全てがフィボナッチである貴方へ





向日葵と巻貝に数列を観る貴方

そこには数列も巻貝も向日葵も無い

あるのはただの受け渡し

捉え切れない膨大な関係性

最初で最初の全てから

あらゆるレイヤーやモジュールへの

投射や翻訳 その受け渡しがあるだけだ

しかもそのレイヤーないしモジュールは

むしろ 減衰や摩耗によって定義される

それらが起こっていて 興っているだけ


 ( そういう意味では信条であり宗教だ 

   小さい方が嵌り合うかもしれない )


最初で最初の全てを

映像であることを見たものも

音調であることを聞いたものも

風味であることを味わったもの

触れ合いであることに触れたもの

重さであると感じたもの

重さとして感じ始めたもの

言語であると話し

論理であると論じ

数学であると証明したもの

あらゆるものがいただろう

今もあらゆるものがいるだろう

そのようなあらゆる極端な逸脱

温存された表現系は 総じて

個物具体を排して総じてしまうなら

貴方の時代か世代を表すに過ぎない

地層とは そういうものでありました

心して御馳走になりましょう














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