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いつだって自由

このnoteは、YUI『My generation』から連想して、私が思ったことを、つらつら書いたものです。


グラウンドに吹いた風を 小さな窓から
吸い込んで ため息

YUI『My generation』

もう冒頭の歌詞だけで好き。風景が目に浮かび、世界に引き込まれる。

この歌詞を聞いただけで、感情とか共感とかよりも先に、授業に集中できずに、窓から校庭を眺めた学生時代を思い出す。

そして、ため息。勉強に集中できないけれど、だからといって、確固たる夢もない。大きな不満はないけれど、なんだかどんよりしている。

チャイムが鳴り終われば 現実はもっと速く進んでいくでしょう

YUI『My generation』

バックの音楽がここから、厚くなっていくのが良い!
時間のスピードが増して、現実においてかれそうな感じがする。

どうでもいいけど、休み時間の廊下の賑わいって、すごいよね。ザワザワザワザワ。授業中は誰もいなくて、ひんやり暗いから(教室側が明るくなるように校舎は設計されているから、大抵廊下は日陰)、余計にそのギャップでわちゃわちゃ感が増す。私の中で、休み時間といえば、廊下かな。

窓ガラス割るような気持ちとは ちょっと違ってたんだ

YUI『My generation』

そう、そうなの。「盗んだバイクで走り出す〜♪」(※)ではないのよ。そんな無謀で大ぴらなことをしたいわけじゃない。でも、”今”はなんだか退屈で、抜け出したい。

※尾崎豊『15の夜』より引用

描いた夢を信じきれない弱さに ただ支配されてた

YUI『My generation』

1番のサビ最後。私の中にあるモヤモヤの正体を、ずばっと言い当てた歌詞。未来そのものへの不安もあるけれど、それよりも、自分がやりたいことに踏み切れない自分への葛藤。充満していた煙の大部分を占めていたのは、これだった。他人に信じられないことよりも、自分を信じられない方が辛い。だ自分からは逃れることはできないからね。

こみ上げる希望なくしたら また道に迷うだけ

YUI『My generation』

不安や葛藤に押し負けて、諦めても、また振り出しに戻る。悪くはないけれでも、良くもない、カラーのない白黒の世界で心を失くして生きる。そんな現実に戻るだけだ。

覚悟があれば いつだって自由よ

YUI『My generation』

「自由になりたい」「自由が欲しい」という言葉に違和感を覚える。だって私たちは、もう既に自由だから。身分社会で住むところすら自由に決められない時代ならまだしも、この時代にこの場所で暮らし生きる私たちは、もう十分に自由だ。私たちを縛るのは、我が物顔で我々の頭に鎮座する、誰のものかも分からない価値観。それを打破する、少しの覚悟さえあれば、いつだって私は自由だ。


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