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囲碁な言語と碁石言葉、イエスマリア、チンパンボノボウルフ




元々 よく食べてよく動いてよく眠る方ではあったが
最近特に

睡眠や入浴の質が上がった、若干ノモりとしてやってしまいっていた本来的ピュシりをピュシりとしてチューニングし直したらちゃんとピュシれるようになった = 自分の元々のピュシり性能が睡眠入浴食事運動等の生活上基本的事項に対してきちんと発揮され始めた、

っていうか自分は今まで、見えにくい領域で多くのことを、しかもかなりの程度《 実はノモっていた 》ということに漸く気が付き、驚き、そんで緩んだ

緩みは人に可動域と弾力性、選択肢や可能性を開かせてくれる

そんな可能の纏まりとして朝起きた時に一群のイマージュが更なる群れをなしていることがある そういうことが多くなった

本日のレシピは表題に挙げた通り まずは囲碁な言語と碁石言葉

これは簡単だ《 囲碁な言語と碁石言葉 》とは多分、私が自分含む人の発言をどう捉えて処理しているかを意味している。例えば、

・ずっと本当に冷静に俺のターン、みたいな感じで、まず一ついいとこに碁石を置いた後に、もうそんなスムースに布陣を敷かれたら次の僕のターンでやれること何もないですよひえーんとこっちが自然になってしまうようなずっと冷徹に俺のターンみたいに発話をする人がいる。その人の一つの言葉は即一碁石であり接続詞を呟きながらその上下に隣接するようにまた碁石を置いたり、時に逆説を提示しながら碁盤の遠くに一手を指して元の一群に接近してくようにして手を進めて大きな布陣を完成させていく。たまに碁盤を碁石のようにして隣にも遠くにも置いてしまうこともあるようなことが暫くは終わらない。遠くに置かれた碁盤は今ここの碁盤と必ず繋がりを回復されるという信頼感あり、碁盤の連なりに紡がれる大きな布陣は自分の中にもあったのだという安心感もある。ここで発話とは碁石の置き方になるがそれが無駄なく所作の音楽として美しい。その音に聴き入っている間に彼はずっと俺のターンを続けてしまう。音も形も美しいから私は対向思念を形成することなくその音と形の織りなす意というものを味わってしまっている。そしてふと意識を回復させると布陣が完成していて、私は美しい完敗によって引き上げられている。そこにも美しい一つのカタチがある。碁盤から目を離して周囲を眺めると景色が変わっており、私はもう自分が何処から来てその碁盤の前にやってきて何をしに来たのかさえもを忘れている時があるので彼にそっと「それから?」と尋ねると彼は「そうだね」と応える

ような言語使用と現象

の一方で

・狭苦しい部屋で同じ碁石を似たような位置に叩き付け続けているような人や囲碁もある。その部屋の空気の流れは悪く頭がどうかぼーっとしてくる。その人は碁石を砕こうとしているのか碁盤を砕こうとしているのかをしながら、碁石が砕けたり飛んだりしたらばじゃらりと更に一つの碁石を掴んで碁盤の似たような場所に同じ碁石を叩き付け続ける。碁石は碁石でありその色にも形にも意味はないところ、彼は時たま碁石に細工をしたりしている。対局中の御法度であるが彼に普通に話し掛けてみる。「どんな布陣を?」すると彼はその領域にも碁盤を構成して同じような囲碁を展開し、「完璧な布陣を」というただの一手一石を打ち続ける。碁盤を引っくり返すと沢山の人の名前がびっしりと刻んであったりして、目前の人の次の初手のために碁盤を戻して視線を上げると彼は何故か嬉しそうに口元を緩ませている。何処からなぜここに来てしまったのかも忘れた私は席を立って場を離れ、部屋から逃れ出るに過ぎない。

のような言語現象や被使用もある

どちらも誘引力があるが試行後の爽快感や導きが違うので
プレイスタイルは意識的に選択していくこと


次にイエスマリア

イエスとマリアは実際のところセットでありイエスにもマリアにもイエスマリアを人は見る その時々時代時代の要請に従ってイエスもマリアもイエスマリアの内実を変えていく 付言しておくべきは、時代による推移に随伴して、時代に寄らない地域ごとの異なりもあるということ 基本的に東に行けば行くほどイエスとマリアのイエスマリアはマリアに寄っていく 東方正教会はそんな塩梅のそんなとこ これはもう人間なんて湿度に支配されているとしか思えない ユーラシア大陸を共に突っ切ってみましょうか シルクロードなんてわざわざずっと乾いてるから選ばない 馬が走りやすかったんだろう

最後にチンパンボノボ

チンパンボノボ(以下サル)だったホモと
ウルフというオオカミは
オオカミがイヌとなるような地点で出会い
その時点でホモはサピエンスとなった

ヘッド画像はそのスペクトラムパラダイム

それがそうであるとして気をつけたいのは
それぞれはそれぞれの位置付け 各要素濃度に気を付けましょう

そして特に注意するべき事態パターンとしては
オオカミ寄りのサピエンスが自分の位置濃度に
気が付いていなかったり
そのために狂ったりすること していること

オオカミはサルより移動を必要とする
物理的にも情報的にも
そしてその移動とは本当に移動
実質的な移動でなくてはならない

一人部屋や 真空状態であるだけの一畳宇宙空間で
移動していると勘違いするとすぐに狂う

狂いオオカミにはそれはそれで魅力ありホモを惹きつけるが
それはオオカミ寄りの猿人間の本来の役割ではない

オオカミにまねんだ
オオカミのサピエンスを思い出すこと

颯爽として実際に移動し続け
しかしオオカミであることを知られずにオオカムこと
アマガミの仕方も覚えて沢山のヒトのオオカミと遊ぶこと
歯磨き大事に大切



誰にどのようにも勘違いされたくないが
この記事は自注釈と自戒でしかない








 

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