出来立て未熟の眼球を携えた生命の認知世界の実際は?その時の機能さておき構造もまた私たちに眠っているというリアルについては?思考感情感覚以前に本当に本当に運動してますか?普通に音楽してますか?

② 紐とかについて、そのような風景は蛙等の認知風景に似てるとは思ったことありませんか(蛙は動きしか感知しない)、またこのことに付随して、あなた達は顕微鏡で望遠鏡や顕微鏡を覗く、実際としては往々にして顕微鏡で顕微鏡を覗いている訳ですが、その場合に起因する倍率に関する出来事やその先の焦点そして像に関して起こり得る出来事について意識的でありますか。意識されない倍倍率が閾値を超えて焦点が反転投射されている可能性はありませんか。あなた達が見ている見ようとしているのは錐体細胞や盲点、視神経とその先の脳という情報空間ではありませんか。ブラックホールやホワイトホールについても、眼球構造というクラインの壺(盲点から視神経を通って脳へそして目前の風景という球面に照射されそこからまた光を見る)を眺めているだけだと思うことはありませんでしたか。

ちなみにそこから出て来ることってまだできますか。眼球、視覚、視覚のお城、とは関係の無い要素で塗り固められてもいる内圧求心性の高い城から

実体との接点あるあなた方による産物は、水爆と crispr で終わりだと思います。つまり破壊か瓦解に落着します。大きな流れを目先と手先で掠め取ることの自然です。ちなみに飛行機飛ばしたのは自転車屋でした。絶対に楽しいですよね


・・・ダーウィンあなたは

① 適者生存という発想について、「ここはここからここ」というような超基底文法を目前の風景としてあった生態系に対して適用、敷衍しただけであり、聞き手としては「ここはここからここ」という言明に対してするような反応しか出来ません。それは本当にそうだと思います、でもそれで終わりです。私たちの意志や意識の全体はそれ、数学を含む言語を越え、時に逸脱しながらそれらを作り作り変えていく主体であると思います。『種の起源』であなたは一番、沈黙を迎えようとしませんでした。語り終わり切る感じがしませんでした。それは言語を話したから、言語を話し始めてしまったから、あなたのその発見はそのような性質が濃かったからです。感情や表情について語るあなたの歯切れはよかったと思います。

② 突然変異という発想について、ラマルクの「用不要の原則」とセットで一つの承認を受けるべきだったでしょう。物理化学的な刺激と変異の合わさり、絡み合わさりについてあなたも社会も無配慮だったのと、純粋情報的なレベルについてかなり無関心だったのではないでしょうか。そもそも、対になる発想の絡みや絡み合いこそを一つの発想として選択するような習慣が何故その時そこになかったのでしょうか。光から闇を除去して既にどれ程の時間が経っていたのでしょうか。さておきあなたが、そちらで捨てられたラマルクを継承しつつも独自に発展した三木や西原の理論を読み込んでいるところ、を見てみたいです。多分普通に「それはそうだよ」って言うと思います。((オルダス家の陳腐はあなたの責任だと思います。闘う相手となった古参兵が居たということと、そのタチが悪かったといううこともありましょうが。))


・・・フロイトあなたは

大きなお城のある煉瓦の街の煉瓦の数枚を剥がしただけ、その先の土壌を深掘りはしませんでした。煉瓦の上の感覚で土壌を語ろうとし、煉瓦の割れ目から生え伸びるたんぽぽに、どちらかというと怖れをなしました。このことについて、

① 煉瓦の隙間からたんぽぽが生えてこない方が、その領域にある人間の終極的破滅であるということに、どれ程の意識リソースを割いていましたか、

② ユングはもう何枚が剥がしてシャベルで掘ってそこに石岩を見つけてそれを鋳造かなんかしてオリジナルのオリジン煉瓦を作っていましたが、彼のそのような営為に対してどのような心象を抱いていたのか、今ここでもう一度お話願いませんか。ちなみにユングはそのオリジナルのオリジン煉瓦でお城を建てましたね。イマージュにも理論をリアルにも湖畔に。

③ 最初からモーセに回帰していたあなたは砂漠の渇きしか知らず、土の濡れを知らずに恐れた、地球の全体からしたら不遇の子でした。海沿いに住んだことってありました?ユングは可愛い湖畔に移住していましたが、死ぬまでにそこを訪ねたことはありました?あと、砂漠に結局お父さんはいましたか、いたとして満足でした?あなたのお父さん、お母さんか奥さんがいませんよ。そのお父さんのお父さんについても同じく。

あなたの心理学説は本質的に、同時期に同地域から出た妊産婦学や栄養学、育児論と変わりがありません。分離を基調や前提としながら唯一神様の完全を目的ないし規範としているからです。あなた方の土地ないし言語の宿痾だと思います。


・・・マルクスエンゲルス

あなた方は、状況の持つ複雑性と、家族というものの内圧に負けてしまった。内圧により圧縮された認知空間で、複雑爆発しつつある現実に何らかの形を与えなくてはならなかった。現実的な要請もあって素早い結論を求めたあなたは、少なくとも内部流動的な、クラインの壺のようなものを、平面における凡そ静的な、ヒエラルキー、三角形に還元してしまった。それは全体認知の最初の一歩だろう。映画の前の映画のポスターだ。詰めかけた民衆にあなたはポスターを繰り返しプロパガンダさえした。ちなみにエンゲルスはこのことを、多分あなたより知っていたと思うよ。それと平等宣言について、ああいう人間の叫びをどう思う。脳は脳として計算科学をするよ。情報量と計算量を減らすために目前の要素を減らしたり要素としての情報量を低減するようなことをする。それまでの負荷に耐えられなくなった時に。必要だったのは共産党宣言とか平等宣言っていう、無意識から意識へと献上される計算科学ではなかったと、振り返ってそう思うのですよね。


・・・ハイエクやフリードマンズ

運動はしていたと思う。スカッシュとか。本当の方の料理や調理、ていうか家事炊事掃除とかしてた?最新ミキサーでスムージー飲みながらルンバ回してただろお前らアレクサ特にフリードマン、何を見て何を基本要素としてしかも複雑系未満だった?どうして数学者か芸術家にならなかった?代理欲求でない欲求を直視して満たしにいくことと、そうでない代理行動の頻度按配はどうだった?


・・・ソシュールとヴィトゲンシュタイン

言語を呟き切ったあなたがたは、黙した後、目も瞑って呼吸するか、それか歌謳唄うか、歩けばよかった。ソシュールあなたは、あなたが謳ってよかった。私はあなたの詩こそを聞きたかった。ヴィトゲンシュタインあなたは、基本的な調理を通して食への興味と消化吸収能力を向上する等により生を回復することはさておき、言語を呟き切る直前に目を閉じてしまった。沈黙せねばならないと言いながらその前に目を閉じてしまっていた。恐れたのか怖れたのか畏れたのか、あなたはほんの少しだけ、目を閉じるのが早かった。なので言葉の終わりの闇の向こうに光を見ることもなかった。もうそのための体力が無いということを、あなたの体は知っていたのかもしれない。拡散自体に意味は無いだろ。



その一々の個人は言うまでもなく偉大だったと思いますし それらの発見は必要な偉業だったと思います それまでの固く粗い眺めや呟きから脱するに それら新たな眺めと呟きは必要だったのだと思います

しかしながら 柔軟性や解像度の面で進展があったということはさておき そもそもとして視覚や言語に寄り過ぎたもの 視覚や言語に含まれてしまったものに全体を任せる 私達の社会や身を任せるのは早計だったと そういう感覚もまた発見され 常識として醸成されていって欲しいです ( 早計だなんて当時誰にも分からなかったはずであろうと )

またそのような常識の醸成が
既にされているのならば
その世界線がまたもう一度
main stream となることの繰り返しが
起きればいいと思います 何度でも



それらの偉業 この数世紀に発見された眺めと呟きは必要でした 何故なら気付いた時には眺められ 呟かれていたからです そしてそれらは知的水準を上げてきた多くの人間にとって既に余りにも固く粗いものでした

眺め直され
呟き直される必要は
ありました

しかしもう眺めに眺めを重ね 呟きに呟きを重ねた結果 私達は暗闇を眺め騒音を聞くようになり 素朴な感覚や存在を手放してしまいました 少なくともその言い知れぬ途上にあります

この記事が具体的に主張することは何もありません 申し訳ありませんがいつも通り情報量はゼロであり 結びは私の暝黙であることが約束されています しかしながら一つの機能様態であった私に今ここで一つの墓標を与えたいと思います


スレバイイ
タダスレバイイ
you are qualified not to be qwerty.


私はひとまずこのように呟きまして 私の眺めと響きを生きていきたいと思われますまる 変なこと呟いてたらごめんなさい 眺めがおかしいみたいです



はいめいもーく
ちーん



















ae