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メディウムとしての身体:ドーピングの話

突飛な入りではあるが
2019年1月8日よりステロイド摂取を開始した。
理想の身体を作る為に。いわゆるドーピングだ。

(念の為予め記しておくと現状本国においてはステロイドを個人輸入し、自己投与する行為は違法では無い。)

ステロイドを手にし、使用する事となった経緯を含め
その意識の変遷、悩み、迷いを偽りなく書き残して置こうと思う。

もちろんの事、ステロイドを勧める為にこの文章を書いているわけではない。
使うべきか否かを相談されたら、『間違いなく使わないべきだ』と言い切れる。

しかし、非経験者が語る場合は文献で見知った、色も温度も無いドライな学術的知識でしか無く、片手落ちになる事が多いだろう。
何においても実体験に勝るものは無い。

自身の体験を口にせず、後ろめたくも甘美な秘匿としておく事も出来たろう。
しかし私だってアンビバレンスな生き物である人間の端くれだ。自身の身体に向かい合った結果見えたもの。考えた事を共有していきたい。

どうせ私は一般的にかなり突飛だと括られる人間である。
とことんまで行くのが私の天命。カルマなのだ。

実体験至上主義型の私とは逆に
人の体験を見聞きし、自身に当てはめ、わかった気になる事が出来る。実際に何かを分かる事がある。
それこそが他の動物との違いである人間の叡智だ。とも言える

これはきっと明日を悩む全ての人に置き換える事の出来る内容だと思うので
ただ筋肉に魂を売った捨て身バカの戯言では無いと信じたい。

なお、本稿はステロイドや筋トレを軸に身体意識にフォーカスを当てた文章となるが
一般には専門的に見える内容も多いかも知れない。
本稿を公開した後に備忘録として書き溜めている日記調のようなものも順を追って公開するつもりである。

【カミングアウト】

この文章を世間に公開したと同時に
私はドーピングをカミングアウトした事となり、(界隈ではユーザーという言い方をする。)
未来永劫、各種スポーツの大会に出場をする事は出来なくなるのだ。

別に各種大会に出たいわけでは無いとは言えど
ステロイダーは偏見や軽蔑の対象となり得る。特にフィットネス業界においては完全なるタブーである内容だ。

では、なぜ書くのか。

それを語るには先ず、「カミングアウト」という感覚に繊細になりたい。

昨今カミングアウトという言葉は、いわゆるセクシャルマイノリティの方々が
自身の性を公表する際に使われる事が多い様に思う。
私自身は性の自認や趣向について、比較的寛容なスタンスであると自負している。
ので逆に
人が人である以上、何を好んでも当然である。という考えのもと
なぜカミングアウトなどする必要があるのだろう。と思うところもあった。
しかし、今回ドーピングをカミングアウトすると決めた事により
多少の感覚の変容があった。

カミングアウトとは他者に対して開かれた言葉なのでは無く
自身に対する言霊なのだという知見を得たのだ。

次にステロイドとは一体何なのかを軽く説明しておく。

端的に言うと、ホルモンバランスを強制的にいじる『薬品』である。
生物の根源的なシステムに神の一手を加えるアイテムだ。

基本的に男性ホルモンにより筋肉は生成されていくのだが、そのホルモン量をステロイドにより爆発的に増加させる事で
筋肉の発達に対して未使用では有り得ない程の加速を生み出す。
50ccのバイクにF1マシンのモーターを積み込む様なイメージを持ってもらえると分かりやすいかも知れない。

人間の身体とは多少の個人差はあるが
全力でトレーニングにあたった上、年間単位で身体に蓄積されていく筋肉量には限界がある。
1年目で約10kg
2年目で約5kg
数年目以後は年間500gが増えれば関の山である。

これは人間が人間である上での限界
という、超えられない壁なのだ。

そして、その限界値を決めているのは
先述の通り、人間の根源的なシステムの部分である為
ステロイドなどを利用し、そのリミッターを解除する事で、人間の限界値を超えて行く事が可能となる。
まさしくリミッター解除をし、爆速で走れる様になった改造トラックの様なものだ。(ちなみにトラックに関しては違法である。)

しかし当然リスクはつきものである。

特に女性であれば、ある程度のイメージに容易いかとは思うが
ホルモンバランスを強制的に左右していくので
もちろんの事、精神的な面での弊害が非常に大きい。
かつ、内臓へのダメージも半端ではない。この状況を少しでも緩和、改善する為に
ケア剤と呼ばれる副作用を抑える薬をステロイドの他、数種。
1日に何度かに分けて飲む事が必要となる。
しかしそのケア剤にだって副作用と言われるものは存在している。

何かを手にする時、必ず何かが片手落ちになるというのは
この世に存在する限り仕方の無い事なのかも知れない。

ステロイドを使用する事で勝手に身体がメキメキと音を立てて大きくなるという事は有り得ない。
半端な状態でそれに手を出してしまうと
ただただ副作用だけをしっかりと全身で受け止めてしまうという最悪の結果となる。

【クラスタについて】

「身体を鍛えている人」という言葉で全てを括ってしまうと良くないのかも知れない。
筋トレ勢(トレーニー)にも大きく分けて3つのクラスタ分けが成されていると思う。

①何らかの競技、または健康や「モテ」の為に身体を鍛える。
(「目的=具体的目標」の為の「手段=筋トレ」)
②デカくなりたい。(抽象概念に由来した行為)
③単純に鍛えるのが好きだ。(行為=目的)

①に関しては勝利や、何Kg痩せたなど、わかりやすい結果があるものだ。評価が外部から与えられるものである。
それに対して②については自己評価のみの世界となる。内包された自我が自身を認めるかどうかなのだ。
その世界には他者は介在しない。

①~③、仮にどのクラスタに居たとしても、
イケてる身体になった。デカくなったね。
そう客観的に成果を褒め認められる事は単純に嬉しい。
ただ②の場合、既に自己準拠の世界に没入しているので他者からの評価では満足する事は出来ず
(逆に繊細に傷つく事もなくなるのだが)
自意識と永遠なるタイマンをしていく事となる。
ジムという場を考えるのであれば鏡に映る自身の身体と自意識。それを客観視する自分。という構図である。

そして私の場合、②のゾーンにピタッと適合してしまったのだ。
ただただ私が思う最強の個体(自身における絶対。果ては自身の神話に出てくる神)になりたかった事に気付いた。
かくして、自分の憧れのフィギュアを追い求め続ける、筋肉お遍路が始まったのだ。
昨日よりも今日。今日よりも明日。
明日を意識するくらいならば明日の分を今日やる。
私なりの闘争である。

【暗黙の話、そして】

そもそも、なぜステロイドの使用及び公表すらタブー視されているかという事もここで明記しておきたい。

何某かの競技に参加している者においてはステロイドはチート行為である事は間違いないのでタブー云々以外の問題でくくるべきであろう。
しかし、こちらについても各人なりの考えがあるはずなので言及は避ける。

それ以外の非競技者の場合
例えば筋肉系のモデル。筋トレユーチューバー、筋トレインスタグラマーなどは
様々なサプリ会社とスポンサー契約をしている場合が多い。
この世には各種サプリが無限と存在している。そのどれをとってもサプリは所詮サプリメント(補う、補足といった意味でのSupplementが語源)であり
医薬品でくくられるステロイドには太刀打ち出来ない。
(そもそもサプリと薬品では用途が違うのだが敢えて記す。)

憧れのAさんの身体を見て筋トレを始める。
Aさんがこんなプロテインを飲んでるなら俺もそれを飲めばきっと…!

ミランダ・カーが持ってる鞄だ と言われるとミランダになる事は出来ずとも、なんとなくそれを持って街を闊歩したくなる様なものだろう。
これは購買者のごく自然な心理だと思う。

ただそこにAさんがステロイダーであるという条件を付帯をさせた際には
どんなプロテインを。どんなサプリを飲んでいようともステロイドには敵わないのだ。

という事もあり、スポンサー契約で金銭を発生させている筋トレ勢はステロイドを公表する事は難しくなっている。
ただ、昨今のインスタグラムなどのビジュアルセンセーション主義的なところから
デカければデカい程、イイネが付く。
要はエンゲージメントが高くなる=モデルとして有能。といった価値観も生まれている。
よりイイネを貰えるデカさに到達する為には人間の拡張限界の先を行かないといけないところもあり
ステロイドユーザーにならざるを得ない。という現象まで発生している様である。

(そしてこれに関しては業界総出の暗黙の了解なのだ。この図式は確かに非常にタチが悪いとは思う。)

またそれと同時に
大会などにおけるドーピングチェックが実質ザル状態な団体もある事や
各種大会で優勝する(プロになる)身体のサイズに自身を到達させたければ
人間の限界値を遥かに超えたラインに立って居ないとイケないという事。
(FFMI(fat free mass index)という計算式を使えば凡そ、その身長体重年齢、キャリアで到達出来うる体型を逆算的に割り出す事が出来る。)

(FFMI = 体重[kg] x (1 - 体脂肪率) ÷ (身長[m])2
= 除脂肪体重[kg] ÷ (身長[m])2)


そして現段階は
規制が比較的緩やかである事もあり、各種大会にユーザーが紛れ込んでいる事が常態化している。
結果、各々が各々なりに知恵を使い、しのぎを削っている状態とも言える。

ただそこに関しては私は別に異論は唱えない。
競技者としての倫理観などを持ち出すと別の話にはなるが
自身の身体を自覚的に捉え、思うままに身体をカスタムしていくという事は
同時に背負う事となるリスクについてもきちんと把握、納得した上であれば
それについて否定的になる必要など一切無いと断言出来る。
もっと言うと
他人が口出しすべき問題では無いとも言い切れる。

誰かと競っているのでは無い。という上で
自身に目的意識がしっかりとあるならば、その目的の為の一つの手段を選択しない他は無いと思う。

無論、ナチュラル(非ユーザー)の人間からしたら同じ土俵に立つな、
と言った話であろうが
そのあたりは競技者、競技関係者同士で済ませてほしい話である。

あくまで私は既にナチュラルではなくユーザーであり
かつ非競技者のユーザーとしての所見を書いているのだから。


【イメージの世界】

タブー視云々よりカミングアウトする人が居ない。影でこっそり使うものになっている。
という理由。
ステロイドに対するそもそものイメージの問題である。

それはある種、刺青を入れてる人間は漏れなくヤクザである。といった旧式なステレオタイプの言説に近いものがある。
一般的にドーピング。ステロイドの名を聞くのは
ベン・ジョンソンしかり、オリンピック種目などでの『使用者=違反者』という図式の下で出てくるワードだからだと推察する。
非競技者がステロイドを使い自身の身体を大きくする事は(法的には)何の悪でも無い。
しかしイメージの問題でステロイドを使ってると言った段階で違法薬物に手を出している。かのような扱いを受ける場合が往々にしてあるのだ。

そしてもう1つ。非競技者であろうとも、使用を公言するに当たらない場合が多い理由。
使用者の心理的な問題なのだが、この点は私も非常に理解が出来る。
これもステロイドの世間的なイメージに由来しているが、
ステロイドを使ってる=何の努力もしていない。その身体の筋肉はステロイドのおかげでしょう。そう思われてしまう事がたまらなく辛いのだ。

ただここにはっきりと宣言しておきたいのだが
それは断じて違う。

当然、世間はステロイドの知識が皆無に近い。なので先の様に言われてしまうのも仕方はないと思う。
私もステロイドに当初から興味はあったものの、もちろん無知であった。
使用すると決めるまでの半年程の間、国内外問わず様々な文献、ネット掲示板での各種報告などをひたすらに読み漁った。そこでやっと知識らしい知識が統合された。
そのくらいなかなかに難しいアイテムだとは思う。

ステロイドとは飽くなき探究心の先。その先に見える、ほんの一寸の希望の光なのだ。
しかし、
飲んだからといって音を立てて身体がバキバキと大きくなる事は当然無い。
100%出力した上で、あとほんの数%の後押し、底上げをしてくれる。かもしれないアイテムなのである。

ステロイドが私をコンテストビルダーにするのか。
―しない。
誰かのヒーローになれるのか。
―なれない。

ただそうなる為の手助けはしてくれる。

しかし、摂取を続けていると確実に健康的な身体を蝕んでいくのである。

【私の場合】

ジムに通い始めて約2年が経過した。
身長174cm、当初体重60kgほどだった私はこの2年間で体重も20kg近く増えた。胸囲も現状およそ120cmほどになった。
世間的にはかなり大きな身体になったと思う。NIKEのXLのパーカーは既に小さい。
しかしこの2年間。1度たりとも自身の身体に対して満足をした事はなかった。
ジムに行き、一心に身体を鍛え帰宅し、鏡を見る。
確かな張りや成果を感じる事は出来たとしても、自身の身体の至らなさ、醜さに辟易とする毎日をひたすらに送って居る。

鍛えれば鍛える程、未だ見えない頂までの距離を思い知る事となり、より一層の孤独感、喪失感が押し寄せるという最悪の自体に陥ってしまったのである。

世界トップクラスのボディビルダーの身体を見て、その身体に憧れた事をきっかけに鍛えだしたという
初期の目標設定の高さも大きな原因ではあるとは思う。

しかし
安易に考えていたのだ。

ジムに通い粛々と筋トレをすればきっと私も歴戦のマッチョになれると思っていた。
結果は違った。

昨今の筋トレブームによって、筋トレ自己啓発本などが売れに売れ
筋肉は裏切らない。などが流行語大賞にノミネートされる状況ではあるが
速攻で裏切られたのである。

そもそも私の身体は私の思う『良い身体』になる素質が無い。
極端な言い換えをすると
遺伝子レベルで筋トレの素質が無い。

その事態に気づく事が出来るのも、ほんの一握りの人間なのである。

というのも筋トレというのは
鍛える事によって新たに筋肉が体内からボコボコと発生してくるもので無く。
生まれもって誰しもが所持している筋肉を如何に大きく
皮膚の下で成長させるかという話なのだ。

めちゃくちゃに鍛えて、誰が見てもわかる程デカくなり始めた頃、
身体のシルエットが浮き出て来た頃に
やっと自身が遺伝子的優位なのか、否かが判別出来る状況になるのだ。
(もちろんそれまでの筋肥大の速度などで察する事は往々にしてあるのだが。)

そして結果。
私が思う『格好いい身体』になれる素質を私は携えて居なかったのである。
例をあげるとすると腹筋の形が左右対称ではなく、なで肩でもあった。
広背筋のついている位置も高い。(ハイラットと言う。逆に低い位置から広背筋が生えているのはローラットと呼ばれる)

筋肉の話だと分かりにくいかも知れない。
違う例えを出そう。

胸の谷間がくっきりと出るグラマラスな身体に生まれたかったのに左右の胸が離れている。
もう少し目と眉の幅が狭ければ、もっと格好良くサングラスを掛ける事が出来たのに…。
もう少し足が長ければ、もう少し髪が、
生まれが、肌の色が…

それと同じである。
いくらそれを願ったとて遺伝子の問題には逆らう事は出来ないのだ。
途方もなくどうしようも無いのだ。

皮肉にも世間的にいわゆるデカい身体になりつつある、その時にやっと気付けたのだ。
私の身体は鍛えに鍛えたところで、いつまで経っても私にとっては未完成のままでしか有り得ないのだと。

この気付きは私にとってはとても辛いものだった。
当然先述の通り、ステロイドを使用し生物の根源的なシステムに介入する事で
従来以上の筋肥大を見込む事は出来る。

それと同時に
ステロイドを使わずとも、私より幾らも大きな身体を所持し、
私にとって、途方もなく格好良く思える方々も無限と居る事。
その上、
私がステロイドを使ったところで、未使用者である彼ら彼女らの身体を超える事すら出来ない場合がある、というのも重々承知している。
ユーザーの癖にその程度の身体にしかなれないのだ。と言われる可能性だって理解している。

様々な状況を加味した上で私はステロイドユーザーへの第一歩を踏み込んだのである。

ただし、先程から何度も話題にしている
『変えられざる遺伝子の問題(究極の個性)』を認め、受け入れ
どこかで自己肯定をしない事にはいつになっても孤独なままなのである。

こればかりは幾らステロイドをどのように使用したところで、報われる事は無い。
なぜなら全く別の問題だからである。
  

 
【理想の自分のアップデート】

一般的な話。
どんな人間であれ、自身にとって何かしら憧れの対象となる存在はあると思う。
目標や、モデルケースがある事は、その到達点までの具体的な道筋をイメージしやすく良い事だと思う。

それが仮に見た目の話であれば髪型を似せてみる。服装を真似てみる。など
憧れとした偶像対象への距離を行為により少しずつ近寄せていく事は可能であろう。
その結果を 
偶像との距離が近づいた。と捉えるか。
それとも、幾ら近づいたとしても私は偶像自身には成り得ない。

と認識するかの差はとても大きな差だと思う。
ちなみに私の場合は圧倒的後者であった。

少し不思議な話なのだが
人気プロレス選手である棚橋選手の二の腕の外周は41cm程だそうだ。
これはあくまでネットで見た情報なので正確かどうかは分からないし、いつの情報かも分からない。
ただ、私から見ても棚橋選手の腕は太く見える。

一方、私の腕は現状43cm程である。既に数値の上では棚橋選手よりも太い腕を所持している事になっている。
人間の目とは、周りとのバランスを見つつ縮尺のイメージを補完すると言うので
そのせいで棚橋選手の腕の方がはるかに太く見えるという事もあるのかも知れないが非常に不思議な感覚である。

一度でも自分にとってのイデアとなった存在は
どのように自身が行為を経て、変容したとしても
いつまで経っても自分にとってのイデアであり続ける様だ。

知人の例えが非常にわかりやすかったので引用したい。

実際にヒョードル(かつて地上最強と謳われた総合格闘家)が
仮に秒殺負けしたところで
自分の中でのヒョードルは未だに全盛期で常に最強状態。
だから自分もヒョードルを目指してトレーニングを続ける!

という状況である。

具体的だったはずの存在が概念へと転じているのだ。

親子、師弟関係の様な感覚も近いかも知れない。
または、幼少期に見た高校生が如何に大人に見えたか、の様な例でも良いかも知れない。
結果として既に先人(その時間を切り取ったメモリー)を越した場合であっても、未だに自身にとっては超えられない壁に思えるのだ。

ポジティブに考えるとこれは
常に追い続ける目標があると捉えられるが
ネガティブに考えると
ボディイメージの統合が出来ていないという事となる。
ボディイメージに障害を来していると同義である。

【ボディイメージの障害】

ボディイメージの障害という事で一番に連想されるのは拒食など、摂食障害であろう。
流行り廃りは変わりゆくものであるが
少し以前まではどう見てもガリガリといったモデルが雑誌の表紙を飾っていたりした。
あまりに不健康だという声が多く、最近はモデルの方の体型も多様性を見出しつつある気もするが、
彼ら彼女らは職業として自身の体型をコントロールしている面もあるかと思うので
ある程度は時々の大衆受けを考えての事だとは思う。

例えば、上で述べた様な世間で流布される「異形の偶像」に、囚われ
仮にボディイメージが歪んでしまった場合
明らかな低体重や低栄養にも関わらず、その当事者は客観的な視点を見失い症状は重篤さを増すという事となる。
ボディイメージに囚われた結果、体重に対する意識。食に対する意識までもが変容してしまうのだ。

私は精神に対する専門性は無いのでこれ以上の言及は避けたいが
本義での幸せとは何かとも思う。当人が幸せであったらそれはそれで良いのでは。
と思う事も多々ある。

しかし生命の維持を脅かすラインというのは確かにあり
その時々の当事者の精神は肉体と共に肥大の一途を辿っている
だからこそ、どこかのタイミングで矯正を図る事も必要と言えるかも知れない。
その線引きは、どこまで自分自身を俯瞰で見る事が出来、客体化出来るかという点のみである。

自意識とは自己愛とも言い変える事が出来る。
要は自己愛をどこまで適用するべきか と言った問題かも知れない。

【山月記】

精神の肥大と言えば、私は山月記(著:中島敦)を思い出す。
中高の国語教育の教材として使用されていたのでなんとなく内容を覚えている人も多いかとは思う。
自身に当てはまる点も非常に多い。私は李徴なのだ。
自意識をテーマとした優れた物語なので大まかなあらすじを紹介したい。

主人公である李徴は人付き合いの苦手なエリート官僚であった。
役場での立場などに苦しみ職を辞したが
その数年後、自身の才能に絶望し再び職に戻る。
彼が離職をしていた期間にかつての同僚たちは皆、出世をし
連中の下で働く事となる。
そして1年後、李徴は耐えきれず出張先で発狂してしまう。

またその1年後、かつての同僚であった袁傪が林の中を歩いている時
1匹の虎と遭遇する。その虎が漏らした声はまさしく李徴の声だった
そして虎となった李徴は言うのである。

私はひどい姿になってしまった。
気がついた時には既に虎になっており
なぜこうなったのかは分からない。しかし定めだと思う。

そしてこう続ける。

ヒトである「自分」の時間と虎である「俺」の時間があり、
自分の時間よりも徐々に虎としての「俺」の時間が増えている。
意識を持つ「自分」はそれを振り返るたびにとても苦しい。
いっそこの「自分」が消えてしまえば「俺」は無意識であるゆえ幸せである。

そもそもなぜ虎になったのか

虎としての「俺」になりつつある李徴はこう言う。
他者に傷つけられる事を恐れた「臆病な自尊心」があった、そして「尊大な羞恥心」もあった。
それが自らを虎にしたのだ。と。

そして李徴は虎の姿のまま茂みから出て来、
光を失った月を仰ぎ、咆哮し林へと帰っていったのである。


李徴の自意識も肥大の一途を辿っていた事が分かる。
その肥大が李徴を「ヒト」から「虎」へとしてしまったのだ。
ただ虎である自分も自分であると李徴は理解しているという点。
そして肥大した自意識を自認した事により
李徴は「ヒト」に戻れなくなる事が決定付けられたという点が非常に興味深い。
また強烈なまでの自己愛の対義語は隣人愛であると思う。 
李徴が最後、林に帰る事を選んだ際、袁傪を噛み殺す事はしなかった。
果てしなく肥大を続ける自意識(自己愛)の中で
李徴は「虎としての俺」では無く、隣人愛を選んだのだ。

ここで再度、本当の幸せとは一体何なのだろうか
という問題が発生する。
最早、悩み試行錯誤している期間こそが一番必要だったのではないかとさえ感じられる。

この苦悩のプロセスを私は
『満たされない身体性』と表現している。

そもそも自意識とは当事者だけの問題である事が往々にしてある為
「虎」となった李徴は不幸だったのか否かというのは各々の判断に任せたい。
虎になりきってしまった時には既に意識を持つ「自分」は存在しなくなっているのだから。

そしてかくいう私も既にステロイド摂取を行うまでに
筋肉に主体を奪われつつあり、
自身の、みっともない身体に対する意識の変遷
没入していく様などが李徴とひたすらに被るのである。

【生き方】

再三に渡り述べてきたが
この文章はステロイドをテーマにしては居るが
ステロイドの使用を勧めるものでも、後悔でも、
無論、自己肯定の為でも無い。筋トレは良いぞ!という話でも無い。
生きるという事、その中で悩む事、自意識を肥大させていくという事。
自我と自意識というものをどれだけ皮膚を通して表出させるのか。
内包させたままにするのか。という話である。

自身の中に他者を介在させる。と言った感覚に近いかも知れない。
その中で何をどう考え、どう行動を行うか。
ただそれだけの話である

この文章を書き出したのは2月の初頭。
そして2月11日、初のステロイドサイクルを終えた。
今は内臓ケアのサイクルに入り、そして猛烈な頭痛を体験している。
かつ、ホルモン量をいじり続けていた弊害による強烈なまでの精神的な上がり下がりの中、
この駄文を書き散らしていた。

また、これとは別で同時に日記的なものも書き記しつつ加筆修正を繰り返している。(それに関しては直にリリースしていく予定だ。)

兎に角、初のサイクルを終えての感想としては
生まれて始めての鬱症状もしっかりと自覚する事が出来た。
何をやっても、どのように考えても気分が上がらない。
なんなら多角的に物事を考えたりする事自体が既に面倒くさい。

など。
ごく親しい知人にメンタルバランスなど、客観視した自身の事をある程度管理して貰っていた事もあり
都度、愚痴や苦悩を全て吐露出来る先があった為
無事にその不安定期も乗り越える事が出来た。

何より圧倒的に精神が肥大したという事はわかった。
しかし、一番望んでいた身体の肥大。筋肥大に関してはイマイチ自覚は出来ていない。
きっと大きくは、なってる筈だろう。程度である。

早く次のサイクルに突入したい気持ちでいっぱいな反面
頭痛や、そして経験してしまったあの陰鬱な気持ちと
今後どのようにして向かい合うべきか。
そしてステロイド自体より、ケア剤と称して飲む医薬品こそ
私にとっては考える事が大きかった様にも思えた。
真にその薬効を欲している何某かの患者に対する、ただ純然たる冒涜ではないのか。
と私なりの倫理では思えてしまった。
しかし私も従来の用途ではないが、副作用を抑える為の必須アイテムとし、
とある薬をケア剤と称し飲んでいるので
「真に欲している人」と言えるのかも知れない。
難しい問題だと思う。
そういった事を、ただひたすらに考えている。

しかし私はまだまだ小さい。
誰が見ても圧倒的にデカい、といった身体を目指している。

手段を選びつ、やるしか無いのだ。

腕が、脚が例え1cm太くなったとしても
周囲から見て何がどう変わったのだという話かも知れない。

しかし間違いなくその1cmの肥大により自身の世界は変わって来るのだ。

私は肉体、精神問わず
全てにおいて肥大し続けたい。

これこそが果てなき渇望なのである。


先は長い,深い,コトバにならないくらい
先は長い,深い,コトバにならないくらい
先は長い,深い,コトバにならないくらい
(Tha Blue Herb - ILL-BEATNIK - 狼として生きる 
Fuji Rock Fes '00 version)より



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