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re//ply^√






この記事は永永長い ↓ 読後終了8分間 ↑↑



以下完全に
他者という perspective に触発されつつそれを間借りしたような
auto-graph 自己素描となりますが
返信として失礼します  わらわおう



⑧ auto-positioning 自己定位, orientate 方向付けとしての発話


 目前に広がる状況の更なる進展に対して、自分を自分として位置付けてからそれとして行動していくために、状況全体への全体認知を損なわなければいけないことがあると思う。人々の行動の逐一が「全体認知の損ないと、欠損からむしろ生まれ出るエネルギー」によるとは思わないけれど、全体認知を志向してしまう嫌いのある個体については、そのようにして、思念として物質化されたエネルギーを(特に"全体思念"として高度に物質化されたエネルギーを)小さなハンマーででも打ち崩して、部分的にでも何らかの行動に繋げていかないといけない、いけないとは思わないけれど、そうしなければ不動無用の神様にしかならない。そのまま隠居するか気ままに物理転換して仏像彫刻師にでもなればいいと思う。と同時に、そのような志向性のある個体がしかしながら実際上の必要に駆られて行動というものをしている時に、むしろどこからどんなエネルギーに動かされているのかはマイルドな死角に収まってしまうことがある。それは誰かの目的だとかいうことではなく往々にして当人にとっての、やはり必要なんだと思う。それは責められるべきでも言葉にされるべきでもない領域だけど、どちらもしたいならしたいようにするべきで、それがまた行動に繋がるなら happy だと思う。ただ視覚を大きく構えてきた個体の死角に収まるエネルギーは大きいので(視覚と死角は実実相剋ではなく実虚対相とでも言えるような連関にあると思うから)、よくも悪くもそこは注意だと思う。

と言いつつ論旨を捻転(論理を転換)して申し訳ないのだけれど、自分が「怒りに任せて」小さなハンマーを振るうようにして書いたこの記事の提示する構図が、全体性を損なっているとは思ってない。

言語や基本的な認知の crack の向こうに折り込まれたままにしている部分が、誰にとっても自然で当たり前なように僕とこの記事にもあるから、そこの部分を切開して提示させて欲しい



① 間の向こう、もしくは曖昧


 まずこの記事の主張を単純化するなら「■■によって○○が失われることに怒っている」または「■■によって○○が失われていくことが悲しい」になると思う。以下では前者を採用しつつ、では■■と〇〇は何なのかということに記号以上の言葉を当てると、■■は

tool, item, 機能的外在物

とでも言えるようなものなんだろうけれど、〇〇はそもそもとして表現し辛い、同じレベルや規模感または質感で表現し辛い、まさにそうすることに辛さが出てくるようなものだと思うんだよね。そんでその〇〇は常に、認知や認識、特に言語表現をすり抜けていくものでありながら、〇〇を〇〇のままに捉えることをしない傾向にある人々や、人々が全体としてそういう気運にある時期に、○の向こうとして覗かれないままに■で蓋をされ、窒息し、気が付いたら本当に失われているようなことがよくあるものだと思う。

自分は究極的には行動面と神経系の、対応ならぬ応答関係、呼応とも呼べるメタ複雑系を眺めようと努めながら、一方でそのような務めにない(そんな務めはない)人々が諸行動への言及や介入、統制によって、そうとは知らずにその系をそれとしては損なっている、損なおうとしている、ということを表現したかったのだと思う

例えそのようなことがあるとして
このようなことなんて絶対に伝達不能ですよね
正誤なんてともかくできたら感謝

〇〇を●●として例示、明示、対応、具体化、言語表現しようとしたけど無理だった。ただ一つ具体的に明言できるのは、○を覗き込んでその向こう側に行ったり帰ったりしながら○○をそれとして緩く淡く捉えるには、心身という身体を使い熟していく他にないと思うということ


② 二重螺旋としての言語使用感について


 もう既に返信の域を出ていると思うけれど、触発されて出てきたものに構成を与えて全部出すということでこのまま失礼します。

言語そのものはさておき言語の使用感については、二重螺旋、二重螺旋を思い浮かべると妥当な感覚やイメージが得られるのだと思う。

このことについて「進化」ないし「進化論」というケースを参考にしてみたい。最低限の言葉建てで表現するならば、究極、進化というものは例えば、

ダーウィン「 突然変異として物理化学的な変化が起き、生存に優位なものが選択され、物理化学的及び行動面での定常となっていく 」

ラマルク「 とある行動を意志した突然変異体によって物理的刺激が累積され、それがある程度は遺伝子レベルで物理化学的に、一方で相当は教育といった情報レベルでの営みによって定常化されていく 」

と言わしめることができると思う。勿論、例えばダーウィン側について、自然選択の対象となる範囲には議論があるってことや、ラマルク側について、ある程度の後天形質とは何であってどのように達成されているのかという点には多大な疑義と議論が付されている道中であることは前提としつつ、ここでより一般的な見地から、ダーウィンとラマルクに言わしめた上記インスタントな意見は全体や総体や双対として、現象を言葉で説明する際のレベリング(レベル選択)やグルーピングについて余りにも配慮が足りなかったと思う、と言いたい。ただそのような瑕疵については、実際のダーウィンやラマルクその人人、そしてその後に議論に名を連ねた多くの人々も免れなかったし、免れ得なかったのだと思う。分子進化の(ほぼ)中立説なんかは、そのような配慮の事後充填であったり、進化や遺伝という緩やかで壮大なテーマの下で、そのような配慮そのものを微視する試みだったとも言えてしまうと思う。


このページは普通に綺麗で有用だと感じられます


そして、上述したような営みの全ては、言語外実体と隣接しながらも摩擦を発生させる程度の距離感を保ちながら、一方で言語外実体の蠢きとその感触を契機や助けとしつつ、言語それ自体の運用規則について論じ合っているようなものだとも感じる。

さておき論旨を一歩だけ遡り、「言語自体に内在するそのような瑕疵からは誰も逃れることができなかったのだと思う」という一文から、主要論旨を紡ぎ直していきたいと思う。

と言いつつこの先は完全にイメージ、一枚絵で提示されて終わるようなもので、言語表現としても「言語に内在するそのような瑕疵から誰も逃れられなかったのは、二重螺旋としての言語使用感を体感し、視野に収めた人がいなかったから」となる。なのでトップ画像の開示をもってこの段落の結論は示されたことになるのだけれど、一枚絵に注釈を挿入する形で次のように補足しておきたい








・二重螺旋を構成する単位螺旋は、言語という出来事を構成するあらゆるレベルの要素出来事であり得る。単語でも主義主張でも論説でも言語でも

・言語が全体として実現している二重螺旋という運動の本質は、螺旋を構成する言語(言語のあらゆるレベルと形態の言語)そのものでなく、重なり合うことのない二つ螺旋のその間や、震える間合いという引力と斥力の塩梅によって実現される方向性、二つの螺旋の示す一つの方向にあると思う

・留意点として、そういう一つの方向を一つの螺旋に還元再帰、よって全体という構造と運動を再帰拡張していくようなことを僕らはずっと実際にしてきたのではないかということ

・注意点として、互いを拠り所(宿主)とする蔦のような双対螺旋の、一方ばかりにエネルギーを注ぐと、運動が壊れて別の方向へ直進することになる。そしてそのような孤立した運動は恐らく、重力といった最も基底的な力の影響さえも受けずに、本当にただの直進を、物理面での宿主が消滅するまで継続することになるのだと思う。もう一方は多分、形のままに内向円周、点から虚になりそれから消える

ここまで至り煮詰まりもした論旨をパカっと外して風を通し、一番最初に目につくものをまた選ぶのであれば、《 膜・刺激・発達・生命 》というような事柄になる。何らかのテーマを通して結局はこの段階や領域に至った人々が既に何人もあったことは知ってる。

皮膜を前提としてそこを通過する情報を刺激としつつ内部を分化発達させていくことにより流動個物として環境に呼応し適応していく生命 という在り方 という事柄



③ 普通に欺瞞と逸脱、振り返れば陳腐、振り返らない日常


 大きめのテーマを継ぎ足し継ぎ足し論旨をビッグバンさせておいて申し訳ないのだけれど、一方で非常に現実的かつ卑小な一世界線(一二汎世界線)に言及しておきたいと思う。tv氏への返信にも既に書いたように、

❶ ムーンショットがそのままそんな感じで実現された場合
→この記事に書いたような人間の変形が起こるかもしれないよお

❷ 全く全然何も実現されなかった場合
→国策というものが「お金の流れが不透明過ぎる自己啓発系イノセント詐欺」に伍してしまったあ

❸ 多分その間
→なんだかなんかがなんだかなあ、なんだったっけなんだっけ、と思うとおもうよ



④ 季節と粗熱、弁明的補足と感謝


そのまま。これは全然 reply じゃない正直半ばトリップしながら八割自分にずっと話し掛けてた。でもまあ(断絶詞)季節の巡りや高まりと鎮まりに伴わさりもしながら、意識的には互いへのリスペクトを前提と原資にしつつ、これからも刺激と情報を与え合って創作や行動や活動をしていけると嬉しいです。都市の一隅一斉一丸タコ踊りは絶対に定期開催していきましょう。楽しかったねあれ



・・・

拝啓神様よろしくお願いします
午前半ばの自己完結あーと終焉
コトツカサドリ 仕事をしよう

・・・



蛇足に愚かながら失礼します人
個人的備忘として許して下さい
そもそも意味不な題名で指向性もないからOK













思えば二三の相でずっと同じこと言ってる
記憶・言語  ○ 人間 ◎ 社会
とした時の ・ ○ ◎ を指差そうとしている


ここ数日のタカマリは明らかにドルフィンスイム由来だな
おもうことあってドルフィンスイムで潜水しまくってる
25mはすぐにというか既に出来ていた
次は名目50m ドルフィンじゃなきゃ既に出来てる

障害は正直 能力じゃなくて禁止
自分の選んだプールではキックターンと
そもそも潜水が禁止されていて

他の諸般の事情との絡み合いの中で
監視員さんが結構こっち見てる

でも監視の目線だけじゃない
人によっては微笑み 眼差し
ちょっと沈んでいるだけで潜水じゃない
ということにした上でアドバイスくれる人もいる

そのような揺らぎや異なりは一重に
ではなく私と彼彼女の二重の
間に淡く宿っていて

それはある程度どちらにもその程度
操ることも促すこともできる
逃れ出るものもある

私にとり明らかであるのは
このままドルフィンスイムを極めていくこと
それといい加減 ちゃんと時計を作ること

情報娼婦に物理丈夫

ありがとう
待たせてしまって申し訳はない




あと多分僕らの key は仲間と surprise で
その他のことは緩く偶発に任せればいいとおもうよ

元々ある stream や structure
system の思わぬ switch を押してしまう
そんな偶然を許して招き寄せる儀式みたいなもん

まあ一つの style 方向性としてね
ただ若い生命とは楽かつ強力な option を取りたい
とはいつもおもってる

ひとまず話そうか















ae