情報質負の泥出し




建付:ABと01
気分:朝のマイルドでフレッシュな虚無


知性と感性が同居する例は少ない。しかし知性に支持されない感性は感応性へと転落する。感応性は時に、特に都市では、被暗示性となり被操作性となる。感性に支持されない知性は知性でなくなる。


建付:A〜Zや0〜100
気分:同上


画一性の高い環境で人は巡りや満ち引きを失っていく。逆に言えば、巡りや満ち引きを失っていくことによって人は画一性に適応していく。この文章構造について以下参照。


表現に幅を持たせ、言葉を実体に寄り添わせようとすると、そこにトートロジーが生まれ、その先にパラドックスが待っている。このことは視覚化さえできる。逆説とも呼ばれるパラドックスの土壌は、言語と実体・実際との齟齬であり、例えば本当は、私達には全体を眺め渡すこともできないし、全部を数え上げることもできない。

あるのはただ有限な試行と視界、生命と、その有限に纏わる流動と衝突、融和
引かれた線は必ず滲み、滲みは質量と引力を持ち始める
私達に虚しか実にならない


それらのことに気が付いている人とでなければ、お喋りも、口を閉じた触れ合いもしたくないような、そういう innocent な時がある


泥口移し終わり
四月はボクシングから剛柔流に黄泉返り
身体を動かし言語を書こう










ae