聖なる殺人ごっこ vol.1 … 不可解な“初恋の彼”

画像1



【第1章】 意外な恋愛相談

【5月6日 木曜日】
 小嶋栞が相談を持ちかけてきた。
 これはただごとではない、と奥仲沙子は思った。
 学校での立ち振る舞いは、常に受け身。
 自分から話題を提供することも、仲間とつるむことも、ほぼなし。
 唯一気軽に言葉を交わす沙子も、栞の立ち入った話は聞いたことがない。
 そんな彼女に「相談がある」と昼休みの屋上へ誘い出されたのだ。
 どういう風の吹きまわし?
 変な胸騒ぎまで感じはじめた。
「どうしたの。なんかあった?」
 なかなか口を開かない栞に、沙子のほうから問いかけてみた。
 綿矢女子高校の屋上には、大型の天体望遠鏡が収納された銀のドームがある。それを囲うフェンスにもたれて、かれこれ10分は経つ。
「何、相談って。早くしないと昼休み終わっちゃうよ」
 さすがの沙子もしびれを切らしていた。それでも栞は煮えきらない様子。
 沙子はため息をついて、濃紺に染まる空を見上げた。
 栞とは同じ小中校に通った間柄だが、親しくなったのはここ1年のこと。
「名門」の冠がつく綿矢女子高校への入学は、万年成績不振の沙子にとって一生の運を使い果たしたような快挙だった。つまり、悪友はみな他校へ流れ、期せずして栞と距離が近くなった、という経緯。スポ根少女の沙子と、秀才を地でいく栞は、ほとんど交わることのない生徒同士だった。
「実は……」
「実は?」
「ちょっと、気になる人がいて」
 気になる人……。
「気になる人って、えっ、もしかして男子?」
 フェンスにもたせていた体が、勝手に跳ね起きた。
 何? 栞が恋の悩み?
「えっ、うん」
「栞、す、好きな人がいるの?」
 私は息を飲んだ。
 恋愛とは別次元で生きているような栞が、まさかの恋愛相談!
 衝撃をごまかす余裕はなかった。女子高生の相談といえば十中八九、恋の悩みと決まっている。けど、男子と会話する姿も見せたことのない栞が……。
 そういえば。
 先日、栞の持ち歩いてる本が「ロミオとジュリエット」の原書だと聞いて、驚嘆した。劇文学研究への興味だというが、純愛の聖典のような物語。愛読理由は勉強のためだけではなかった、ということだろう。
 栞は再び黙りこくってしまう。
 沙子はあわてて平静を装った。喉まで出かかっていた詮索の言葉を一気に飲み込む。
「う、うらやましいなぁ。ほら、私なんてさぁ、中3のとき、つきあいはじめた子に結局ふられたって話したじゃん。あれ以来彼氏もできないし、女子校だと出逢いもないし、男子なんかもういいや、って感じになっちゃって」
 あたふた言葉を継ぎ足していたら、思い出したくもない失恋話を口走ってしまった。
 中3の秋、片想いの男子とついに交際デビュー、と思ったのも束の間、仲介役の女子に横取りされる、という悲惨なトラウマを抱えていた。以来、気になる異性がいても告白や交際に踏みきれない……。一種の恋愛恐怖症に苦しんでいた。
 思えば入学したての頃、沙子の失恋話に、栞はよくつきあってくれた。おしゃべり好きの沙子と、読書好きの栞が学校で過ごす時間は限られていたが、ふたりの信頼関係はそれを機に深まった。
「私、電車通学でしょ」
 栞がようやく話を再開した。ホッと胸をなで下ろす。
「登校中、いつも由那駅から乗ってくる男子がいて……」
「へぇ。そういう出逢い、なんか理想的」
「私、話しかける勇気もないし、学校も知らないし、名前もわからないし」
「だよね。なかなか聞きずらいもんね〜」
「いつか電車で見なくなったら、もう一生逢えなくなるんだ……と思って」
 不安げな顔が、春休み前の栞と一瞬だぶる。
 3月の初め、栞が無断欠席し数日ふさぎこむ、という謎の出来事があった。それに関わる相談かとも思ったが、どうやら関係なさそう。
「言おうか、どうしようか迷ってて。でも沙子ちゃんにしか、こんな話聞いてもらえないし」
「そっかぁ。でも栞が声かけてくれるの、ちょっとうれしいな」
 栞が一大決心の末、打ち明けてくれた相談ごとにちがいない。沙子の失恋話を散々聞いてもらった恩もある。
「ありがとう、沙子ちゃん」
 栞はようやく微笑んだ。右頬にエクボができる、沙子の大好きな笑顔。
「私こそありがとう、っていうのも変だけど。いくらでも力になるよ」
 沙子の言葉と重なって、午後の授業を告げるチャイムが鳴った。

「ごめん。待った?」
 自転車を押しながら、沙子が正門へ駆けつける。ううん、と首を振る栞。
 ふたりは肩を並べて歩きはじめた。栞のくわしい話を聞きたくて、陸上部の顧問に練習を休む言い訳をしていたのだ。
「栞とふたりきりで下校したこと、今までなかったよね」
 坂の下から吹く風に、ふたりのスカートが翻る。
「沙子ちゃんは自転車だし、私は電車だしね」
 小柄な栞の髪が、沙子の目の前でかぐわしくなびいた。坂道の先には、瓦屋根の街並みと、海沿いを走る鉄道、陽光に瞬く水平線が見渡せた。
 沙子たちの住むS市は、東南に向かって突き出たS半島の、さらに東岸域にあった。その海岸線を南北約40キロに渡って民営鉄道が走っている。明治開業の由緒ある鉄道で、沿線には学校も多く、朝夕は学生でごった返した。
 沙子や栞の自宅は南の終着駅の千穂之港駅。栞は千穂之港から綿矢女子のある綿矢浜駅まで片道5駅を電車通学、沙子は同じ距離を自転車通学している。
 千穂之港駅と綿矢浜駅の中間に位置する由那駅で、ある男子が乗車してくるという。
「いつも発車ギリギリに、一番前の扉から飛び込んでくるの」
「で、毎朝見てて惹かれちゃったパターン?」
「実は、電車の中でちょっとした事件があって」
「えっ、ドラマチックな出逢いでもあった?」
 ここまでくれば、沙子も遠慮はない。
「もったいぶらずにさぁ」
 ポンと肩をぶつけると、栞は照れくさそうにうなずいた。
 田畑と民家を縫って坂道を下りきると、交通量の多い幹線道路にぶつかる。ここを渡れば最寄りの綿矢浜駅まで、もう目と鼻の先。
「ほら、綿矢浜って、年末から年明けまで工事してたでしょ」
 殺風景な無人駅が8割を占めるローカル鉄道の中にあって、寺院風の駅舎を有する綿谷浜は、中央駅的な位置付け。その歴史ある建物が、耐震性の問題で改築工事を余儀なくされたのだ。工事期間中は通路が板敷きになったり、臨時の階段が設けられたり、綿矢女子の生徒も不便を強いられた。
「仮設ホームだったときにね、電車とホームの間に大きな段差があって、毎日ビクビクしながら乗り降りしてたんだけど、一度降りるとき、つまずいて線路へ落っこちそうになったの」
 栞は苦笑する。
「線路へ? 気をつけなよ、栞。それ、ただの怪我じゃ済まないから」
 駅に着いたふたりは、自転車を停め、花壇に沿ったスノコ状の長椅子に座る。
「そのとき、助けてくれた人がいて……」
「えっ、まさか」
 栞は頷く。
「私の腕を取って、『大丈夫?』って」
「うわぁ、来た〜」
「でも私、顔から火が出るくらい恥ずかしくってさぁ」
「逃げ出したとか」
「注目の的にもなってたし、ありがとうございます、だけ言ってダッシュしちゃった」
「ちょっとぉ。少女漫画の世界じゃん」
「次の日も電車でその人を見かけて」
「気付いたときには、恋の矢が胸にグッサリ、みたいな」
 首を傾げてごまかす栞。けど、耳まで真っ赤。
「でも、気持ちを伝えたいとかじゃないの。その人のことを知りたいだけ、っていうか……」
「なんか情報持ってないと、不安だもんね」
 電車の乗り合わせがすべて、という関係はあまりにぜい弱だ。
「私、今まで人を好きになった経験がなくて……」
「栞だったら、うまくいくよ」
 その言葉に嘘はなかった。「超」がつくほどナイーブでカラに閉じこもりがちな性格だが、清楚なお嬢様タイプの栞に好かれて、いやな気がする男子はいないだろう。
「おせじ抜きで、栞、かわいいんだし」
 そんな、と手を振ってうつむく。
「純情ぶって、私の知らないところでコクられたりしてんじゃないの?」
 探るような目で栞を見た。その瞳がかすかに揺れた。
「えっ、マジでコクられちゃったとか」
「そういうんじゃないけど……。新学期になってね、ときどき誰かにつけられてる気がして」
「つけられてる、って、それストーカーじゃないの?」
 近頃物騒なニュースが多い。
「ただ、気配だけでさ、ちゃんと姿を見てもないし、毎日親が駅まで送り迎えしてくれてるから」
「栞さぁ、自分で思ってる以上に美人なんだし、ちゃんと自覚しなよ」
「そんなこと言ってくれるの、沙子ちゃんだけだよ」
 張りつめた想いを誰かに聞いてほしかったのかもしれない。抱えきれなくなった感情を解き放ちたかったのだろう。
 すぐにでもその男子を探し出して、栞の気持ちを伝えてあげたい衝動に駆られた。けど、ここは栞の気持ちを第一に考えて慎重に見守ろう。
「沙子ちゃんに聞いてもらえてよかった」
 他人行儀にペコリと頭を下げて、栞は改札の向こうへ消えていった。

ここから先は

27,241字

¥ 250

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?