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体験記(ふりかえり整理)

一つ前の記事を読んでくださった方、コメントをくださった方、ありがとうございました。

前回はただつらつらと経過を書きましたが、今回はもう少し要点でまとめてみようと思いました。結局の内容は前回とほぼ同様になるかもしれません。これも自分用備忘録ではありますが、もしよければ見てくださると嬉しいです。

グッジョブ

  • 私、ここぞという時に叫べるんだ。

  • 1/2、祖母が私に手作り餅を土産に持たせようとして、今それどころじゃないやろって一旦断ったけど、そのあとやっぱりもらってきてよかった。1/3、関東の自宅でパートナーにお雑煮にしてもらっていろんなことを考えながら食べた。

  • (グッジョブ、とは違うかもしれないけど、)トラップに引っかかって穴の空いた靴下、避難所の自販機で買ったカルピスウォーターの空ペットボトル、スマホ電池切れた時ようにと重要人物の電話番号をレシートの裏に書き出した手書きメモ、色々思い出の品としてとっておこう。

  • モバイルバッテリー持ってた!

  • 余震然り、自分が関東に戻って被災地残してきた家族のこと然り、心配しすぎたくらいだったけど、まあ心配するに越したことはないってことで結果オーライだったかも(それで精神的に参っちゃうほどだったらまずいけど)。先述したように万が一のために連絡先を手書きメモに残したり、実家でなるべく無駄なく短時間で必要な避難グッズ回収できるようあらかじめ思いつくものリストアップしておいたり、健康面関連のことを家族に呼びかけたり、私が関東に帰ってからも色々情報を調べて共有したり、こまめに母と連絡をとって話をしたり。


ラッキー

  • 正月で親戚が集まっていた。頼りになる伯父や若い私がいたことで、判断・行動・誘導など、うまく行った部分は多少なりともあったと思う(祖母が1人だったとしたら、ご近所も各家高齢者ばかりだったら、と思うとぞっとする)。

  • 父はなぜか外にいたけど(無事でよかった……)、他親戚一同居間に揃っててよかった(祖母はしょっちゅう居間と台所を行き来してるので、地震が来た時に台所にいたとしたら、それこそぞっとする!!)。

  • 電線事件(一つ前の記事参照)、対処方法絶対間違ったけど無事でよかった…………。

  • 祖母宅、色々損害はあるものの、大きな倒壊はなく私たち親戚も無事でよかった!!

  • 実家、家自体も物も、思ってた以上に損害ほとんど無く、よかった!!(もちろん散乱はしてるので片付けは大変だろうし手伝えなくて申し訳ないけど……。)

  • 地震直後の高台への避難は絶対必要であったことに変わりはないけど、結果として私の実家の地域は津波の影響あんまりなかったようで本当によかった……(地震直後の防災無線で大津波警報が鳴ってる時は、今ここで正しく避難できなかったら、このあと私たちここで死んじゃうのかな、と思った)。

  • 地割れはあちこちであるものの、使える道が完全に遮断されて孤立状態になるようなことも実家のあたりは幸いなく、大きな渋滞に巻き込まれることもなく諸々車移動できた。

  • 避難所に高校時代の後輩がいて、知ってる人がいて安心できた。なんならそこの建物で働いている(?)ようで、避難所の現状についての話も聞きやすかったしありがたかった。

  • 暖冬。積雪もなく。

  • 1/1・2は、北陸とは思えない天気の良さだった。基本雨デフォルトみたいなところがあるので、本当よかった。雨降ってたら避難も桁違いに大変だったろうし、倒壊された家への二次被害も地震直後から容赦なかったろうなと思う。

  • 新幹線復旧(感謝案件)、指定席チケット確保、大きな遅延なし、プチハプニングの中無事乗り換え、降車駅着いてから気づいたけど大急ぎで無事降車(隣席の方に大謝罪案件)。何かと奇跡的にうまくいった。

    電気や通信が無事!!連絡も取れるし(通じにくい時間もあったけど少しだけ)、情報も調べられた。


感謝

  • 連絡をくれたり、会った時に声をかけてくれたり、寄付をしてくれたり、心配したりしてくれた知人の皆さん。精神的に支えられ、力をもらって、心強くて……。ここまで救われるとは!

  • 不安な夜も、情報を提供してくれて、ずっと私たちの心に寄り添ってくれたラジオ。

  • 頼りになった伯父。判断、家の片付けや直し、ユーモア、能登から金沢への車の運転、などなど。

  • 自分自身も怖くて仕方ないだろうに、避難所で市民のために働いてくれてた高校時代の後輩。

  • 避難所の自販機が少なくとも1/2朝までは飲料が売れ残ってた。みんなお互いのことを思って、必要最低限だけ買って、買い占めたりはせず残してくれてたのかなと思う。

  • 能登から金沢まで送ってもらえて本当によかった……。あのチャンス逃してたら次いつ関東に帰られてたか。

  • 新幹線復旧の速さ!!

  • 今も大変な中地元のために一生懸命働いてくれてる、行政関係に勤めてる高校時代の後輩たち。

  • 自分たちもいろんな不安や恐怖やストレスと戦ってるだろうに、医療現場で一生懸命働いてくれてる高校時代の友人たち。

  • 地震直後も情報収集・共有をしてくれたり、関東に戻ってからも不安定な私に寄り添って支えてくれたパートナー。

  • 私が関東に戻ってきてからの話だけど、予想以上のスピード感でインフラが整っているみたい。復旧や支援に携わってくださる全ての皆様に心から感謝。


気付き

  • 実際に避難所で生活したわけではないし想像をしただけだけれど、避難所の集団生活には、耳が聞こえにくい方、セクシャルマイノリティーの方、外国人の方や日本語が伝わりにくい方、発達障害の方、妊娠している方、高齢の方、まだ小さい赤ちゃん、他にももっと様々、いろんな方達がいるだろうなと思った。避難所の集団生活に関わらず今までもこれからも日常の世界の中にもかわらずいらっしゃるはずだけど、そんな当たり前のことを今回改めて思った。そして集団生活だからこそ、ご自身も周りも苦労することがたくさんあるだろうなと思った。私の父も現に体調が安定せず消灯後も咳したりしてるらしいし、それこそ父自身も、同じ部屋で睡眠をとるはずの他の被災者の方達も、大変だろうなと……。

  • 家族たちはまだ避難所生活をしてるけど、祖母は数日前から自宅での生活を再開したらしい。家の損害的には実家より祖母宅の方が心配ではあるけれど、古い家ならではのボットン便所が断水中の今はかえって生活の不便は少ないかもしれない点では、祖母宅では意外と生活していけるのかも。そして何より、せっかくの年齢には見合わない元気さを保ってる祖母なので、今回の避難所生活で身体面・精神面・認知面共に一気に落ちちゃったらどうしようと心配だった。祖母自身もそんな気がしていたらしい。鋭い。自宅に帰ってからは一応よく寝られているとのことだし、家も元の状態とは違うだろうけど今できる範囲での家事などはきっとせかせかとやってることだろうし、ご近所付き合いもできるだろうし、何より住み慣れた自宅に戻ってきて生活できるのは物理的な心配は多少なりともあるだろうけど精神的には安心するだろうと思う……。まだ諸々が不安定な間は家族と祖母と一緒に避難所で過ごしてもらったけど、余震もインフラも多少落ち着いてきたこのタイミングでの祖母の自宅生活再開は正解だったと思う。

  • 皮肉にも今回のことで数年ぶり、下手すりゃ10年以上ぶりに連絡をとった地元の知人たちが何人も。普段あんまり人と連絡をとるタイプではないのだけれど、今回は自分にしては珍しく、自分から連絡を送ったりした(SNSの投稿で連絡しても大丈夫そうな雰囲気を察した上で、投稿に対してdmを送ったり)。そして、かなり久しぶりなのに、皆さん覚えてくれてた。普段表立って連絡取り合ったりしてなくても、実はみんな心の中では繋がってたんだね、と嬉しくなった。そして、1人じゃない!みんな一緒!と思えた。

  • 発災から数日最低限の生活すら安定しない間は私が遠方ながらインターネットで情報収集して有益な情報を家族に共有する、という形でなるべく力になりたいと思ってたけど(そうすることが自分の精神安定にも繋がった、ある意味自己満)、意外と情報収集ってあっという間に時間溶ける。つまり、被災地で自力で色々調べてる余裕なんてないだろうなと思った、幸い電気は通ってたとは言え、時間や気持ちや労力的な意味でも。情報収集って簡単そうで大変なんだ。

  • 何においても「被災地」の様子を報道やSNSで見るのは辛いことだけど、昔からずっと生活の中にあった、生まれ育った町が「被災地」になって変わり果てた様子を見るのは、またちょっと違った辛さがあるかもしれない。

  • よく聞く話だけど、当たり前の日常が送られることのありがたみを感じる。

  • 私ではなくて母が気づいてくれたらしいことの話になりますが、避難所でただテレビとか見て過ごすよりも、無理ない範囲で避難所内ボランティアで動いてた方が時間が経つのも早いしかえって気持ちも落ち着く、と(めちゃ作業療法的やん……!そうなんですよ……。と自分の仕事柄嬉しくなった)。

  • 優しさとか、愛とか、感謝とか、希望とか、支えとか、力とか、そういう概念に今まで無縁なまま捻くれて生きてきたけど、自分自身の考え方が少しずつ変わってきたところ今回の出来事があって、そういう概念が自分の中で実体を持つようになってきた感覚。そういう概念には偉大なパワーやエネルギーがあるし、そういう概念に対して恥ずかしがらず正直になって、そして信じようと思えてきた。

  • 同様のことで、皮肉なことに地元愛・家族愛も増したと思う。


反省、今後への教訓

  • 視野が狭くなってて、良かれと思ってした情報拡散が、実はデマの拡散や差別への加担になっていたかもしれない。

  • メガネや替えのコンタクト1セットくらい常に携帯してた方がいいのかな……。

  • モバイルバッテリーも携帯すべき。ちゃんとフル充電で!(地震の時携帯してたのは物自体が結構古くて、結果一応一晩越せたからよかったものの、ケチらずちゃんとモリモリ使える心強いモバイルバッテリー、新しく買い直そうかな……。)

  • ガソリン、日頃からあんまりギリギリを攻めず、余裕持ってこまめに補充しに行こう。

  • 飲まなくちゃいけない定期薬は、家にいようがいなかろうがとりあえずいつものカバンに入れとくくらいでいいのかも。

  • 電線×触れる×水、ダメ絶対。

  • 「Yahoo!防災速報」のアプリをせっかく入れてたけど、活用方法を知らなかった。

  • 幸い電気や通信は生きてたので後からでも色々調べられてよかったけど、発災後何も情報を得られない場合を考えると、やっぱりざっと主な避難所くらいはあらかじめ把握しておいた方がよさそう(当然のことなのかもしれないけど、私にはそれができてない)。

  • 防災バッグ作んなくちゃ……(こんな経験をしたにも関わらず、関東の自宅でまだ準備できてない、学習してかつ行動してくれ自分……!!)。

  • 持ち出し用防災バッグ以外にも、こういう時の防災定番グッズ一式や備蓄も家に準備しておかなくちゃな。

  • これもまだ行動に起こせてないけど、家の中の大きめの家具は耐震の工夫をしておかないとな(当然のことなんですけどね……、何もできてないですね私……(泣))。


また何か思い出したらこそっと追記するかもしれません。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。心からの感謝と愛!

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