4月、5月

4月の終わり
今日は元恋人の誕生日だった。考えないようにしていたことがなんだかくやしいけど、携帯のパスワードだったこの四桁を忘れることよりも難しいことはおそらくないだろう。彼を愛していたからこそ好きになったものがたくさんある。それらは皮肉にも綺麗な傷跡になっていて、別に気に入っているし、わたしはもう新しい世界で踊っている。同じ季節を、くりかえし過ごしたかけがえのない人の誕生を祝福しない選択肢はないのよ、いつか忘れてしまっても。

二十二を過ぎてからさびしさは悲しみじゃなくなって、理由もなくカラッとした涙をながす夜がある。あたまが涙に追いつかないという老化かもしれない!老人ホームで暮らすおじいちゃんはわたしの顔を見ただけで大粒の涙をこぼす、わたしの名前は思い出せないまま

5月、ふくろうずばかり聴いてる。
汗ばむ朝方にみた夢、まだ漢字じゃ書けないあのひとの名前、柔軟剤のにおいを思い出そうと深呼吸する。夏が混ざった春、ちょっとした感覚が鮮やかさを増してとびこんでくる。灰のようにかるい覚悟がわたしを走らせる。素敵なものは探さないでぎゅっと抱えていたい!川を見つめてそのふもとに思いを馳せる美しい人、26時のわたしを知らないまま包みこむ人、ちゃんと目を見て名前で呼んだら照れてくれるだろうか、とかぐるぐる考えてる。ドキドキする新しい生活のなかで寂しい瞬間、かなしい瞬間、自分に焦点を当てて大切にしていく。夏が来る前に欲しいもの、足りないものをきちんと見つめ直そう。好きだとか愛とかわかったつもりでいたけどその確信は揺らぎ始めてる、だからもう一度確信できるといい、一番写っていたい茶色の瞳を通して

すこしでも夜更かしすると肌荒れに怯えるくらいには歳をとり、気づいたら嘘が得意になっていたけど嘘をつかない選択も得意でいる。復唱させられる社訓なんかよりチェインギャングの歌詞を一言一句覚えているんだから!そういう私でいたい。通いだした陶芸教室、講師のおじいちゃんのやさしいまなざし、五月の湿度とお香のにおいが混ざって、私はとてもたのしい。

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