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肩の力を抜いて、普通に、




人間ホログラム 人間 ホログラム

殆どの人間は反射や照り返し、人間同士の乱反射を構成する一片の鏡でしかない。そこに立ち昇るホログラムには本来的な自己も他者も登場しない。早くから沢山の光を当て続ければ人間はそのようになる。光とは各種の要求、指示や禁止だ


・本来的な他者とは他の動植物を含む自然一般。土も菌も他者として入る

・ここで言ったことはとてもフランクに本当にそうであって、ここで言ったことは何の過激思想でもない、単なる事実、触感

・どれだけフランクに常にそうなっているかを体感して欲しい。そのためには脱いだり捨てたりしなくてはならないものも多いらしいが、一方で些細な切っ掛けによって体感に至ることもある。この記事がそのための譜石となれば幸い


疑似存在としての鏡やそこでの作用としての反射と照り返しであることを辞めて、乱反射から一度脱落し、そして場や実となるには、光も何も無い真空状態に突入し、それでも生きていけることを実感しながら、それでも湧いて来る自分からの光と重さを発見し、その質感に触れ、その声、そこに含まれる情報質を聞き届け、読み解いていくことが必要になる。


・ここでの真空強度は重要で、ここでの真空強度がその後の原点、参照点、意味の生み出し、産み出し、generative process ともなる、なってしまう


そうして、繰り返し、自分から湧き出る光と重さを体感した人間は、鏡や反射・乱反射、照り返しであることを辞めて、漸く場や実となる。場や実に復帰すると言っていい。恐らく人間がこれ程までに《 場や実 》で在らなくなったのは、最長でもここ数千年という、人間の全体からするとここ最近のことであろうから。充分な生育場があれば人間がそうなる必要もプロセスもないだろうから。




・私はまた過密と過疎、《 目に見える過密と目に見えない過疎 》のことを言っているらしい

・場を展開し実体を構成するにはそれだけの時間空間的 space 宇宙が必要だ。都市という時空の多重折込みにはそんなスペースが不足しているので、都市にて場展開実体構成するには物理から情報に至るまでの高度な探知感知と操作の性能を必要とする。色んな間を縫って泳いでいかないといけないって訳


例えば肩の力を抜いて、普通に、生活上の事柄に話題を引き寄せれば、私は今一般的となっている冷却システム、エアコンというものは既にホログラム、乱反射の中にある乱反射の産物となっていると思う。なので下の底の方の実体ある地面という場から立ち昇る新たな作品、方式に、暫くの移行期間を経てから取って代わられると思う。


・このようにして、普通に、肩の力をぬいて《 みれば 》、場でも実でもない人間の乱反射、ホログラムでしかなくなっているものは多い

・私は今現在の時間、標準時や腕時計もそうであると思っているので、冷却システムについて彼が経過しているような工程を時間に関して展開したいと思う


最後に愛すべき留意点を述べれば、場や実となった人間やそうであろうとする人間は、ホログラムを構成する鏡片にとっては異質、異様であり基本的に不快であるので、彼らというホログラム、乱反射の海を泳ぎながらもそこに場や実を形成するには、相当な妙、バランス感覚が必要になるということだ。


・この記事で述べられた内容は、善悪や優劣といった感覚と事柄とは一切関係が無い、無関係であり解放されている。場や実とは評価と呼ばれる定点観測から解放された開放系だと思う。善悪優劣等は特定の閉鎖系に於ける定位置を外のこれまた定位置から比べるような営みに生ずると言える。そのような比較乱反射の末にホログラム。この際に比較基準を提供することになる重力場という唯一の実体についても、やはり善悪優劣とも固定閉鎖の比較ともその成り立ちにおいて一切関係が無く、それでいて外側から浸出、侵襲している

どちらでもいいし何でもいい訳であるが、違和感があるなら選び直した方がいい。事前に思ったような重さも軽さもない。ただ軽やかではある









ホログラムは流体に掻き乱される
あなたが今日も流体であることを
私は肩の力を抜いて、普通に祈る




















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