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合理的じゃなくていい
合理的とか効率とかいう言葉は甘美である。
家計の見直しをしている時間や、企業の決算情報のチェックをしている時間は好きだ。とても合理的で行動で、時間を有効活用しているように思えるから。節約すればお金という形で、目に見える結果にもなる。
Smartだ。Cleverだ。憧れる。
憧れは、いつのまにか脅迫に変わる。
「私は合理的人間でなければならない」
ポイ活。ぽちぽちするのは手軽で、非常にそそられる。でも、私は合理的人間だ。ポイ活のように、時間単価の悪いことはすべきではない。
しかし「ポイ活やりたいA子」は、事あるごとにネチネチと文句をいう。その度に「合理的ヒューマンB」がお説教をする。一回決めたことにネチネチいうA子もA子だし、ヒューマンBは正論を武器にするなと言いたい。そんなこんなで頭の中は、いつも喧騒状態だ。喧騒は双方に体力を消耗する。ポイ活の時間単価の悪さよりも、この喧騒の方が効率悪いのではないだろうか。ああ、まるで大企業の延々と続く「効率化会議」のようだ…。
コンビニコーヒーがドリップされるまでの待ち時間。
同じ曲を何度もリピートして聴く時間。
どうでもいいことをこちゃこちゃノートに書く時間。
どれも、かけがえのない時間だ。
呼ばれても、いつも気づくのがワンテンポ遅れる自分。
コピー機にデータ伝送したつもりが、できてなくて、自席とコピー機を早足で何往復もする自分。
職場のフロアが覚えられなくて、7階から6階まで階段で降りて出勤する自分。
本当の自分は、すごく不器用で、合理的とは程遠い。効率的になろうとしても、全然なめらかじゃなくて、自転車で角を90度で曲がるような、ユーモアさえある。
合理的じゃなくていい。空回りでいい。
ー高橋優「Piece」ー
そして。
合理的でもいい。
このNoteは、高橋優さんの「Piece」の歌詞に着想を得て、執筆しました。
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