おはじ∞aり
・何となくこのタイミングで
・何となく親族に報告しておきたい
事がある ↓ のだけれど、
・言語以前の《 脈々・流渦通勢 》とでもいうようなものが、
・身体(代謝:記憶かつ生理かつ肉体)から地形(地勢地理ないし気候含む)そして社会まで、つまり物事の一般について観えてきたように思う
精確には、それらが今迄以上にそれとして観え始めて触れ始めるような、認知や感覚の再統合の時期に入ったと思う
このタイミングで上野村辺りに入るのは面白いなと思って誘いを促した次第でもあった
蛇足すれば、自分が先述した《 脈々・流渦通勢 》のようなモノコトに対して、人間が為すのは
・陽性作用
・陰性作用
とでも大別できるような働き掛けであり(でしかなく)、そのどちらにせよ
・生体ないしエネルギーの均衡を図る
というコトが目的であるように思え、かてて加えて、
・これ以上に複雑化した/分化発達した知識認識は有害であるように思う。
( 有害であるとは言い換え、最終的には不均衡、アンバランスに導かれるということ )
話を雑に纏めるなら、どのような(生理心理的)問題を抱えた人に対しても、ひとまずあらゆる些末を無視して仮死状態(と表現できるような極陰性状態)に誘導することが、大体において可能になった
このことと並行して地球(特にまあ今住んでる日本列島)の地理に対する感覚が、相当に変異したように感じている(以前の感覚や解像度は思い出せない)
終わり
一応補足しておくと、自分のとこに来る人間を「あらゆる些末を無視してひとまず仮死状態に誘導する」のは、仮死からの疑似再生によって大抵の(心理生理的)問題が、少なくとも当座は解決されるようであり、また、その「余裕ある当座」に於いて何らかの具体的行動を起こしてもらうように促すようなフローを、自分は"治療(というか単に作用)"の流れとして採用しているから
採用しているからっていうかそれ以外に無いようにおもえているから それしかしてない
終わり
疑似再生 = 陽化 ね
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