直視を選択して観察する



今さっき、漸く、自分というシステムが疲労、摩耗、炎症していることに気がついた。端的に「 あ、なるほど、疲れていたのか 」と気がついた。

気づきのきっかけは些細なことだ。鏡にふと自分の身体のとある部分が写り込み、そこが炎症していることに気がついたのだ。まさに「 え、あ、うん 」だった。

誰にでもそういう場所があると思うが、私にも、システムとしての身体が「誤作動していたり」「代謝を遅滞/累積させていたり」する時に、異常が一番早く現れる部位がある。大体はそんな場所を人々は、日常的に観ることを無意識的に避けていて、異常が亢進し切った地点や時点で事故的に直視することになる。

例に漏れず私も今回、私の一番弱い場所が訴え続けていたでろう疲労、摩耗、炎症に遅ればせながら気がついて、それで、そこを意識的に直視することを選択し、観察することにした。

組織が少し崩れていて、色素沈着が起こっている。慌てなければ一週間くらいで綺麗になるだろう。しかしこういうのって、直視するのが辛くて、だから直視していなかったんだと思いながら、直視し始める以前から意識の底の方では明らかに気がついていたことに、私は気がついている。

そして習慣に手を入れようと意思決定し、私は私に介入する決心をする。ここからはもう実践と実行の領域で、ひたすらにトライ&エラーと繰り返す。感情や情動は忌避しておく。それらが一番頭をもたげ易い時期ではあるのだが。

 システム、サイクル、メタボリズム

 例えば:腸・脳・皮膚

 システム二アクセス

 睡眠、栄養、運動、交流:開発 → 動作:作品・体系・記憶:感覚

 ココロノカタムキ、ココロノシミダシ、ココロノウミダシ

 疲労、摩耗、炎症

 気づき/satie ・ 暗唱/recital

 直視、選択、観察、実践、修正、実行、実践、実践、直視、観察、実践、回復
 回転、回転、回転

これが上手くいく時は大抵

増やさずに減らした時、ではある。

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ここに描いたことを集団や集合が(つまり)社会的に達成することは難しいかもしれない。途中で言及したが、(暫定解を策定すること以上に、)修正と回復の過程が要求するストレスに対処すること、感情や情動を懐柔することの難易度が、集団や集合では爆上がりするからだ。それこそ恐らく指数関数的に。

だから少なくとも個体として練習しておこうと思う。失敗すればトラウマになり、直視するコストは時間と共に増していき、いつか直視した時には感情に呑まれて現実を否定するだろう。


それはタナトスの響き

やるならやればいいがそれはそれとしてやるべきだから

今はただエロくあれ


さて、傷と炎症、そしてダメージ、これらこそをどう消化吸収するのかは、栄養や鍛錬それら以上に、そのシステムの本質的な傾向を表現している、と思う

なので私はひとまず、直視を選択して観察する




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