幕間:同世代を推す、ということについて。

 ふと頭に思い浮かんだお話です。

 私の人生は所謂“推し”やそれに類する存在が常にあって、私の心の中にその人の場所を与えてはそれを勝手に励みにして勝手に生きるみたいな、そういうところがあったりします。それこそ物心ついた時にはもう“誰かを推す”ということが当たり前(これは両親がオタクだったから、というのがめちゃくちゃ大きい)でした。

 今までの遍歴を見てみると、私は長いこと10歳以上年上の方を好きになることが多かったんです。ジャンル問わず。こうなると推しとジェネギャがあるのはもはや当たり前で、「わかんないけど、それってどういうものなのかな〜」「結構人気なのかな〜」みたいな気持ちでぼんやり話を聞いてる時間が絶対出てくるんですよ。私はそれを幸い苦だとは思ってなかったので、知らないことを知れるのは悪くないな〜なんなら新鮮だな〜程度に思って生きてきました。

 そんな私の前に現れたのが、IMPACTorsというグループでした。
 なんとこのグループ、2人も同い歳がいたんですよ。しかも年齢差もそこまで大幅ではない。いちばん遠くても3歳。大学被るレベル。何が衝撃って、ゲームや歌の同じ流行りの波に乗った人たちだってこと。トークや何やらで垣間見えるそれらがほとんど全部「あ、わかる、学生の時流行ったよね」で。随所に、同じ時代を生きた人特有の価値観というか、似通った感覚があるんですよね。それがなんだか、むず痒い嬉しさがあって。

 で、ふと思ったわけです。このむず痒さの原因というか、理由は、“一緒”を感じるからなのかなあ、と。

 一緒の時間を生きてきて、きっと今より先も一緒に歳を重ねていくんだって思える。年齢差に優劣があるわけではなくて、年齢差がある相手からしか得られなかった特別があるように、同世代として生きる特別があるんだなあと、思うなどしました。彼らが横並びと言ってくれる人たちだから尚更かもしれませんが、生々しくそのライフステージの変化を感じられるという特権はあるのかもな、と。

 この7人と出会ってから、私は負けず嫌いが加速したような気がしているんですよ。それは彼らの存在が“頼れる愛しい人たち”であり、“常に高みを目指している同世代たち”でもあるからなんだろうな、と。彼らが前に進む時、私も前に進みたい。彼らが変化を乗りこなす時、私だって荒波を越えて「どうだ、あなたの隣に相応しいだろ」って笑いたい。それが「僕の心臓」とまで言ってくれる大好きな人に対して、私ができる最大限じゃないかな、なんて自惚れたことを思うわけです。もちろんこれも自己満足。

 一生がどれくらいかは分からないですが、この時代の大きな流れで巡り会えて、なおかつかなりたくさんの共通した時間の流れを知っている。この特権を私は今日もこそこそと抱き締めて、私が主人公の人生を生きていくんだなあと思います。同じ瞬間、同じ軌跡を、ひとつひとつ宝箱に詰めながら。

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