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カタチを見つける





性を抑圧する文化圏では「悪魔」という発想が醸成され、その頭蓋は人間の骨盤を模しており、口蓋は性器に対応しています。観ずることを「天使」や「天国」とする一方で感じることを「悪魔」や「地獄」とする訳です。生命の最終福祉に資する建付けとは思いません。

個人的には、脊椎の両端にかなりの相似構造が認められると思っており、個別具体的なレベルは重要でありませんが、骨盤と頭蓋、蝶形骨と仙骨以下、子宮と脳幹及び大脳辺縁系、大脳新皮質と腸(太陽神経叢)は全体として、処理対象をスペクトル内で分かち合っているだけの相同系だと思っています。骨盤って普通に「頬骨より上」ですよね。




上下の相似に更に言及するなら、セクシャルな文脈となりますが、視床と”ポルチオ”、視床下部と”Gスポット”、脳下垂体と陰核や陰茎が対応関係にあるのかと思われます。男性側について言及しなかったものについても相同体が存在しますし、それらをそれとして開発する方法論も存在するようです。

また、先の段落冒頭で「個人的には」と付記しましたが、

・重力に対して芽生える脊椎髄の両端には相同系があり濃密高度に連携を保っている、という認識に基づき、
・具体的なレベルでの細かな連関を追求したり、
・そのような連関の不備(歪み)に起因する体調不良を回復していく方法や方法論を開発、追求していっている人々は、実際のところ常に一定数存在していたということを認知はしております。

最後に、上述の事柄を一要素とした上で全体的に思いますのは、

・「性/感」を抑圧して「聖/観」ばかりを追求するような、擬似カバリックメンタリティを持った人々の、激烈な拘束や結果的な窒息に、誰も付き合う必要なんてなかったし、そんな必要はこれからもないということ

です。今現在の時代にサイエンスと呼ばれている知的営為と産物が、何故どうしてこれ程までに

・不必要な細分をし、
・それを言語で固めていくのか、
・よって全体としてあったシステムを拘束、窒息、絶滅するのか、( どうして、聖なる精製 (w)holy refinement をしてしまうのか、)

ということに常に疑問符を抱いて生きて参りましたが、それは、

・全体を捉え、
・感覚によって辿り、
・よって全体を全体として循環流通させていく、

ための器官/基幹(性感器官/基幹)から遊離、分離し、聖観器官/基幹ばかりから世界を覗いていたからだと納得しました。このような発達は Cogito ergo sum と retweet された時点から約束されていたものであるのでしょうが、そろそろ社会全体が今現在のような trend の発達から逸脱してもいい timing であるような気がしております。

( Sciense の最前線に対して無知ながら一市民として更に具体的に思いますのは、顕微鏡で望遠鏡か顕微鏡を覗いていることに由来するバグや誤差、パラドックスそのものに顕微鏡を向けるような事態になってはいないのか、そうであるなら何処へ行くのか、ということです。ちなみにこのような懸念と誹りは Spiritual も逃れていないと思います。ほぼわざわざ視覚と言語、自己同一視から成り立っているようにおもえるからです。)

もしもしもしかすると、この"三千年"ずっとこのように云われ続けていたのかもしれませんが、私は私として上記の認識を持って私なりに、身動きしていこうとおもっております。そしてこのような認識とそのような行動は、中枢に対する辺縁にいつも求められてきたことなのでしょう。何故かどうして悲しいですが。

   
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正直なところ、言葉を眺めて思い出せばいいってのはありますね。言葉って音と意味と姿形の総合芸術なところがありますし。修正も時に必要ですが、活用価値大な classic technology だと思います。但しこういった classic で archaic なものらを覗き込むには、強靭な理性と健全さが求められるのでしょう。覗き込むなら覗き込まれて入り込まれもするからです。超健全に消化吸収して灰汁はしっかり排泄しましょう。

それと気を付けて欲しいこと。それについてセンスやソシツのあるヒトは、それをそれとしてはしていません 高いものを高いままに扱い 使用すると 具体的なレベル 表現として表には出て来ないからです






末尾に蛇足ながら、ダグラス・ハーディングの the experiments とか、理解可能性と実際実効性からして有用だと思います。広義安価の西洋キリスト教からの離脱に資するワークであり、そのどれもが、自分の中心だと思っている場所には何もない、例えあるとしても、それは他者のための空白や鏡、他者へ連なり繋がる連絡通路でしかない、そしてそこからあらゆる夢幻が分泌され領域が展開されており、気付きの程度によってはそれらに干渉、それらを統制することができる、というメッセージと体感を含んでいるからです。












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