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六百円

「死んだ魚の目をしてる。どうしたの?何かあった?」と聞かれ、「別に何もないけど、死んだ魚の目、死んだ魚の心だよ。」と憎たらしい返事をしてしまった。好きなひとを目前にしても、視界はぼやけていた。脳ミソはぼんやりしていた。世界に焦点が合わなかった。

恋人と、安い中華の学生ランチを食べた。「死んだ魚の目」をしてる私をみかねて連れて行ってくれたのだった。そのお店は私たち以外ほとんど外国のひとたちで、英語や中国語が飛び交っていた。なんだか気持ちよかった。

「棒棒鶏がうまいんだよ」って小2男児がオニヤンマを捕まえたみたいに教えてくれるもんだから、棒棒鶏を頼んだ。美味しかった。棒棒鶏はもちろん、白米がとても美味しかった。特に会話はせず、胃にぶちこむように食べた、食べまくった。そんなにお腹は空いていなかったけど、そのときの私にとっては目の前の白米のボリュームに屈さないことこそが勝利だった。ごちそうさま をしたときは、勝った気分で気持ちが良かった。何もかもうまくいかない日々の顔に、白い布をかけた瞬間だった。

「エビチリにしやよかった…エビチリの気分だったわ…今年一番の後悔」なんてずっと悔しがっている彼がばかばかしくて愛おしくて、わたしはクスッと笑った。

なんとなく、心がシケってるときに食べる安い定食や安いチェーン店の牛丼が、好きだ。見える世界がB級映画みたいで笑えてくる、泣けてくる、そんな瞬間が多くある。私の瞳はスクリーンになって、脳ミソの中でBGMと混ざる。


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