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aレタそのまま無粋再掲



無粋な蛇足となるけど、もしお母様が虚脱的になってたりしたら、岩盤浴とかお勧めしてあげて

理由を真面目にいうと腎系含む大まかに背面をじっくり加熱できるからってのと、汗腺を越えた皮脂腺から真皮構造を開いて、所謂気的感覚をリセット/リリースできるから

更に蛇足すると界隈の人らが言ってる気的感覚って真皮構造レベルの深さから引き出される触覚のようなもので、多分そこでもかなりの電磁波を受け取って処理してる。よく言うような脳幹中枢の松果体とかとはまた別の末端として

サイキック()と言えるような人々の中でも、浅黒いような肌質の人はそういう肌レベルの末端気感が/も強くて、水肌ぽよぽよ系の人はどっしり脳幹部の気感が強いという印象

++気的に感じ取っている物事について、前者の方が自覚的/意識的になりやすく、そのような敏感さから崩れやすかったり、不安になりやすい傾向を培っていたり、結果的に人格的分離が起きやすく、何らかのシステムや人格を信奉している(に従属している)ことがある。後者の方は無自覚無意識的であるままである分、感受性と鈍感さが不思議な同居を見せているという印象。意識的操作が効きにくい分歯痒かったりすることも多いと思うけど、長期的な時間や大まかな枠組みの中で、自他含む周囲を結構確実にナチュラルな、無理のない方向に導くことが出来る、ような風があるという印象

更に無駄を言えばそのような前者後者の個体はお互いに補い合うように選び合って番うことがよくあるみたいだね。そのような組み合わせであることのストーリーラインを自覚し始め得るのはやっぱり前者(浅黒サイキック)なんだけど、発達の過程で不安や従属本能に喰われ気味だとそういった全体感に気が付けず、自分達はそうだったねと相手に伝えることもできない



そういう番いの二人の hybrid / high breed としてよくバランシングしてきたんだなーって感動感心した!

あとこっちで旅の迎え酒的にやりたいことあるから弟さんお借りするね!東京等で経験したいと思っていたであろうことのコアには入ると思うから楽しんでくれると思う

長文失礼そんじゃまたね
もし引っ掛かるところあれば何でも聞いて




 事後注

 所謂気感なんてものは所謂可視可聴可触のくり抜きカカカを脱した(情報(はあ?トートロジー黙れよ))総体への感知感受であり手触り、究極的には触覚でありそれに由来する操作感に過ぎない。翻り“気”とは、とある生物種の volume zone が手触りを失った zone の volume, 質感であると言える。視覚も聴覚も味覚嗅覚も特殊な触覚に過ぎず、また殆ど多くの人間の触覚もまた不思議の彫刻を経た特殊触覚に伍している。などと私は言っているが、これを越えて常として想うのは、分布というものの絶対的定常性、動いても保たれるその姿形についてである。私はここからスケープゴート性ではなく稀少性、自分が自分であることの有り難さを引き出し、導きたい

 また、気に人格的輪郭と嗜好性を付与したような霊というレイヤー・モノコトについては、私自身はそれをそれとしたまま扱うような位置付けに役割、方向性になく、一方で霊に方向性を与えて進展させれば常に更なるレベルの気へと開かれながら解消される、かえっていくと思われるので、やはり私は霊というレイヤー・モノゴトについては、そうと言われながらそれとして自らに舞い込むを、純粋に気として扱い(直直視、耳を傾け手触り肌触り)通すかえすに留めようとおもう。実際問題として、私が霊に telling することはあっても逆はない。一重に私が listen する(主体性強度の問題)。そして私が霊に tell するは代理や依存ともなり得るあらゆる投射、projection を止めて自らにかえり自らをかえせということだ。

 私はミサイであるままの prana の、微細な導きにのみ応え従う。彼らは出生前の生命のように可愛い。完全に還元された生命の微細粒子。本当に可愛い無垢であるそのもの。愛しているし愛を感じる。論旨翻し北極星という偉大なる便宜とその実際的効用にも、相応の畏怖と畏敬を抱く。やはり勿論その間として在る人間というものへも














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