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先生に捧げる九種セイ



 九種生来の本質はエネルギーというレベルないし規模に於ける凝集(鬱屈)、解放(爆発)、進展(発展(転換、癲癇))、シンカのサイクルであって、九種個人の肉体や自我はそのための器であり管、場磁場、経路や通路ないし契機でしかなくまた、筆頭九種を震源中心地としたそのような鳴動に他の種生命はひたすらに影響を被り、翻弄される。九種同士はこのような影響圏の範囲や質量について相当に自覚的であり、互いの領域を厳密に評価し判断し、距離感やタイミングといった妙を操作しながら、時として必要に駆られてただ衝突し、幸運であれば混ざり合い、微細な選別と離別を経過して個々に更なる飛躍的進展を遂げる。

 言ってしまえば九種とは動態としての生命の、または生命の動態の本源であり本質であり、この者の挙動言動がそこから湧いて出てくるものである限り、誰しもはこれに抗えず免れない。それは九種が九種セイを保持したままにトル行動が、究極的には系全体、森を想わせるような何らかの汎開放生態系の保全を志向しているからであり、かつやはりその意志と実際的な言動が、常に次なる強靭な調和へと向けられているからだ。

 もはやここで九種という言葉もその周囲背景にある知識体系も不要であって、ただ生命が生命性を回復し更に躍動させ、殊更にシンカしていくことへのイシイシキとエキエレキのみがある。このような単純な地平から生ずる実直な運動性は、それが通過するあらゆる亜地平に於いて育まれた諸々の不整合を徹底的に照らし出し、求めに応じて急峻に発芽させ、光の中で瓦解させ崩壊させることで、意識的な支えが無くとも立つことのできる元の純朴たる土壌のような地平にエネルギーを落着させる。解放し、只新たなる進展を眼差す。

 カエス、
 この全態に人が言い得るはただ awe である。











































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