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本の魚

図書館と、苦手なエリアと、素敵なつどい。



このページは「skyアドカレ2023」参加記事です。






前書き


Skyを始めて早いもので、そろそろ3年。すっかりこの世界にも慣れ親しんでいると言えるのに、星の子のたたずむ姿やひらひらはためくケープの形、エナジーが回復していくグラデーション、陽の光を遮るように立ったとき内側でふんわり留まって輝く色……小さな美しさにふと目を奪われては、今の好きだなあってしみじみよく思います。
音についてももちろん、風景は言うまでもなく。飽き性の自分が2年以上同じゲームを続けていて、しかも思い出のこもった動画や写真の増えゆくスピードが始めたての頃とそんなに変わらないの、すごいよ……。

星座盤を見上げれば、有り難いことに、星々にぎやかに光っています。
フレンドではなくても、X(旧Twitter)で縁を繋いでいただいている方々のきらめきも、歩んでゆきたい方向や足元をやさしく照らしてくれているように感じます。いつも本当にありがとう。

Sky大好きな私にとってSkyの楽しさといえば、なのでたくさん思いつくのだけど……ひときわ静かにあたたかく心に住み着いている存在があります。それが「書物に親しむ定例会」

今回、アドカレという、これまたものすっごく素敵な席をひとつお借りして。
しがない星の子ひとり「書物に親しむ定例会」に触れて得た、すこしの嬉しい変化と、思い出していたこと
つたないながら語ってみたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。





気ままな思い出、冷たい足元

「すこしの嬉しい変化」まず、さくっと言ってしまいましょう。ずっと苦手意識のあった書庫というエリアで気が付けば、愛着をもってのんびり過ごすようになりました。
(星月夜は大好きですよ、メインのエリアとはまた別次元のものと認識しています)

……言葉にするとなんとも他愛無い変化ですね。
ですがこのささやかで思いがけない変化に気付いて以来、素敵なつどいが私のなかで、春の陽光のようなあたたかさを、たしかに宿すようになったのです。

ちょっと思い出ばなしをさせてください。


Skyの世界に生まれ落ちてすぐ、いわゆる雀だった頃。はじまりの孤島でまずやったことといえば、寂しい美しさにじっと見惚れカメラのシャッターを……ではなく。
このゲームではエリアの前後左右に端っこは存在するのか、ループする感じか? もしも端っこがあり落下してしまったらゲームオーバーだろうか? などを見極めるため風壁に向かって猛ダッシュすることでした。
神殿前ではゴールの気配を察して右側の雲トンネルの方へ。大量の蝶々を解放したのに宝箱や実績解除のひとつもないのか、と思った記憶があります。ゲーム脳な雀。

その後ものびのびとせわしなく動き回り、しかし救いようのない方向音痴で、雨林では盛大に迷子になり。
雨のなか途方に暮れていた自分を見つけた先輩星の子さんが、そのまま峡谷まで導いてくれました。
「この雀は寄り道が好きそうだ」とどこかで感じたのでしょうか。手を引くことは最低限で、すこし離れたところから見守ったり、追尾手繋ぎで私に操作を任せてくれていたりしたその先輩が、おもむろに星座のバリアを抜け、天球儀のほうへ連れて行ってくれたのです。

「まだ私そっちへ行けないはずなんだけど……、この世界は自由なんだなあ」「こんなふうに、おそらく進行に関係ないであろう場所に留まって遊んでいても、誰にも急かされないし、進みたくなれば進むで良いんだ」。
あの日見た夕陽と天球儀の美しさは、いまでも目に焼き付いています。


さて、そんな自由気ままな雀はしかし、まもなく恐怖と対峙することになります。
それが書庫でした。


あ、捨てられた地では、何かアレを倒せるギミックがあるはずだ! あのダイヤが怪しい、大砲に変形するのでは、任せろ火はここにある! とひとり盛り上がっていましたよ。いろいろ痛い目にあってからはスニーキングミッションへ気持ちを切り替え乗り切りました。
壁にぶつかればキィンと、およそ生き物らしくない音を響かせる作り物めいた星の子に指が無いのは、武器を持てないようになのかな。


閑話休題。星の子の無力さを痛感させられたあとの書庫は、あきらかに安全で、整えられた美しい空間で。
けれど私が咄嗟に感じたのは寒さでした。物語の最後の予感というのもそうですが、死の匂い。一歩目の怖気を今でもありありと思い出せます。

これまでのエリアでも寂しい風化を感じていたけれど、ここにはいまだ生々しく悲嘆や抵抗、祈りの気配が凝縮されているように感じました。整列したキューブは叡智の書物というより棺に見えた。
それから星の子への……星の子の立場へのメッセージ、使命の訴えがひたひたと。エレベーターは一方通行、寄り道はもう許されない。
急に現実を突きつけられたかのような寒気を感じながらも進むしかなくて。夢みたいな夜空色の景色のなかあらわれるマンタは、導いてくれるというより攫うようだった。
行きなさい、行くべきだ、行くことになっている、戻れないよ。……これは誰の意思なのだろう? あなたは、誰? 勝手な妄想を広げながら、綺麗なマンタたちへ疑いの眼差しを向けるちっぽけな雀ひとり。




氷をとかすのは光

ちょっとの思い出ばなしのつもりがなっっがいね。
ほかのエリアと比べて書庫はどうにも足を運びにくく、長居はせずに立ち去りたくなる。初めて訪れたときのあの、足元から伝ってくるような冷気の記憶が、息を詰めさせていました。

時は流れ、もちろん徐々に慣れていき、緊張ほんのりやわらいで。

そして、ああ全部すうっと溶けたと感じられたのが「書物に親しむ定例会」。おなじ場所ですこしの距離を空け、眠っているように見える野良さんたちを眺め、彼らもきっといま自分と同じように本を読んでいるんだろうな、とすんなり思えたときでした。

本を読む集まりですから、参加者らしきひとなら本は読んでいるだろうというのは明白かもしれませんが……、定例会のあとのタグ巡りで、おなじ場所で本を読んでいる人がいた、やっぱり、こんなにも! と、じわじわ実感を重ねて。
画面内の星の子は眠っているけれど自分は本を読んでいるという差異も馴染み。
そのなんともいえない、安心感。

力を抜いていられました。
すぐそばで誰かが本を読んでいる景色を見て、ほっとして。また、力を抜いたまま読書に戻っていく。
「息継ぎ」の感覚を思い出していました。




本の魚

読書好きの人を指して「本の虫」と形容するけれど、私は「本の魚」と言う方がしっくりきます。

図書館に行けば分かりやすいでしょう、一生かけても読みきることはできないなという広い本の海、こちらからあちらへ、すいすい泳いでゆく魚たち。
迷わないようにあらかじめ探しものを決めてまっすぐ進んでいたり、直感に身を委ね未知の本を手に取ってみるという贅沢な旅の途中であったり、ただのんびりと本の匂いのなか揺蕩っていたり。
魚どうしぶつかりそうな距離になっても、お互いをろくに見ないまま上手に避け合います。

本の海を泳いだことのある方ならこの光景を、きっと容易く想像していただけると思うのですが……ひとたび潜ってしまえばあとは楽しんで読書に集中していられるはずが、水面のほうからキラキラ乱反射して届く光や、ざわめきをやめない波のうねりがどうしても気になり浮上してしまうときがありますね。

そうして浮き上がってしまったら、もう一度潜りに行くのは億劫で。
そういう「今日の読書はここで断念」を、いっときの「息継ぎ」にしてくれるのが、自分のそばで同じように本の海を泳ぐ人たちの気配だと思います。

ページをめくる音や遠慮がちな咳払いなど、雑多で、かつ吸い込まれるような静かな空気をしばし眺めては、とぷん、と、また物語の海の深いところへ戻ってゆく。……




常に本好きの仲間が身近にいて、お互いの誕生日には本を贈りあった学生時代はあっという間に遠く。
そしていまはだいぶ落ち着きましたが、コロナ禍で図書館の利用を避けざるを得なくなり、本を読んでいる人の気配をすぐそばで感じられる機会は、息継ぎする実感は、ひさしぶりでした。
画面越しでもこんなにも嬉しく、あたたかいものですね。

本を閉じて定例会を後にするとき、考えることはいつも「次はどんな本を」。
参加した日のあとの楽しみ、タグ巡りもわくわく! その本いいな、この方と趣味が合いそうだなあとにこにこ眺めさせてもらっています(そして自分はつぶやくのを忘れていることがままある)。

書庫番さま。お辞儀して立ち去ろうとすれば、しゃらしゃら手を振って返してくださるあたたかい方々。いつも大感謝です。

そして、こんなとりとめのない文章をここまで読んでくださった方。
心からありがとうございます!


2023/12/05
ユウリ @_yrss

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