出来事の意味は、まだまだ分からない。【POOLO6期卒業制作】

※この記事は、POOLO6期の卒業制作です。

第一タームや第二タームではチーム活動には参加していたものの、それ以外でメンバーに会うことはほとんどなく、POOLOを充分楽しんでいるとは言えない状況だった。
第三タームから、もう少し積極的に参加しなければと焦り始め、参加したのが、チームHの3人が開催してくれた「スナックともしび」。
「なかなか打ち明けられなかった話」や「相談したい深い話」を、チームHの3人とその日偶然集まった参加者3〜4人程度で話しあうというもの。
今から思えば、それはすごく運命的なタイミングだった。スナックともしびの参加者募集の1週間くらい前に、美術館に行くイベントにたまたま参加しており、そこで出会った人たちがチームHの3人中2人だったのだ。わたしは、話したことのない人たちの集まり、ましてや深い話をするとなると足が遠のいてしまうタイプだが、たまたま美術館で知り合った2人がいたから参加しやすかった。
そして、そのときは少しずつPOOLOとの関わりを増やしていた段階で、心が弾むにつれ、自分が誰にも言えずにいる秘密がくすぶりはじめてもいた。
チャンスなのかもしれない、と、私はスナックの募集を見て思った。話をするのはとても怖かったけれど、それ以上に、このタイミングは自分に差し出された運命的な機会だと思えた。

夜のスナックで、私は、深く自分を傷つけている秘密を話した。
他の人たちの問いかけにうながされ、意外にもするするっと言葉が出てきた。
打ち明けても、悩みが解決するわけではない。それでも、みんなが私の話に耳を傾けてくれた嬉しさと、互いの話を共有できた絆が心に残った。

その夜からしばらく経ったとき、私は自分の他人に対する態度が変わっていることに気付いた。
私はいつも、人と話す時、相手にどう思われるかを常に意識して、相手に嫌われないように、喜んでもらえるように、正解を考えながら話しているなと思う。
その感覚がなくなったわけではないけれど、以前よりもその自意識が薄れて、柔らかい自分のまま話せているような気がするのだ。
心の中に感じる温もりに意識を向けてみたとき、私はそれが「愛情」と呼べる感情ではなかろうかと気がついた。

伊藤守さんは「こころの対話 25のルール」で、本心を受けいれてもらえなかったり、否定されてしまったり、自分の話を聞いてもらえないコミュニケーショを繰り返していると、やがて自分の存在そのものが否定されているように感じてしまうと述べる。

自分 は 聞かれないという経験 は、 辛く 耐えがたいものです。 だから、 いつしかわたしたち は、 人と向かい合うとまず、 この人はだいじょうぶ だろう か、 わたしを傷つけないだろうか、 あの苦痛を味わわなくてすむようにしなければならない と、「警戒」 するのです。

伊藤守「こころの対話 25のルール 」(講談社+α文庫) (p.21). 講談社. Kindle 版.


あのスナックの夜、心の深い部分の話を、最初から最後までみんなに聞いてもらえたとき、私は自分を他者に受け入れてもらえたという深い安心感を得たのかもしれない。それが私の他人に対する警戒心を薄れさせ、心の奥底にあった感情を表出させてくれたのかもしれない。

きっかけはたぶん、それだけではなかった。例えば、みんなでカフェに行ったとき。私は大勢のなかで話すときは聞き役に回りがちだが、ある子がふいに、
「ゆっこさんは、POOLOでやりたいことないの?」
と聞いてくれた。そして、私の話にその場にいる全員が耳を傾けてくれて、「いいね、やろうよ」と言ってくれた。
それは、本当に何気ない瞬間だけれど、私にとっては背筋に電流が走るような衝撃だったのだ。今まで、自分のやりたいことをこんなふうに全肯定してもらえるなんてなかったから。
POOLOの人たちは自分がやりたいことに真っ直ぐだからこそ、周りの人のやりたいことにも真っ直ぐに反応できるのがすごい。

スナックやカフェの出来事の直後、私にとってそれがそんな意味を持つなんてわからなかった。出来事が起こった瞬間に感じる感情や学びだけではなくて、自分も気づかないうちに内側からじわじわと変えてくれるものもあるのだろう。

もうすぐPOOLOの卒業式だが、みんなとの関わりはこれからも続いていくだろうし、みんなとやりたいことも無限に増えていくのだろうなと思うと、卒業の実感がない。そして、POOLOで過ごした時間の意味が、これからも少しずつ形を変えていくのかもしれないと思うと、未来が少し楽しみである。


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