真希波・マリ・イラストリアスと駿河哲也。究極のソロプレイヤーとその限界とは? 〜シン・エヴァンゲリオン、仮面ライダークウガ(漫画版)〜
シン・エヴァンゲリオン(又はエヴァンゲリオン 新劇場版シリーズ)に置ける真希波・マリ・イラストリアスは理想的な意味での現実主義者である。
巷でも色々言われている通り彼女はエヴァとゆうか庵野世界の外側の住人である。
彼女はエヴァ世界のシンジやアスカやゲンドウ、ミサトあるような幼少時の家族とのトラウマもないし、承認欲求も求めていない。
彼女にあるのはチルドレン(エヴァの操縦者)である立場を巧みに利用して、自分の取り巻く状況全てをゲーム化して自分の手持ちのカードを整えていき、ここぞという時に手札を切る。
彼女はエヴァに搭乗し、その力を行使する事が純粋な快楽であり、エヴァ破において2号機のビーストモードを発動し、人である事と放棄する事に何の躊躇もない。
かと言って闘いのみ求める戦闘狂であるかと言えばそうでもなく、破冒頭で仮設5号機を動かした際も、自身を利用した加持リョウジに対して、
「自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするよな〜…」
互いに利用していた加持に対しても労うという大人な態度を見せる。
<戦闘狂>としての危うさと、<職業軍人>としての責任の両方を合わせ持った極めて奇妙なキャラがマリだ。
一方で漫画版仮面ライダークウガにも駿河哲也というキャラがいる。
彼は刑事である一条薫のライバル的存在であり、クウガである五代雄介とは別にグロンギに対抗するため様々な策を打つ。
まずアギトとして覚醒した津上翔一をあの手この手の精神的な操作で自分の配下に置く。
そして科警研の榎田ひかりともコンタクトを取り、グロンギの対抗するための兵器、神経断裂弾とパワードスーツG3の開発を斡旋させる。
彼自身、クウガの能力を持っていないただの人間ではあるがグロンギに対抗する手札を整える計画には抜かりがない。
マリと駿河は確かに強い、ソロプレイヤーとしてなら最強のキャラクターといえるだろう。
しかし、この二人にも明確な弱点がある。
それはソロプレイヤーである限り、大状況を覆すような力を持ち得ない事だ。
ソロプレイヤーとゆうのは、集団とか組織に対して周到に負けないための試合する下準備するのがせいぜい限界なのであり、あの二人だけで旧ネルフのゲンドウやグロンギの上位集団には対抗出来ないのである。
結局、マリにしても旧ネルフのゲンドウ的な組織の持つ巨悪に対抗出来ないし、ヴィレのミサトの様な自己犠牲の精神も彼女には背負えない。
同じ事が駿河にも言える、彼は勝利に対する執着が左程なく、刑事としてのグロンギ討伐の任務をゲームとして見てる。(職業業人としての責任意識がマリに比べるどうも欠けるので彼の方がある意味厄介な人物であるといえる💦)
が、結局総合的なスペックでいえば、自己犠牲の精神とクウガとしての戦闘力を併せ持つ五代の方がプレイヤーとしてはやや上なんじゃないだろうか。
確かにあの二人の様な特異な能力をもった人間は世の中には必要だ。
しかし私としては、シンエヴァの第三村やミサトを始めとするヴィレの面々、五代や一条を始めとする未確認対策本部の面々の泥臭くて地味な職業人として努力や尊さというものに少し加担したくなったと最近思ったのである。
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